ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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愛聴せるビル・エバンス・トリオ「ワルツ・フォー・デビイ」のドラマー、ポール・モチアンが、十一月二十二日、死去したという。享年八十歳。これでスコット・ラファロ(b)を擁したあのトリオも名実ともに歴史になった。お皿カチャカチャ周辺音一杯のあの日の録音のことを語った彼のインタビューを読んだことがあるし、チック・コリア、エディ・ゴメスとのトリオ「ファーザー・エクスプロレイションズ〜ビル・エヴァンスに捧ぐ」を今年購ったばかり。口数が少ない個性的なドラムを叩く人で、ECMレーベル的とでも言えばいいか。今年、レイ・ ブライアントも七十九歳で鬼籍に入っている。 ここ十年、生で聞いたジャズマンの中で年寄りといえばと、ジェームズ・ムーディー(SAX)のことを思い出し、検索してみると、昨年十二月に八十五歳で死去していた。知らなかった。いつの野々市ビッグアップルに来ているのだろうと先日のコンサートのパンフレットを見ると、二〇〇三年とある。もう八年前のこと。 ジャズ全盛期の名人がどんどんいなくなり、最近はCDを買う度に、生きている人確認をしている自分に気づく。合掌。
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昨年は野々市文化会館改装中とて会場が金沢工大に変更になったため、キャパシティが小さく、チケットが取れなくて、バリー・ハリス(p)を聞き損なった。今年は一週間前の段階で、ジョーハウス高尾台店に電話を入れたところ、まだありますということで、取りに行った。せっかくなので、夫婦共々カレーでランチ。今日も早めに車を止めて近くの人気食堂でお昼。中年夫婦は音楽を巡ってお楽しみを添加している。 この十一月に市政に移行した記念の年だが、超ビッグネームがいないからか例年よりちょっと入りが少ないように感じた。「ウーマン・イン・ジャズ」と副題がついていて、エントランスでのミニライブも女性オンリーのアマチュアバンド。 コンサートは、最近定番の金大ジャズ研のビッグバンドからスタート。二曲の後、ムーンライトに交代。今年は気張った吹奏で、近年の老齢化による衰えを最小限にして頑張っていたように思えた。例年のリラックスムードではなく礼儀正しく進行していたが、それはニューヨークからのゲストプレーヤーの真面目さが影響しているように思われた。 リニー・ロスネス(p)の演奏を聴くのは三回目。美貌の若手も中年となった。クラシックの香りのするスタイルは変わらないが、これまでの印象と違って多弁でスインギー。年を重ね、ジャズ本流の奏法に近づいている印象を受けた。女流アナット・コーエン(cl・ts)のクラリネットはソプラノ・サックス風。一昨年の北村英治とは奏法が大きく違う。ピーター・ワシントン(b)とルイス・ナッシュ(ds)のリズムは極上で言うことなし。ピーターのハイスピードのソロはさすがの一言。ルイスのドラムも、適度なパワー感があり、小技も効いて端正さも持ち合わせていて、何でもこなすバランスの良いドラムであった。 今年のビッグアップル、大盛り上がりという感じではなかったが、反面、じっくり聞かせた演奏会だった。
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歯がまた痛くなって歯医者を予約。当日行った時には痛みが治まっていた。抜いていない方の親知らずが悪さをしているのでしょうから前回同様、紹介状を書くので大病院で抜いてきてくださいとのこと。 こちらではそれ以外の歯をケアしますとのことで、歯垢検査をさせられる。示された画像を観ると、磨いているつもりでも残った汚れがひどい。着色するから尚更大仰しく見えてがっかり。前歯で見た目悪くなった歯もカバーをかけるという。当分また歯医者通いが続くこととなった。 次に行ったら、早速、麻酔をかけて前歯をガリガリ。舌で触ったら、根っこだけを残してそこにはもう歯はなかった。ちょっと傷んでいただけのように見えたのに……。これでもう一生前歯は人工の歯かと思うとさすがに悲しくなった。ニッと笑うと歯無しの爺ちゃんを想像して、いやはや、どうも情けない。 治療されながら、子供の頃の歯医者のことを思い出していた。乳歯から永久歯になる時、よく歯医者に通った。今はもう廃業した近所の小さな歯科医院。いつも子供で満員で、長々と待たされた。呼ばれて座ると細いベルトで動力を伝えるアームの先が口の中に突っ込まれ、時々びりっと痛さが襲い、本当に嫌だった。昔に較べ、痛さはなくなったし、いちいち進行の説明が丁寧なのは大きく違うところだが、やっていることは昔と全然変わらない。ガリガリ……。 衛生士さんから音波式電動歯ブラシを勧められた。調べて、シンプル機能の中級品をネットで注文。今日、それが届いた。真面目に使うかなあ。電気髭剃り、電気バリカン、電気歯磨き……。身繕いの道具が洗面所にはひしめき合っている。
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今年は暖かい秋だったが。ようやく冬の気配が濃厚になってきた。通勤の車の外気温計も摂氏六度を指していた。パラパラと冷たい雨が降る。 私が乗っている軽自動車プレオ、スバルらしさが残る数少ない機種なので、もう一回車検を通すことに決めたのがこの夏。冬タイヤは摩耗していたので、たった二シーズンだけになるが、先日新品を購入した。また、最近、キーをひねってもエンジンがかからなくなっていたので、それを車屋さんに訴えると、キーシリンダー交換とのこと。スバル車では珍しくない故障だという。二日間、代車のアルトに乗っている間に車検が終了した。後二年、何とか無事にもってもらいたいものである。 車で行かねばならぬ愚妻が、雪対策で四駆ということで軽に、いざとなれば車を置いて行ける小生のほうが二駆の小型車スイフトに乗ることにし、この休み、車中に置いてある諸々のものを入れ替えて、自分仕様にした。本当はこっちが私の車である。冬用足マットを敷き、雪よけ棒を乗せて準備完了。軽量樹脂製スコップも買い足す予定である。 職場も今日から暖房が入った。さあ、いよいよ冬本番。
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だが、本音とは多少違う。先日、東大の副学長が講演で「英語で発表する学術論文の数がアジア諸国、特に中国に較べて極端に落ち込んでおり、学問の世界の国際競争力が落ちている。アジアにおける各分野での日本の優位も今や風前の灯で、十年を経ずして、すべての分野で首位から転落する」という暗い見通しを語っていたのを聞いた。だから、頑張らねばならないのだと。 我々教育従事者は、子供を見て世の中の推移を判断する。何度も書いているが、貧しくても子供が元気一杯な国はいずれ興隆する。観光で訪れたカンボジアから帰って感じたのは、日本の子供達の元気のなさであった。安定した生活を享受している今の子供にはハングリー精神が希薄で、向学心、創造力、アイディア力などに欠ける。数十年後、今の子供が世の中心となった時、向学心に燃え、かつての栄光を取り戻し、技術立国として世界をリードしているとは到底考えがたい。 そう考えると、もっと違う指針が必要だという結論になる。今まで、日本は資源が無い以上、技術立国でいかねばならぬという確信に似た思いが強かったかもしれない。しかし、そこから抜け出してものを見ると違った我が国の未来像も見えてくるのではないか。すなわち、そろそろ、「技術立国幻想」から抜け出してもいいのではないか。 例えば、偏差値至上主義だけで見ると、ある値以下の子は落ちこぼれである。しかし、別の見方でその子を評価すると、芸術的的センスがあったり、リーダーシップがあったりと、いいところが沢山見えてくるのと同じ。 そして、これは当然「まず経済ありき」発想からの離脱をも含んでいる。今回のTPP(Trans-Pacific Partnership 環太平洋経済協定)参加問題も、乗り遅れると日本経済が沈むという危機感が根底にある。農業や医療が打撃を受けるという負の点を差し引いても、経済発展の可能性に賭けようというのである。 今、若いブータン国王が来日中である。ブータンでは「国民総幸福量(Gross National Happiness)」の増大を国是にしており、経済発展より重要であるとはっきり打ち出しているという。「経済発展=幸福」の図式に未だに囚われている我々に較べてなんと先進的であることか。 例の事業仕分けで、蓮鈁(Lien Fang)氏が「二番じゃだめなのですか」という名台詞を吐いたが、それどころか、四十番くらいでもいいじゃないですかという、一見呆れるくらい弱腰、しかし確固とした信念が今こそ必要なのかもしれない。長期的な日本の生き方を考えるとそちらの方が賢い。
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この前実施した小論文演習の課題文は「平和教育だけでなく科学技術教育もヒロシマからはじめるべきだ」という科学技術教育のあり方を問う内容であった。監督の合間に、こちらも時間内に模範解答をしゃかしゃかと書く。以下の如し。
(500字作文 解答例) 志賀原発のPR施設アリス館で汚染物質の処分方法が解説されていた。地球のマグマの対流に滑り込ませて焼却するのだという。感心してよくよく読んだら、いずれ実用化されるとあった。つまり絵に描いた餅。一体何年先の話だろう。 我々人類は最終的に完成されていない原子力という制度を見切り発車させてしまっていた。その欠陥の封じ込めが安全神話の創出である。だが、今回の原発事故で、我々はこうした科学一辺倒のあり方がいかに脆いものであるかを痛感した。難しいテクノロジーなので素人の国民は、まあ玄人が色々考えてやっているのだから間違いないだろうとたかをくくっていたのだ。そうした無反省丸投げのしっぺ返しが今回の事故だったと言えよう。 我々はだからといって科学技術教育を進めるのに迷ってはいけないと思う。事故を終息させるのもまた科学技術なのだから。ただ、軍事における文民統制のように人類としてどう進むかという制御体制の確立においては国際的に非科学者を含めた協議によって人類統一の基準を作ってそれを国際的に守っていくという方法をとるべきではないか。
次に実施した小論文の課題は、一見科学的のようだが実は科学ではない「ニセ科学」の蔓延についての文章。これを添削・コメント。その次は、前に触れたバイオ研究の講義を聴いた理系生徒の作文の添削・評価。何だか科学技術の進歩と問題点についてこれでもかこれでもかと読まされている感じである。上記の私の作文、立場上、科学教育推進の立場を外さない趣旨で書いた。別に書いた以下の挨拶文も同じ。前向きな教員の立場で。その一部を抜粋。
(前略)さて、昨年3月11日、日本は原発事故という我が国開闢以来未曾有の災害に見舞われました。科学技術の発展とその利用の是非、制御システムの構築など、「科学と人間」のテーマは、まさに切実なものとして我々の前にふりかかってきました。かつて長きに渡りキリスト教をはじめとする宗教・倫理は人の生きる指針でした。一時、唯物史観が興隆した時期もありましたが、ほどなく衰退、効力を失いました。しかし、今考えれば、対立する思想同士によって、逆にしっかり世界を制御し得ていた時代だったとも言えます。 しかし、近時は、経済至上主義と「科学」原理主義とでも言える絶対主義が世を覆っていました。我々は科学の制御と発展のシステムを失ってしまっていたのです。今回の原発事故はそうした現状を我々に突きつけたものと言えます。今、科学は、人類としてそれをどう活かしていくかという切実な問題とセットで学んで行かなければなりません。熱心に実験の手を動かしている生徒を見ながら、彼ら「科学の子」に、我々の未来は託されているのだという感慨を禁じ得ませんでした。(後略)(つづく)
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恒例の美術展。第五十回記念という。今年も金沢21世紀美術館市民ギャラリーにて開催。日曜とて秋の観光客を避けるため夕方に訪問。毎年観ているので同工異曲のものも目につくが、その分、親しみやすく判りやすい。併設の中日写真サロン入賞作品展もいつも楽しみ。今回、出品票にデジ・アナの区別が書かれてあって、今や銀塩はほとんどいないことが判る。皆、作品テーマがはっきりしており、何百枚も撮ったうちの最高の一枚であろうと思われる作品ばかり。手間暇をかけているというのがなんと言っても一番の感想である。何度もその場所に通ってベストアングルを決め、そして、イメージ通りの構図になるのを狙って撮ったといった仕込みの努力を強く感ずる。日々「お疲れ」の私には撮れない写真ばかりであった。 車でさっと行って、車でさっと帰る。今年は休日天候に恵まれないこともあって、美術見学が出来ていない。今秋はこれ一回だけになりそうである。
(追記 アップ後、昨年の日記を読んでみたところ、ほとんど論旨が一緒だった。進歩がないなあ)
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今日も気になった言葉の話。 某所入り口に張り紙があった。「○○にいらした方は受け付けをして下さい」この「いらした」に軽い違和感あり。 終止形は「いらす」かな、でも聞いたことない言葉だなと辞書を引いたが、案の定、ない。あったのは、「貸(いら)す」(貸す、利息をとって貸す)という語のみ。初めて聞いた。 そこで、ネットで「いらした」で検索して質問サイトのアンサーを読んでみた。「いらした」は「いらっしゃった」の訛転で、「いらす」という言葉などないことを知る。やはり、印刷して張り出すのに適当な言葉ではないようだ。この場合、「○○にいらっしゃった方」「来られた方」「お越しになった方」が適当。 「お越しになられた」は、前回指摘した「おっしゃられる」と同じ過剰敬語だが、世に蔓延していて、違和感のない人も多くなっているのではないだろうか。私も使っているような気がする。注意。
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このところ「女子会」という言葉が市民権を得ている。女性だけでお店などに集まって飲み食いを含めた、まあ、雑談会のことで、単なる主婦の集まりも「女子」とつくと若々しく目新しく感じる。お店もスイーツ食べ放題などの女子会限定パックを作り、売り込みに躍起。国語的にもぱっと見で意味も判り問題ない。国語の造語力というべきである。 先日、NHKニュースを見ていたら、最近、対抗して「男子会」というのを売り出しているお店があるらしい。男子だけの会の場合、割引や特典がつく。内容はガッツリてんこ盛り系という。どうやら若い子向けのようだ。 私は男だが、もう大量に食べるのは苦痛である。年寄りだけが集まる会をしたらどんな特典がつくのかな、美味しいものを少量でいいから沢山の種類出てくるのがいいな、意外に受けて人気が出るかもしれないと、飲食業界関係者よろしく色々想像した。 そんな会はなんというか。もちろん「老人会」。あっ、もう全国に沢山あるや……。
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昨日の続き。「城の崎にて」をするのは二年ぶり。若い頃はこれが小説かと思っていたが、こんなに順序よく動物の死にぶつかるはずもなく、事故から作品まで三年もかかったことを考えると、どう作品化するか、ずっと心に留め置いて、幾つかのことは事故からずっと後で体験したことを作品に用いたのではないかとも感じる。随筆的な顔をしたえらく構成的な小説というべきである。イモリの偶然の死など、なかなかあざといまでに、如何にもそこに置かれた感じである。 途中、自分の小説「范の犯罪」を別の角度から書きたいという箇所は、正直、ほとんどいらぬような気がする。あるとしたらこの小説が、ずべて実体験であるというリアリティを持たせるための策略として語った、つまり、この小説の順序立てた心理の変化が、実際の心の動きだというふりをするための配置ではなかったのかしら。 葉っぱが風もないのにヒラヒラという箇所も、「踏む感覚も視野を離れていかにも不確か」というところにもっていく前哨戦としてあるのだろうけれど、「原因は知れた」で終わっては何だかよく判らない。志賀自身、よくここの部分を質問されると書いていたのを読んだ覚えがある。誰でも聞きたくなるよねえ。こんな書き方では。 歳をとると、こんな心境小説みたいなのも悪くはないと思えるようなってきたのが、こちら側の変化だが、正直、志賀さん、貴方の生死についての感慨、そんなこと、今頃、気がついたのですかとちょっと言いたくなって、何時頃書いた小説だろうと調べてみたら、三十四歳の時だそうだ。三十歳代前半なら、この「気づき」は立派なものには違いない。電車事故があったればこそ。でも、五十歳を越えた私にしてみれば、ちょっと偉そうではあるが、「志賀さんも若い時はやっぱり若かったのね」という感想であります。 あの白髭の好々爺が書いたと想像してはいけません。
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志賀直哉の「城の崎にて」をやりはじめた。まず、あてて読ませる。意味が取れないのではないかと思うところはどんどん解説を入れながら。 「虎斑」に注がある。これはあって当然で、そんな難しい言葉はその注を見ればよい。しかし、注はないが、例えば、「縁」は判らなさそうだった。「縁の椅子」とある。畳が終わって外窓までの板敷きの空間。縁側の「縁」と言えば判るかもしれない。そこが落ちていて土になっていたら「土縁」。「欄干」も昔は二階の窓には結構ある建物が多かったが、今はほとんど見ないので、それも説明。 途中、主人公の「自分」は、串刺しになった鼠に石を投げて遊んでいる光景に出くわす。当時でもちょっと残酷な行為だが、鼠はなんと言っても害獣。備蓄の食品を食べるだけでなく家の柱を囓る、糞をする。天井で大運動会をすると、迷惑千万な小動物であった。家には、大抵、半柱型の金網のねずみ取り器があって、それで捕れた鼠を川に持っていき、橋の欄干から長い紐を垂らし流れに浸し鼠を水死させた。それは害獣駆除として当たり前の行動だった。鼠に石を投げる行為は残酷だし、生死に思いを馳せる主人公の気持ちと対極にあるものだが、かといって、今の動物愛護一辺倒とは少し違った見方で見ないといけないと解説した。おそらく今の人のゴキブリの感覚である。家の天井に鼠を飼っている人は?と挙手させたがゼロ(そりゃそうだ)。 「脊椎カリエス」という言葉にも注にある。しかし、まず肺結核のことを話した。当時、結核菌の病気は死病である。そのあたりの感覚も、この話の場合大事で、ペニシリン発明前の話だからねと当時の病気のイメージを解説した。 主人公が温泉に来たのは湯治の長逗留のためだが、これも今は廃れた風習。今なら長期入院かリハビリ通院ということになる。これも少し説明がいる。温泉場では、通常の食事しか出さない安価な長逗留料金が設定されていたところがあったり、自炊専門のところもあった。温泉といえば、豪華な食事の贅沢三昧のことと思っている子も多いはずで、そのあたりの説明もしなければならない。なんかんだと言って、補足説明をしながら読んでいったら、一時間もかかってしまった。 それにしても、「自分は偶然に死ななかった。いもりは偶然死んだ。」と、主人公は死の偶然性に思いをはせているが、そのような偶然の話は、東日本大震災の際、あちこちで語られた話だ。後、何メートル、後、何秒で生死が分かれた。 つまらん小説だよと言っていつも読み始める。しかし、今年、補足説明しながら読み進めていくと、いつもの年より生徒は真面目に読んでいるような気がした。若い彼らにとって、死に思いをはせる小説はピンとこない、それは仕方がないことだと思っていたが、今年は少しは心に残る話になるかもしれない。彼らの短い人生で、こんなに大量の死があったことははじめてだろうから。 震災の死は不幸極まりない。ふりかかった無意味な死であることがことさら悲しいが、若い世代が、真摯に生を考える契機や糧になったとしたら、それはそれで意味のあること。それで供養になるとまでは思われないが、少なくとも生かしていくのも我々の勤めである。 内容分析に入った途端、ぼんやりで、こっちがガッカリなんてことがないといいが。
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家族の秋の行楽で、先の土曜日曜、白山麓の宿で一泊した。あいにくの雨模様、少々体調の悪い人もいたので、無理せず、初日は現地に行くだけにした。夕方、ゆっくり入浴。大浴場に入るのは久しぶり。ふぁーと長息しながら浴槽に浸かる瞬間が何とも気持ちがいい。 翌日は白山スーパー林道へ。この日も雨で、白く靄る中、山峡にかかる雲間から顔を出す紅葉を眺めるといった少々歯痒いサイトシーイングとなった。上のほうは道しか見えない霧の中、峠付近は既に冬の佇まいということなので、ふくべの大滝までゆっくり走り、そこから引き返した。年寄りもいるので無理はしない。 昼に食べたお蕎麦は鰹の効いた出汁で体が温まった。出色の美味しさだった。 帰り、吉野工芸の里の「鶉荘」で花と書の展覧会をしていたので、しばし見学。この古民家は利賀村から移築したものだそうで、実に見事な造り。二階は屋根を支える骨組みをそのまま出しワンフロアになっていて、現代風にアレンジしてあった。五十メートルほど離れたところで木々の間から立ちのぼる煙が見えた。焼き物の窯か何かあるのだろうと思って見ていたが、翌朝の新聞で、炭焼き小屋が火事、鶉荘は無事との記事を見つけ、驚いた。うまく火が静まらずあのまま火事になっていったのだろう。我々が訪れた数時間後あそこは大騒ぎになっていたようだ。 お土産に購ったのは天然なめこといわな寿司。なめこは大振りで工場生産物とはまったくの別物。寿司は富山のます寿司と同じ輪っぱに入っていた。なめこ汁にして夕食。 スーパー林道は十数年ぶりだった。宿泊特典で無料。雨がかえすがえすも残念。
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NHKーFM日曜夜十一時の「セッション2011」。興味のあるアーティストの時はエアチックしている。昨晩は敬愛する大石学トリオ。 番組冒頭、司会の濱中アナが、このトリオのメンバーだったセシル・モンロー(ds)が不慮の事故で急逝したと述べているのを聞いてびっくり。慌ててパソコンを立ち上げてネットで情報を収集しながら大石の演奏を聴くこととなった。八月二十七日、千葉の海岸でボディボード中に波に引き込まれて水死したとのこと。 彼の音楽を聞いたのは二度。はじめは五年前のチャリートのバックを大石学トリオが務めた時。「もっきりや」で座った目の前が彼のドラム。バシンバシンとシンバルの音が腹にこたえた。久しぶりのライブハウスだったので尚更印象深かった。センシティブなプレイも得意で、メロディスト大石との連携も阿吽の域。確か、もう一度は石川音楽堂交流ホールで聴いているはずである。 彼の死は、どうやら関東ローカルでは報道されたが、全国的には大きく載らなかったようだ。日本ジャズ界では有名な存在だが、マイナーな音楽のミュージシャン、私が読んでいる地方紙までは訃報が載らなかったのだろう。 陽気な性格で、多くのミュージシャンから慕われ、葬儀では大勢の仲間がかわるがわる音楽を奏でたという。検索すると、大石をはじめ多くのジャズマンが追悼のブログを書いている。番組の曲紹介でも大石は彼の死に触れ、番組全体が彼の追悼番組のようだった。 いつものように、NYテロ事件を思って作った「ピース」がラスト曲。自分にとって「イマジン」(ジョン・レノン)のように思っていると述べてから弾いた。力強い入魂のアドリブ・ソロだった。合掌。
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「ら抜き言葉」は「可能」と「尊敬・受身」を区別するための便宜的方便で、それなりの合理性があるというのが最近の見解です。例えば、「食べられる」が、何者かに「喰われる」か、或いは、偉い人が「お食べになる」の意味に使い、「食べれる」というのが「食べることができる」という意味として使っているということ。 私自身は、しゃべり言葉の時は目くじらをたてないが、書き言葉の時はチェックをするというスタンスです。最近のワープロソフトは変換の時、いちいちら抜き言葉だがいいのかと教えてくれるので便利です。 ただ、この新しい原則によると、「忘れれる」も十分OKということになるのですが、これはしゃべり言葉でも認めがたい気がします。同じではないか言われると確かにその通りで根拠はないのですが……。どうも言葉によってまちまちのような感じです。 さて、先日、外食店めぐりのブログを読んでいたところ、以下の文章があり、驚きました。 「チャーハンです。この写真取った後、すぐに下げれて新しいチャーハンが出ました。」 この「下げれて」は、食べ放題の店の残り皿が厨房にさげられて新しい皿がやって来たという意味なので、「受身」の用法です。他の箇所もざっと読んでみましたが、すべてら抜き言葉でした。 つまり、ちゃんと理屈のついた部分的「ら抜き言葉」容認論であっても、それが大手を振って世に蔓延すると、おそらく容認論者も認めがたい「何でもら抜き言葉」という形になってどんどん進行していくのではないかという心配があるような気がしました。さて、どうでしょう。
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バイオ研究をしている方の話を聞いた。今や輸入大豆は遺伝子組み換えのものが多く、知らない間に醤油や豆腐などで食しているという。 自然界でも遺伝子の変化は普通に起こっていることであり、それを人工的に組み換え技術でしたところで、問題が起こるとは思っていない。しかし、急激な導入には懐疑的である。じっくり人体実験しながら進んでいくのがよい、と話していた。 この「人体実験」というところで私はちょっと笑った。結局、人間が今やっているのは「安全のはずだが、もしかしたらということがあるかも……」といったレベルでゴーサインが出て実行に移されているということ。なるほど我々の日々の食事は、広範な「人体実験」に違いない。原子力もそうして動いてきた。 その講師は生徒に「組み替えは危ないと思う人?」と挙手させていたが、ほとんどいなかった。今の若者にもう拒絶反応はないようだ。昔騒がれたが、今はもうそんなところは通過したということだろうか。 他に、遺伝子学的には、多くの項目で雌は中央にかたまって正規分布するが、雄は二山になる。つまり、雄には当たり外れがあるという話に興味を持った。なるほど、生物的には、それが「性差」としてきわめて合理的な形なのだろうと思ったからである。 これを人間に当てはめると……いや、やめておきましょう。
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薄い見開き一ヶ月タイプの来年のスケジュール帳を十月上旬購った。それと雑文メモ用のA6ノートを革カバーに左右に振り分けて挿すのが私の手帳。この季節、今年と来年のスケジュール帳が二冊ともはめてある。 昨日は仕事用の大判を買った。手帳専門の会社のもので、何百とある中から、去年に引き続き見開き四日タイプ、罫線ばかりの記述中心のもの。時間単位で飛び回る仕事ではないので、時間の刻みは不要。当日、連絡すべきことをたっぷり書く欄があるのがいい。腰帯に「業務日誌」タイプとあって、あまりにその通りの使い方なので、ちょっと苦笑い。他の手帳・日誌よりまだ堆く積んであって、数多ある中では売れていない部類のようだった。 必要事項を万年筆で書いていく。書けても三月まででその後は真っ白。どんな日誌になるやら。白紙の頁は自分の未来。 冬準備。スタッドレスや暖房、衣料など例年通りでよいか話がでる。そろそろ来年のことが気にかかる季節となった。
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生徒の作文を読んでいて、「おっしゃられた」という言い方が何人も出てきた。おそらく「おっしゃる」と「お話になられる」が複合したのだろう。しっかり敬語使わなくっちゃという意識から出た変な敬語。日本語として間違いである。大人は敬語を使うことが多く、間違えてこう言ってしまう例は時々あったように思うが、子供の作文でも最近は敬語の乱発が目につく。そんなに使わなくてもいい。その分、字数を喰って内容が薄くなっている。 ネットで見ると、他に「お話になられる」「ご覧になられる」「おいでになられる」など、「お〜なる」と「れる」「られる」を一度に使った間違い例が結構あるという。確かに「お話になられる」はよく使う。言われみればおかしいけれど、この例は「おっしゃられる」よりは傷口が小さい。おそらく、おかしいと気づく人はもはや少数派ではないか。 ネットの質問では、この言い方、「おっしゃる」だけでは「尊敬」の度合いが小さく感じられたので「られる」を付加したと考えて許容できるのではないかという推測が付されていた。この質問者の推測は、「おっしゃる」だけでは敬意が足りないと考えるのが「現代の言語状況」であるという前提に立っている。これは、「です・ます」(丁寧語)が「させていただく」(謙譲語)に取って代わってグレードが上がったかのように錯覚しているのとよく似た発想である(この場合、敬意の対象まで混乱しているが……)。 やはり、先に書いたように、今はこれでもかこれでもかと相手を敬って、変な敬語を発明して量産している時代なのだ。
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深夜、目を覚ましてしまったので、起きて居間で雑誌をめくっていた。ラジオからは聞き知っているボサノバが何曲も流れ、ゆったりした時間を感じる。ボサノバは夏に限ると思っていたが、秋の夜長にも似合う。 羽織った薄手のフリースだけでは寒くなって、袖無し褞袍(どてら)をタンスから出して着込む。これが袖有り褞袍に変わる時が冬である。 疲れているから、本当はこうして無為にすごすより、少しでも睡眠をとったほうがいいのだろうが、それではもったいないような気もして、少しの眠さを感じつつ、テーブルに置いた珈琲カップを片手に握ったまま、じっと「想いあふれて(Chega De Saudade)」が流れているのを聞いている。
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お願い
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