ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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十年前に金沢芸術村で観た「プロジェクトY企画」企画「月夜の晩の出来事で…武士と呼ばれた侍が。ー金沢・盈進社物語ー」(阿寒弁作・演出)の改稿・再演。於歌劇座(旧金沢観光会館)。今回、演出は作者自身ではなく、菊池准・河田園子。 初演は、作者を中心に、地元演劇メンバーによる手弁当的なノリでの公演であったが、今回は、東京のプロと地元セミプロの混合メンバーによる本格的なもの。石川県高文連文化教室四十周年記念公演で、一般公演も先日あった。 登場人物は、社の代表の名前をはじめとして大幅に違っており、ほとんど別物といっていいほど設定や役割が違っていた。前回、二場で北海道の場面はなかったが、今回、三場となって、北海道の場面が追加されていたのが最大の違い。 第一場の後半あたりまでは、少々つまらなかったが、第二場のつらい北海道開拓の話あたりから、ぐっと話が締まって観客を引きつけた。腑抜けになり零落れた社代表の対比も判りやすく、盈進社がダメになっていった様子がよく描かれていた。 民権、民権といいながら、農民出身の浜野に対して高圧的な態度を崩さず、間違っていても従わなければならないのが武士なのだと、旧弊な武士の精神を今更ながら持ち出す、社の連中は、そんな中途半端な存在であったのだということを、作者は繰り返し描く。 おそらく、維新の激動の中で、出遅れた藩を何とかしようと高邁な理想を持ってあがいたものの、捨てきれないものも多く、結局、挫折していく「だらぶち」(金沢方言、阿呆、馬鹿の類)な奴らなのだと作者は愛惜を込めていいたいのである。 つきまとう警官が、最後につぶやく言葉がある。腑抜けた加賀藩の連中の中で、少しは気概がある奴らかもしれぬとあいつらを期待した俺が間違いだったと。作者の押さえは実に明確である。 そんな「だらぶち」たちの、時代を超えることが出来なかった悲哀がたっぷり感じられ、且つ、それでも蒔いた種はしっかり根付いていると希望も少しは繋がっていて、それなりに後味の深い終わり方になった。 手紙を読む形で進行させて、話にアクセントをつけたり、小道具の簪(かんざし)を絡めた恋物語を入れたりして膨らませたりと、商業演劇的に多層性をもたせたことも台本的によくなった点である。 昨年話題になった映画「武士の家計簿」でも描かれていたが、幕末・維新期、加賀藩は態度をはっきりできず、完全に時流に乗り遅れ、その後の中央での活躍の道が閉ざされた。それこそ、石川県の人間は、学問や算術など自らの技量で道を拓くしかなくなったのである。北海道に移住した者も多く、そんな当時の石川県の辛い状況を、歴史認識のまだかたまっていない子供たちに実感させえたならば、充分、この芝居は成功したと言えるだろう。幕間、ついて行けない感じでざわついていたが、後半はしっかり観ていた様子で、それなりの感動もあったようだ。
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