ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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先日、地元国立大学に生徒引率。電子工学、特に光工学初歩の講義を受ける。光ファイバーがどうして減衰しないか、光の屈折の話から「全反射」を利用して減衰させず光を伝搬する原理を学ぶ。原理は判ったが、臨界角を求める公式などを見るにつけ、そもそも高校時代に「物理」を取らなかった私には「うーん??」という世界であった。 電気工作として、光学を利用した脈拍計を作った。ヘモグロビンが光を吸収する特性があることを利用したものだという。懐かしい電気回路図が出てきた。ギザギザマークは抵抗だよと横から教える。私もどうぞということで、ハンダ付けにチャレンジ。子供の頃はゲルマニュウム・ラジオなんぞを楽しく作り、長じて電信級アマチュア無線技士免許を取得、その頃にも少しコテを操った。昔取った杵柄、生徒よりうまく出来ると思っていたが、まったくもって老眼で細かいところが見えない。結局、ICチップの足が何本かつながってしまった。出来ると思っていたことが出来なかったので、ちょっと悲しかった。院生に手伝ってもらって完成。彼に、この手の作業のベテランでしょうねと聞くと、大学のカリキュラム上ではほとんどしないという。「私は高専出身ですからできますけど……。」とのこと。 抵抗、コンデンサ、ハンダ付け。懐かしいアナログの世界を久しぶりに体験。
昨日は、眼球の解剖。中の壁は全体に黒く、網膜はその黒地に張り付いた薄い膜。すぐ剥がれて弱々しく、あれでは網膜剥離になるはずである。何で神様はあんな弱いものにしたのだろう。水晶体はプミプミで透明なグミの如し。凸レンズで、中から外を覗くとちゃんと虫眼鏡のように大きく写る。この弾力性が失われつつあるのがマイ老眼なのだとしみじみ。目のスクリーン中、神経の束があって映像が写らない部分が、思いの外、大きいことに驚く。例の脳で映像補填しているところである。 全体的な感想は、まさに習った通りの構造をしているなあというもの。これだけはっきり構造が判っていても、眼科は、人の眼球自体をかち割って何とかする治療が出来ていない。部位別では遅れている医療分野である。 部分治療がダメでも、せめて目が機能低下したら、眼球全体を新しいモノとそっくり換えてくれないかなあと呟いたら、横にいた同僚曰く、 「眼鏡屋さんじゃなくて目玉屋さんがいりますね」。 実にシュール。ショーウインドウに値札のついた眼球がズラリ。
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依然として腰痛は四六時中。大きく行動を制限しつづけている。 去年、NHK「ためしてガッテン」で腰痛の特集があった。翌日、何人もの人から、腰痛はストレスが原因という腰痛持ちからは絶対支持されないような内容だったよとの御注進が……。 その番組を、先日、再放送でようやく観た。 腰痛のほとんどが原因不明という話、ヘルニアで神経を圧迫している人でも痛みを感じない人もおり、痛みを判断する脳が深く関係しているという話などは既知のもの。手術でも直らないことが多いのは身をもって知っている。痛くて痛くて近くの湖に投身しようかと思いましたという老女のインタビューに同感しきり。 ただ、成る程と思ったことがある。腰痛になると脳が活性化せず、痛みを和らげる指令を出す部分も機能低下しているので、尚更、痛みがダイレクトに伝わるらしい。 そういえば、当時、えらくボンクラな行動が目立った。メインの仕事をしにいってサブの仕事だけして戻ったり、何度も書類を書き間違えて、永遠に書き終えないのではないかと絶望的になったりした。頭の方に影響が出ているということは実感していたが、それは「痛みのせいで気が散りまくっている」からだろうと思っていた。しかし、脳自体が活性していないというなら、色々説明がつく。ということは、今も常時痛いので、脳は………(泣)。 昔ほど座布団がなくても何とかなる場合が多くなったが、今でも、しまった持ってくればよかったと後悔することもある。一枚二万円する患者用座布団も二代目。あれがあるから結構なんとかなっている。ないと午後あたりでへたばる。
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正月休みにテレビをつけたら「椿山課長の七日間」なる映画をやっていた。だらだらモードだったので期待せずに観たが、実にいい映画だった。 突然死した中年男が、天上の役所の許可を得て初七日までこの世に戻り、その後を見届ける物語。現世では身体は若い女性の姿を借りたので、最初の方、美女が男っぽい動きをしてコミカル。 妻には愛人がおり、息子はその男との間の子だったという散々な事実を知ることになるが、反面、老いた親の愛情や、長年、陰ながら自分を思ってくれていた職場の同僚の存在に気づいたり、戻ってよかった面もある。生前、これが当たり前と思って何の疑問を持たず生活していたことが、実は気遣われていたり隠されていたりして、当たり前のことではないという事実に主人公は気づく。人の生活とは、そうした知らないことの集積の上にフロートして生きているものなのかもしれないと作者は言いたげである。 物語は、一緒にこの世に戻ったヤクザと男の子がシンクロしはじめて、俄然、面白くなる。 伊東美咲というキリリとした感じの女優が魅力的。「電車男」などの出演作がある人だそうで、今は結婚出産で活動休止状態という。芸能界に疎い私には、知らない間に出てきて知らない間にいなくなっている、それを後追いで今知ったといったところ。 ラストの字幕で原作は浅田次郎と知り合点がいった。いかにも彼らしい。今、原作を購い読書中。 映画の短評が続いている。
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試写会に当たり、一昨日、金沢駅横の商業ビル上階の映画館で上記映画を鑑賞。来週末公開とのこと。一作目は劇場で観たが、二作目は未見。そのため、二作目を踏まえているところが判らないかもしれないと心配したが、三丁目のいつものメンバーたちばかりで、大きな問題はなかった。物語は、鈴木オートの六チャン(堀北真希)の恋愛と結婚、貧乏作家の低迷など、六年たって、あのメンバーに日常起こりそうなことが起こっているという印象。安心して観られるホームドラマである。 前二作が我々夫婦の生まれた頃の話で、小さかったからよく判っていなかったけれど、客観的にはそうだったはずというような、ちょっと迂回したルートで懐かしがっていたのだが、今回は六年後、昭和三十九年が舞台。まったくあの時の記憶そのものである。といっても、看板などちょっと過剰で、やりすぎ感があるのも前と同じ。エンドロールの字幕で、本当に日本全国から古いものを借りたり参考にしていることが判る。 タイトルを聞いただけで東京オリンピックと新幹線が出てくるのが予測され、実際、その通りだった。三丁目の町並みはほんのちょっぴり立派になり、車の行き来も激しくなった。高度成長が始まったばかり、永遠の右肩上がりが信じられていたあの頃の日本の景色。 これまでも3D映像自体は観たことがあるが、新世代型3Dになってはじめて劇場で観た映画となった。オープニング、東京タワーの突出で観客を驚かせるが、それ以外は抑えた効果で好ましい。 金曜日、封切り前宣伝を狙って一作目をテレビでやっていた。時間軸は逆になったが、それを観て復習。来週は「続」を放映とのこと。
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7月にNHKーBSでやっていてHDにため込んでいた上記映画をようやく正月休みに観た。 離婚直後の四十男(風間杜夫)が、十二歳の時に死別した両親に出会い、亡霊と知りつつ楽しい時を過ごすうちに、親の有り難さや自分のいたらなさに気づいて再生していく物語。作山田太一、監督大林宣彦、脚本は先月亡くなった市川森一。昭和六十三年の作品。 浅草に住む両親の夏の佇まいは昭和三十年代で時代が止まっていて何とも懐かしい。あの頃、家ではみんな下着姿ですごした。物語は、息子のほうが両親の年齢を追い越している奇妙な設定だが、全然、違和感がない。別れのすき焼き屋での場面は、自分の人生の反省の弁と親の愛情溢れる言葉のやりとりで観るものは号泣必至である。 主人公の急激な老いは、両親と会っているからではなく、新しく恋人になったマンション階下の女(これも亡霊)のせいであるというどんでん返しの趣向も効いている。女の正体が明らかになる場面は急にスプラッター仕立てとなって少々違和感があったが、そもそもホラーは大林監督得意分野でファンは折り込み済み。「ああ、やってる、やってる」といったところ。 この映画、一言で言うと「あの頃の夏」「先祖の霊との再会」「取り憑いた亡霊」の三点セットもので、後解説でNHK小野アナウンサーが、「この映画全体でお盆ですね。」と言っていたコメントが実にこの映画の核心を突いていている。 片岡鶴太郎の父は江戸っ子気質を好演、母秋吉久美子も昭和の装いが似合っていて実に魅力的。濃厚なラブシーンを演ずる名取裕子も意外に妖艶。 この映画の「今」から既に四半世紀近い。あの頃らしいくっきりとした女性の化粧や連絡に公衆電話を使っているのに時代を感じる。昭和三十年代、昭和の終わり、そしてこの映画を観ている平成の現在と、約五十年の隔たりを感じつつこの映画を観たが、あの頃の人情をよしとする映画は最近多い。
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正月のテレビで映画「あかね空」を観た。人情時代劇。 長い話を二時間に纏めるために、話を二箇所、約二十年ずつすっ飛ばしたので、肝心の夫婦の愛の交流や親子の情愛が描き不足のまま進む。その上、冒頭から中谷美紀は上方から来たばかりの男の女房気取りで変だったし、中盤部、旦那が、「お前の大丈夫という言葉を久しぶりに聞いたよ。」と言っても、それが彼女の口癖だったのか、そういえば確か最初の方にそう言っていたなと事後的に理解するしかないし、彼女が長男に甘かった理由も後で回想的にちらりと説明されるだけで、観る者はこれもとってつけた事後解説をされた気分を味わうなど、説明不足が積み重なってすっきりこない展開になっていた。 冒頭、迷子になった子が、後年ヤクザの親分となって、実親がやっていた豆腐屋を受け継いだ中谷美紀夫婦を脅かしやってくる。その時、フラッシュバックのように幼い頃の記憶を甦らせるのだが、それで諸々諒解するところがあったのか、そこまでは気づいていないのかさえも曖昧描かれる。原作は山本一力の直木賞受賞作。そちらではどうなっているのだろうか。 CGを使ってうまく江戸の雰囲気を出しており、途中、俯瞰カメラでの雪の葬列のシーンなど美しいカットも多い。しかし、そんな映像上の努力も脚本の弱さで完成度をスポイルしていて、「おそらくいい話に違いないのだろうが、その割りにはほとんどジーンとしなかったなあ」レベルで終わってしまった感がある。篠田正浩が大きく絡んでいるのにどうしたというのだろう。 この前終わったNHK大河ドラマ「江」にしろ、今の日本映画やTVは、CGや撮影技術などハード面・映像制作面は円熟しているが、脚本は本当に弱い。それは、コンピューターグラフィックスなどの映像方面に行きたい人は大勢いるが、台本作家になりたい人はごく限られるという層の厚薄をそのまま反映しているのだろう。 ある人の感想に、NHKの夜の時代劇ドラマ帯に十数回程度の枠で作ったらもっと良い感じに仕上がったのではないかとあって、まったくそうだと合点した。
(追記……テレビで映画「ALWAYS三丁目の夕日」を観たところ、あちらこちらズタズタに切られていて、ないシーンが多かった。あれでは感興も半減する。この映画も同様なのかもしれない。特にBSでない民放のものは怪しい。テレビで感想を書くことの危うさを痛感。2012.1.15)
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この連休は、大掃除で出来なかった抽斗の書類捨てなど細かい片付けと撮り溜めていた映画などを観てすごす。 BSーTBS「二十世紀建築の革命児〜ル・コルビュジエのメッセージ〜」(二時間もの)は、これまで知っている知識の復習のような感じで観た。以前にも同様の番組を観たことがあり、そこでは母親のために作った海沿いの細長い家を訪問して詳細に紹介していたのが印象に残っている。妻との関係も詳しかった。今回のものは、そのあたりは全然触れられず、日本人の弟子など日本への影響が詳しかった。一番彼に影響を受けたのが日本なのだという。東京のたてもの園の建物の中でその合理性に一番感心した前川邸(自宅)の設計者前川氏が、彼の弟子の一人であることをこの番組で知り、妙に納得した。それにしてもサヴォア邸のあのモダンな造りが、我が実家が建った数年後に出来たものとはにわかに信じがたい。建築史家藤森照信が解説で出演。氏の近作も紹介されていた。
昼、車で繁華街を通る。艶やかな晴れ着姿の女性を多く見かける。見ると皆白い紙バックを手にしている。成人式が終わったらしい。纏を持った消防団の一行も歩いていた。今日は出初め式だったのだろう。家にいると気づかないままだが、町に出ると気づく睦月の行事。 駅方面に用があったので、まず、そのまま行き過ぎて、駅西地区でランチ。何の考えもなく一度行ったことがある印度料理店を選んだ。ナンにカレーをつけて食べながら、これって、正月の古いCM「おせちも良いけどカレーもネ!」そのままだと気づき微苦笑する。ちょうど今頃、日本人は和食に飽きるのかもしれない。お店は客がひっきりなしで大繁盛のようであった。 隣接の大型書店で本を物色。冬の今頃としては穏やかな日、町は混んでいたけれど、お籠もりを止めて、ちょっと町に出、新鮮な外の空気を吸った感覚のひととき。
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先日、「紫」で「ゆかり」と読む名前を見つけた。ルビがないとまず読めない。子供の命名は最近何でもアリになって、親が読みたいように読む「判じ物」のようなものが多くなった。例えば「月美」で「ルナ」ちゃん。これなど本人に聞かない限り判らない。「月」のほうはまだいいけど「美」はどこへ行ったの?「星」で「あかり」と読む大阪弁の子役もこの年末発見。明かりにしては弱っちい。私の感覚でいうと、そう読ませたいなら、せめて「灯」にする。 「紫」で「ゆかり」と読むのも、もちろん当て字。ただ、「紫のゆかり」という言葉はある。「紫式部ゆかり」のという意味。「源氏物語」を「紫のゆかりの物語」というのがそれにあたる。 また、ネット調べによると、古今集の「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞみる」(雑上)という和歌から、「何かをいとしく思うため、それに関係あるものにも情愛を感じること」をいう場合があるそうだ。「草の縁(ゆかり)」とも。「ゆかりの色」「ゆかりの草」は、共に紫色をいうとあった。ということで、「紫」と「ゆかり」は関連が深いのは間違いない。 けれど、多くの人はこうした知識を知らない。「紫」と「ゆかり」で思い出すのは、三島食品のふりかけ「ゆかり」。紫色のパッケージで、中身はご存じ紫蘇の粉末。この漢字でこの読みをすると、あのご飯のおともを思い出す人がほとんどなのではないだろうか。 漢字とそれこそゆかりがあって、且つ風流なイメージ。派手な漢字の羅列で風俗嬢の源氏名みたいな名前などより断然素敵には違いないが、それでも、多くの人が読めないことには違いない。 名前は誰でも読めるものにしくはない。商売柄、長年、漢字に接していると、名前は、こういう規範の内でつければよいという幾つかの意見を持つようになる。その中の一番大きな柱が、この「人様がなんと読むか判らないようなものは人も迷惑、本人もいちいち説明せねばならず面倒だろうから、避けるべし」というもの。これはおそらく多くの人に賛同していただけるものと思う。 以下は省略するが、この名前の話、よいお名前ですね、素敵なお名前ですね、というのはよく言うが、あまりよくない名前ですねえとは思っても言えないものである。あれこれ説明すると、非難されたと受け取られ、不快感を与える場合が往々にしてあり、なかなか難しい話題である。 (日本のどこかに今回例に出したお名前の方がおられる訳だが、この文章の趣旨に免じてご容赦願いたい。御自分の子供にはすんなり読める名前をつけてあげて下さいネ。)
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例年通り初射会。最期に扇的。射儀上達、武運長久を祈る縁起もの。最初は閉じたまま、徐々に開いていくのだが、今年は例年に較べて早くあたった上に、下級生も何人かあてて、めでたいことだった。 穴の空いた扇は破魔矢同様大事なお守りとなる。字の上手な人に頼んで何か書いてもらえと言ったところ、メンバーにうまい子がいて、その場でさらさらと書いてあげていた。字が上手い子は今どき珍しく、羨ましい。 そういえば、先日、お店で進物に熨斗を依頼したところ、今や、字どころか水引の模様も含めてプリンターで印刷していたのには驚いた。そういうテンプレートがあるらしい。店の人は、店員に字の上手い人がいないからと言い訳をしていたが、今はそんな時代である。 そこで、以下は筆記具の持ち方話題。自分がそもそも間違った持ち方をしているので、内心後ろめたく、これまでほとんど触れてこなかったが、自分を棚に上げて書く。 現在、一つのクラスで、鉛筆の正しい持ち方が出来ている人は数人程度、許容範囲を広げると四分の一くらい。大多数はおかしい。中には楔文字を彫っているような手前倒しの人もいる。そんな見るからに変な子も何十年かかけて少しずつ増えている。文字が右利きで成立しているので仕方ない面もあるが、左利きの人が全滅に近いのも例年通り。 七年ほど前、書道の自習監督に行って硬筆書写の様子を見ていたら、あまりに勝手流の持ち方をしているので、机間巡視しながら手に取って持ち方を指導してまわったことがあった。あんな持ち方では綺麗な字が書けるわけがない。(あくまでも自分を棚に上げていますよ、くどいようですが……。) ある時、字の癖の話になった。その時、ある人が面白い話を教えてくれた。自分の字というのは、手で覚えているのではない、右手を失った人が左手で書いてもその人の癖になり、障害のため足で書いても口に筆をくわえて書いても、それは変わりないそうだ。字の書き方は、脳が自分の字になるよう命令して身体が動いているのだろう。まさに「字は人なり」である。 つい先頃、若い子に万年筆を貸したら、ペン芯を上にして書き始めた。金色の部分を上にしないといけないよとアドバイスしたが、持ち方が直角に立てた上に右倒しに寝かせているので、ペン先の割れの片方にしか紙面が当たっていない。これではインクが出ない。そこで仕方なく安ボールペンを貸した。おそらくその子は、持ち方を矯正しないかぎり万年筆は無理である。 万年筆は正しく紙に当てないとインクが出ない。正しい角度を強いる。ペリカン社製の学童用やラミー社製の入門用万年筆には主軸に正しい持ち方になるようガイドの凹みがついていて、自然に慣れてくるようになっている。独逸は小学生の書き方の時間に万年筆の握り方を習うそうだ。 お箸の持ち方にしろ、しつけ教育をしなくなったので正しく持つ人が減ったとばかり思っていたが、そもそも、どんな持ち方をしてもインクの出る楽ちんな筆記具が当たり前になったから、うるさく教育する必要がなくなった、その結果、ルーズさが許されるようになったという、実利面から廃れるべくして廃れていった面もあるようだ。 最近、万年筆をお祝いに贈ることも多いのだが、その人の書き方を見てからにしたほうがいいかもしれない。
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例年なら愚妻の実家で二日に行っている白山比盗_社への初詣、今年は私もついて行った。朝方にもかかわらず、それなりの人出。交通規制前に移動したので通常の大駐車場に止めることが出来た。大神社へ三が日中にお参りしたのは久しぶりで、賑々しさが物珍しかった。 帰り、大型専門店の初売りに寄る。オープン三十分過ぎくらいだったが、例年に較べ客の引きが早く、すでに閑散としている。初売り限定、破格値の電気製品も売れ残っていて、売り子が惹句を連呼している。福袋もさっぱり。去年の災害を経験し消費者は財布の紐を固くしているのを感じる。
以下は昨日のオマケのイチャモン。 若い記者が「被災地を取材させていただきました」とやっている。「取材しました」で十分。 被災地取材は報道として行う行動。相手に許可を乞うような行為でもないし、実際、誰に遠慮もなく(時には報道という性質上、結構ズケズケと)取材していたはずである。その「取材」という積極的行為と過剰敬語「させていただく」とのくっつきにアンバランス感が伴う。それに、「被災地の人々を」ではないので、地域全体を漠然と差しているだけで、揚げ足取り的にいうと土地や地面に対して敬語を使っているように感じる。 敬語は「敬う」のが本義。偉い人はそうそう大量にいない、だから敬語には特定の「個人に対する」といったニュアンスがある。「一般」に対して強い敬語をつけなくても問題がないのである。御丁寧に逐一つけはじめると、なんでもかんでも敬語をつけないといけなくなる。それは言葉の浪費で、そもそも敬語自体に意味がなくなる。 記者は苦しんでいる被災者へ敬語を使わねばと思ったのだろう。今の敬語は人間関係の中で、敬する人を取り立ててはっきりさせるという本来の意味よりも、相手をおもんばり、気を遣っているのだということを相手に明示する役割に特化してきているようだ。つまり、敬語は「思いやり語」に変質しつつあるようなのだ。
(追記 愚妻曰く、初売りに行ったけど、ごった返していて、今年が特に違っているとは全然感じなかったわとのこと。行った場所によって印象が違うようだ。ハズレたかな?)
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明けましておめでとうございます。書きなぐりの日誌ですが、今年も宜しくお付き合い下さい。 今日は安定した天候の一日。実家で例年通りのお正月をすごした。 日誌は、新年にもかかわらず、年末のテレビ番組話題からスタート。 「3.11」を特集している局が多かった中、被災者の生死を分けた個別の動きを詳細に検証している番組を観た。明らかに判断を間違った人、常識的判断をしたが、今回の場合、うまく適合しなかった人、行動が遅かった人、悪い偶然が重なった人など本当に様々だった。 後からみると、ああすればよかった、こうすればよかったと言えるが、あの瞬間、避難者が状況を的確に把握できていた訳でなし、何を言っても詮無いことである。しかし、人の気持ちはそうそう割り切れるものでもない。愛する人をなくして、あの時、こうすればよかったと泣いている方の顔が画面いっぱいに映ると、こちらは何とも辛くなった。 このところ忘れぎみになっていた、震災の時のさわさわと波立つ気持ちが甦ってきて、いつもと違った年越しとなった。 今年はよい年にしたい。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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