ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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私が入っている共済組合は、これまで結婚何年の節目でお祝いが給付されたりしていたが、どんどん廃止され、この前、配られたビラによると、結婚手当金も廃止、入院給付金・災害見舞金も廃止という。独自企画の上乗せ給付はすべて「見直し」ということになったらしい。 退職金も減額され、一人四百万円の減だという。年金受給年齢も漸次引き上げられ、六十歳で定年退職をすると、空白年が出てくる。 最近、こんな話ばかりである。なんだか日本が縮こまっていく一環のような気がして、気持ちが暗くなる。 世界経済も安定せず、国際的にも各国の関係がギスギスするようになった。世界恐慌から第二次大戦への流れと同じものを感じて、世界中の人が先行きに不安を感じている。なんでこういう世界になったのだろう。個人として、なにをどう努力すれば少しはよくなるのだろう。一介の市井人にはとんとわからぬ。 さて、今日で二十四年度が終わる。愚妻は、遠距離の勤め先から金沢市内北部へ転勤となった。朝、中心部を通らねばならないので、ラッシュで時間はそれなりにかかりそうだが、距離はぐっと近くなって、我が家的には一安堵である。
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作り話が好きで小説ばかり読んでいた人なのに、忙しさにかまけて、本当に無機質な生活を送ってきたという反省から、せめて良質なテレビドラマくらいはちゃんと観て、鈍感になった心を柔らかくしようと先に書いた。そこで、もうひとつ、前宣伝で気になったNHKドラマを観ることした。このところテレビ話題が続くが了とせられよ。 今回は、江國香織の「神様のボート」(三話完結)。W不倫の逃避行の末、男は信じて待っていてと言って去り、女は彼の言葉を信じて、その時身籠もった娘を母一人子一人で育てていく。成長するにつれ、娘は母の信じる世界に疑問を感ずるようになって母を批難する。母は精神の安定を欠きはじめ、死を決意する。彼のほうは彼女を捜すが、「君の名は」的にすれ違いを繰り返す。 物語は、時間軸が解体され、話は行ったり来たり。同じシーンが何度も繰り返される。 まずく描くと痴話になりがちな設定だが、まるでファンタジーのように現実離れした世界が描かれる。はじめ、父親より年寄りの音楽教師と結婚するいきさつも語られず、彼と出会い、恋に落ちた心理の襞もまったく描かれない。彼が気づき、二人が向き合った時、既に愛の成就が決められていたかのように描かれるのである。こざかしい理由などいらない純化した愛の世界のみ監督は描きたかったのだろう。テレビ・ドラマというより一編の濃密な恋愛映画を観ているような印象であった。 女は男の愛をまったく疑わず、雑誌の投稿欄に居場所のサインだけを発信して、引っ越しを繰り返す。彼女にとって、いずれ彼が見つけてくれることは疑いようのないことなのである。 二人の愛のシーンは、テレビにしてはディープて、渡辺淳一原作の映画「失楽園」を思い出さずにはいられない。愛を受け入れる長髪の宮沢りえとイケメンの相手、藤木直人のからみは妖艶で、美しい一幅の絵を観ているようであった。 最後の場面、カフェの席に座る彼女のもとに彼がようやく現れ、本来、室内のはずなのに、雨が二人を濡らしながら抱擁するシーンは、おそらく彼女の幻想なのではないかと思われるが、もしかしたら本当に戻ってきて愛の連環が完結したかのようにも思えてはっきりしない。いずれの解釈にしろ、意表をついたエンディングで、全体に、暗示の意味の判らないカットがあったりと、ちょっぴりひとりよがりの演出がある昭和の芸術映画のような印象で、レトロなイメージであった。 世俗の愛しか知らぬ多くの大人にとって、こんな長い期間一人の男のひとつの言葉だけを頑なに信じて、現実から遊離した愛の世界の中だけに生きることなど不可能なので、なんだか、そんな生き方もあるんだ、それはそれで羨ましいかもしれないという思いを起こさせ、「いつか陽のあたる場所で」がつっついてくれた心のどこかと違う心の襞を覗かせてくれたようなような気がした。
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年度末の業務が終わりかけ、新年度の仕事が交錯しながら進んでいる。部活も春休みということで、練習試合などもいくつか入っている。外は温暖でも、県立武道館弓道場の中は冷やっこく、軽装をしていった私は、たえきれなくなって、近くの衣料品店に下着を買いに行ったりした。すでに冬物の長袖下着はなく、中間着を購入して、何とか凌いだ。三寒四温とは言うけれど、春の暖かな青空があるかと思えば、冬に逆戻りの日もある。毎日の温度差は二十度近いときもあって、体調管理に神経をつかう。
天抜いて映す水面(みなも)の雪濁り
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実はこの冬は、NHKのドラマ以外に、民放の水曜夜のドラマ「シェアハウスの恋人」という水川あさみ主演のラブ・コメディ(毎週水曜)も観た。民放ドラマを見なくなってもう十年。久しぶりにちゃんと全話(九話)観た。 宇宙から来たという初回の突拍子のない設定が面白くて見始めたが、視聴率は毎回下がり続けたようで、一回分端折られて打ち切られたふしがあり、最後のほうは、せっかく播いた伏線をどんどん殺して終結に向かう展開となって、もったいない気がした。うまく展開できれば、まだまだ人間関係が込み入って面白くなっただろうに……。民放の宿命とはいえ、視聴率主義のダメなところで、ちゃんと作品として完結させてあげるべきではないか。 最終回、両思いになった汐(水川あさみ)と辰平(大泉洋)の二人がドキドキしながら付き合う様子は、いい歳(汐は30歳)同士だからこそ微笑ましくて、彼女はチャーミングに見えた。 しかし、手が触れあったからといって大騒ぎする初々しい恋人同士なんて、普通十代の終わりくらいの話のはずで、そのあたりに現代の恋愛事情があるような気もした。今の恋愛が、高学歴・不況などで、どんどん後ろに下がって、二十代後半が初めての恋愛、ぼやぼやしているとすぐに三十代に入ってしまうという現実が背景にあるのだろう。そういえば、「いつか陽のあたる場所で」の芭子も同年齢で、ムショに入っていたという条件はつくが、両者とも乙女のような恋愛が進行する。 最終回、家族を放り出してシェアハウスに転がり込んだ桜井(谷原章介)に妻真希(須藤理彩)は「辛いことは自分一人で被らずに、親しい人に打ち明けることで荷が軽くなるし、その人との親しさも増すのに、あなたはいつも一人で抱え込んでいた」と語る。彼女は妻なのに夫の辛さを共有できなかった淋しさを訴えているのである。「いつか〜」にも同様のモチーフがあって、全然傾向の違う作品ながら、火曜日水曜日と連続で観ていて、似ているところがあるようにも感じた。 ネットで、同じく水川主演の映画「大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇」というコメディも観た。地獄旅行することで、同棲から新婚生活に入って既に倦怠期を迎えている男女が、再度、相手を好きになるというハッピーエンドの物語であった。グロテスク風味が満載で、好き嫌いがはっきりあるとは思うものの、楽しかった。
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最終回後も気になって、録画を繰り返し観た。何度も観ると、最初気がついていないところにも意識が行く。DVの被害を受けた芭子の友人の息子が恐竜好きだというの(第二回)は、第九回で綾香が会いに行く息子と同じで重ねているし、はじめのほうに飼い犬が出てきて、後の母親が芭子の作った犬の服を買ってくれていたというエピソードにつなげたり、小さい時の唯一の相談相手だった縫いぐるみのリリーの名が、芭子の打った弟の結婚式の祝電に使われたりと、しっかり伏線が張りめぐらされていていることに気づく。よく練られた緻密な台本(高橋麻紀)である。 また、公園でのシーンには、蝉の声がうるさいくらいに付加され、谷中の茶の間では古時計のカチカチという音がことさら大きく録られていた。神戸で綾を見つけ、呼びかける声にはしっかりエコーがかけられていて、音声処理の丁寧な仕事ぶりがわかったし、映像処理もスローをさりげなく入れたりして、神経が行き届いていた。音楽(澤野弘之)も素敵で、最後の方になると、もうあのテーマ曲が流れてくるだけで、心がざわざわした。効果音楽も効いている(和田貴史)。エンディングは松任谷由実。昭和のドラマっぽい終わり方のようで親しみが湧いた。収録は去年の六月から真夏だったそうで、半年の間に、細部にまで手を加えていいものにしていったのだろう。 何度も観たせいで、芭子の肩掛けバッグが全回通して小さな革のポシェットだったとか、出所の時の大きなバッグは、福引きで当てた神戸旅行の時にもしっかり持っていたとか、チラリと映る履歴書によって、彼女はエレベーター式の女子大の日本文学専攻だったとか、ディテールの配慮やこだわりを発見するのも楽しかった。 芸能界に疎いので、主演の上戸彩という人は、電話会社の白い犬が出てくるCMくらいしか知らなかったが、不安で震える心を上手に表現していた。台詞回しも素直で自然。 ネットではロケ地の一覧表をアップしているサイトがあって、それを見たところ、谷中周辺で起こっているはずの話なのに、コンビニやベンチのある丘などそれぞれのロケ地が関東一円に点在していることに驚いた。一つのドラマを作るというのは、こんなにも大がかりなものなのだと知る。 ここのところ、こんなに心が揺り動かされることなどなかったので、忘れていた「ドラマ」のよさを再発見した。もともと作り話が好きだったからこの商売をはじめたはずなのに、最近はとんとご無沙汰で、これはいかん、もっとドラマを見たり、小説を読まないといけないなという思いを新たにした。 今、原作本を読書中。
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乃南アサ原作、NHK夜のテレビドラマ「いつか陽の当たる場所で」(全十回)を観た。偶然つけていて二回目から観はじめ、三回目からは録画し、初回はネットで視聴した。前科持ちの女性二人が新しい人生に向かって前進しようとする物語。 前向きな綾香(飯島直子)に守られながら、芭子(上戸彩)は少しずつ心を開放していく。しかし、一見明るいその綾も殺人という罪の重さ故に踏み出せない心の闇を持っている。途中、ムショ仲間によって真実をばらされたりと、二人の再起はすんなりとはいかない。話が進むにつれ、綾は徐々に道が塞がれていくのに対して、芭子は逆に少しずつ光を見出して、二人の違いが鮮明になる。 人は色々な過去を背負って生きている。それが逡巡にもなり、反対に人に対する優しさにもつながる。そんな人としてのありようを、過ちを犯した者というはっきりした「負」を背負わせて描いている。一見、特殊な事例のようであるが、だからこそ、すべての人が共感できる心情としてつながっている。 岩瀬(斉藤工)との関係は、若い男女ならではの情感がよく出ていてこれから二人はどうなるのだろうと興味をつないだ。前科持ちという彼女の気持ちの屈折がある分、気持ちの行き来に陰影をあたえていて、特に、過去がばれた後、芭子が彼に別れを告げて、道ばたにしゃがみ込みむシーンは、観ているこちらは、もう切なくて切なくて号泣状態であった。 こうした恋愛やDVなどのモチーフを絡めながらも、最も重要なテーマは「親子の絆」である。芭子の母は老舗の家を守るため、芭子を見捨てるが、綾香の父親は、世間からの嫌がらせにも耐え、どんな時もお前は俺の娘だと彼女を受け入れ続ける。これは実に対比的に描かれていた。また、施設に入っている我が子に会いに行っても名乗れない綾香、DVを受けていた芭子の友人とその息子、老人ホームの老婦人とDVで死んだ娘など、親と子の様々な関係を重層的にこれでもかと重ねていくところがこの脚本のねらい。 台詞もよく吟味されている。芭子を暖かく見守る隣の老人の「親になった人間が、我が子よりも守らなきゃならんものなんてあるのか?」との言葉に背中を押される形で、母妙子(浅野温子)が谷中の家で娘と和解をするシーンが最終回のクライマックス。「許してあげる」ではなくて、「守りたかったのは自分自身だった。自分は母親として最低。私はもう一度、アナタの母親になりたいの」という心を開いた言い方で許しを乞い、芭子を抱擁するシーンは、ちょっと泣かされているなあと思いながらも涙が止まらなかった。 全編、辛い話が続くが、ちゃんと支え合う人たちがいて、温かく、明日を生きる希望が湧くいいドラマだった。(つづく)
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記念誌の記事に使いたいから昔の写真を探してくれと依頼されたので、久しぶりに写真アルバムを開いた。勢いでどんどんめくっていって、しまいに学生時代までさかのぼった。 そこには本当に若い私がいて、その若者ぶりが懐かしかった。酒席で友人たちがじゃれあっている。男同士が肩抱き合っていたり、時に男女も結構平気でくっついていたりする。でも、全然いやらしさがなくて、若者らしい自由奔放さが何とも目映い。みんな思っている以上に仲が良かったのだ。忘れていたことも多く、これらの写真で、そういうこともあったなあと思い出したことが多かった。 時には、全然覚えていないものもまじる。そのままではどうもすっきりしない。実は、高校一年生の時から書き始めた日記、大学ノートや自由当用日記帖などに書き殴ったのが二十冊ばかりある。その日記を出してきて、調べてみた。すると、ちゃんとどこでどうしたと書いてある。私は、写真と日記を照らし合わせながら、記憶を手繰っていった。 当たり前だが、色々な出来事が時系列で並んでいる。このこととこのことはこんな近い時期だったんだというような発見が多かった。ひとつひとつはよく覚えているのだが、順番はあやふや。どうも記憶というのは、大学時代の友達の記憶とか、アルバイト先の記憶とか、項目別に脳の中にしまい込まれているようで、それが何年生のいつの時期だったかなどというはとうに忘れている。 特に、故郷に戻る直前の数ヶ月間は、もう都会暮らしは終わりという意識があって、一番心に残っている時期だが、今読むと、大学時代の長いスパンで体験したことのように思いこんでいた出来事の多くが、どうもこの時期に集中していることに気づいた。おそらく、しっかり記憶に留めておかなくてはという精神状態だからこそ、ひとつひとつのことを後々までしっかり覚えていたということなのだろう。 日記に書かれている文面は、学生らしい読書や映画の感想が多かったが、結構辛辣なことも書かれていて、それも若者らしい容赦のないもので、自分の感想ながら、なんとも生意気で今読むと結構恥ずかしかった。こんな失礼な内容、絶対に人に見せられない。反面、初々しくて清々しい記述も沢山あって、若者の二面性をよく表している。それにしてもよく勉強している。我ながらえらいものである。 ほんの一冊分だけ斜め読みして、今夜はやめたが、最初から読み返してみたい衝動にかられた。
懐かしく甘酸っぱい気持ちがふわっと心を覆ったひとときだった。
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球技をしている選手にネガティブな応援をしていた一団がいた。上手い連中の中に下手ではないレベルの子がいて、その子を冷やかしていたのである。本人はまったく意に介していない様子なので、大きな問題はなかったのだが、冷やかしの言葉を一生懸命考え、思いついた言葉を畳みかける様子は、端から見ると、人に嫌われる努力をしているように見えた。勿論、言っている連中に悪いことをしているという意識は皆無。おもしろがっているだけである。でも、それは指摘してあげたほうがよい。そこで、ちょっと遠回しに、以下のような話をした。 「バスケットなどチームプレイは上手い下手がはっきりでる。部活に入っている人は専門家、次に専門家ではないが運動神経があって上手い人がいる。次に上手い訳ではないが渋い動きでいい味だしている一群がいる。そして、そもそも運動が苦手で、こういう大会を嫌だと思っている人達がいる。だけど、逃げるわけにはいけないし、人の足を引っ張るのも嫌だから頑張るしかないと思っている。そして、そんなチームを観ていると、チームとは一人の人格のよう気がしてくる。一人の人間、なんでもパーフェクトではない。得意のところもあるし、苦手なところもある。苦手なのは仕方がないが、頑張ることによって自分なりに納得することができる。どうしても無理なところは人にお願いすればいい。反対に、得意なところは、その余裕分で人のフォローをしてあげればよい。そうして人は人としてちゃんとした人になる。」 冷やかし応援をした人達に伝わっただろうか。
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日本の写真史を紐解くと必ず名が出てくる名取洋之助の作品展が、お馴染みのミュッゼふくおかカメラ館で開かれていたので、軽自動車の初高速走行を兼ねて行ってきた。春のあたたかさが感じられる穏やかな日曜日。 案内葉書を飾るのは「摩天楼から紙飛行機を飛ばす紳士」(一九三七年)。戦前のニューヨーク高層ビルから、いい歳のオジサンが窓を開けて今にも紙飛行機を飛ばそうとしている瞬間を撮ったもの。手前の机の上には折られた紙飛行機が五つほど待機している。一機ずつ。跳び具合を試そうとしているかのようだ。おそらく名取は摩天楼の高さを表現したかった。彼の中の子供の心で、紙飛行機を飛ばしたら長く飛ぶだろうなあという茶目っ気が湧く。それがこの写真になったのだろう。間違いなく演出写真である。 世界各地の戦前戦後の風俗・風土を撮した写真がやはり精彩を放つ。ニューヨークの着飾った女性たちの服装は恐ろしくお洒落で、オリンピックがあった年のベルリンの様子も如何にそれらしい。新しくし直したプリントも鮮明で、一九三〇年代の紳士・淑女や市民、農夫たちが生々しく迫ってくる。 この展覧会の副題に「報道写真の先駆者」とあるが、今の報道写真の範疇からみるともっと広くて、ルポ的ドキュメンタリー的なアートである。 戦中、彼が日本工房のスタッフらと制作したグラフ誌のモダンさは、今でもグラフィック・アートの変わらぬ基本となるべきものであるように思う。長寿を全うできないと覚悟していた彼は、意識的に後進をしごいた。撮ってきた写真をボロクソに言って目の前で破棄するなどということも日常茶飯だったらしい。「名取学校」と謂われる所以で、彼から離れていった人もあったようだが、いずれにしろ強烈な個性であったことは間違いないようだ。 戦後は、我々世代以上の人には懐かしい「岩波写真文庫」の責任者格などで活躍し、引き続きアートディレクターとしての才能を遺憾なく発揮したが、できれば、最後まで一写真家として世界の人間にカメラを向け続けていてたら、もっとステキな写真が量産されていたのではないかと、撮った作品だけを観ている我々にはちょっと惜しい気もした。編集ワークで忙しく、晩年はゆっくりと撮影をこなせた訳ではないようだ。
帰り、金沢歌劇座の前を通ると長蛇の列。年齢層はそれなりに高い。家についてから調べたら、ニールショーン(g)率いる八〇年代のヒットロックグループ「ジャーニー」金沢公演とのこと。私はサンタナ時代とグレック・ローリー(key)のいた初期の二枚のLPを持っているが、ヒットしてからはよく知らない。行った人のブログを読むと、ニールは弾きまくっていたらしい。ちょっと観てみたかった気もした。
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新たに買った車は、ホンダの「N−ONE」なる昨年十一月発売の新型。ターボモデルで、Lパッケージというセットをつけた。「ツアラー・Lパッケージ」というグレードである。フェイス・デザインはファニーでタヌキ顔。好き嫌いがあるが、リング状の前後スモールランプなど夜の演出も「ちょっとお洒落な軽」を演出している。パドル・シフト、クルーズコントロールも付く結構な贅沢仕様。四駆タイプにしたが、ホンダなので滑ったら利くタイプである。 この車、横滑り防止装置やら、サイドカーテンエアバッグやら、急ブレーキ時にストップランプが点滅するなど、安全装置に意を配っていて、今時のトレンドをうまく取り入れている。燃費は色々ついているのでラインナップ中最低の数字ではあるが、それでも淡々とした走りで、リッター18km(スノータイヤで旧車のホイールのため参考値)ほどは出ているようだ。 このターボ付きエンジンのトルク・出力特性グラフは、素人の私が観てもなかなか理想的で、二七〇〇回転あたりで早くも最高トルクとなり、以後フラットに続く。出力も真っ直ぐ上がって低回転で最高出力となる。実にトルクフル。最近はカタログに表が載っていないので判らないが、これまでさんざん見てきた表の中でも、まさに優等生のグラフで、それは実際アクセルを踏むとよく判る。このパワフル且つ素直なエンジン特性がなんと言ってもこの車の最大の魅力である。 欠点は助手席。ダッシュボードの下にいらぬ物入れがあって脛にあたる上、足を手前に引くと座席の下にある燃料タンクの出っ張りに当たる。体勢の自由がなく、狭苦しい。もう少し前列の椅子を後ろに下げられないのだろうか。他の方のインプレッションにあった、1500〜2000回転で発生するびびり音(共振?)は、確かにしている。 コストパフォーマンスはこのグレードが一番いいと思って選んだのだが、自動車雑誌でまさにその通りの指摘があって、選んだこちらはニンマリ。しっかりお値段表とにらめっこしました。 昨日ノーマルタイヤに交換したので、初めて高速に乗ってお試し走行した。多少の腰高感はあって、カーブは不安だが、全体的にコンパクトカー顔負けの乗り味であった。ノーマルの燃費は20km/lあたりか。全体に静かになって、昔よりずっといい燃費。 タイヤは四つ、レシプロ・エンジンで動いているなど車の基本は大昔から何にも変わっていないけれど、それなりに進化が感じられる今時の軽である。
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昨夜は星が瞬いていて、帰り間際の駐車場で地学の先生から少し星座のレクチャーを受けた。北陸ではめったにない快晴の夜空であった。 今朝は気温三度とそれなりにまだ冷え切っていたが、やはり青空で、空気が澄んで頬にあたる空気が気持ちよい。これで、ここのところの黄砂がなければもっといいのだが……。 日中は気温も上がって気持ちよさそう。だが、ビル内で仕事をする私達にはあまり恩恵は被らない。夏タイヤへの交換の話も出て、いよいよ春に向かっている。「冬季鬱」などという言葉も近年市民権を得てきたが、お籠もりの季節は確実に終わろうとしていて、雪国の人間にはうれしい限り。今朝の空を見上げながら、学生時代を過ごした東京の早春はいつもこんなだったよなあと、ちらりと大昔の記憶の空を思い出していた。 気に入って見ていた東京谷中が舞台のテレビドラマも今夜が最終回。久しぶりに次週の放送が楽しみという気分を味わっていたので、少し残念な気がするが、加齢に従ってすこしずつ感情が干からびてきていることを感じていたオッサンは、そんな気分になったこと自体、ちょっぴりうれしかったりした。
トビウオの羽の白さを知りにけり あわねども春感じたく蕗味噌を焼きたてパンの上に載せたり
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震災から二年がたった。 被災した人たちは仮住居ぐらしが続き、生活が元に戻っていないし、福島原発の廃炉作業は何十年単位。今でも毎日四百トンの汚染水がでる。巨大タンク二日半で一杯になる量で、今、タンクが九百本になっているという。汚染除去工場が稼働しても、どうしてもまだ一種類除染できない放射能物質があるそうで、では、汚染水は汚染水のままではないかとドキュメンタリー番組を観ながらちょっと暗澹とした気分になった。 除染処理も、他の汚染物質と違って放射線を出し続けるので、そもそも最終的にどうするのか、結論が見えない。計画すら動いていない自治体も多いらしい。何もかも中途半端で、月日だけがたっているという印象が強い。 ニュースを見聞きするにつけ、電力会社の動きは呆れるばかりで、返り咲いた保守政党は着々と再開に向けて足場を固めているように見える。 多くの国民は、地球環境悪化の懸念から生理的に脱原発を望んでいるが、代替エネルギーの開発が遅れている以上、石油が枯渇した時点で、背に腹は代えられないと危険を承知で核エネルギーに強依存してしまう近未来も見えているので、現実的対応をしつつ代替エネルギーを模索するのが妥当とする現実路線の意見も理屈として判らないわけではないので、輿論は割れているというのが現状のようだ。 あの時、パソコンのYAHOOのトップ画面の上部に、津波10M以上注意の記事が出て、職場の人たちが「これは大変なことではないか」と騒ぎはじめたのが最初の動きだった。人によっては揺れを感じた人もいたようだが、私は感じなかった。仕事中なので、その後の様子がよく判らず、実際の惨状を見たのは仕事が終わって、夜になってから。重体の義父が入院している病院の休憩室のテレビ画面で観て、愕然とした。もう、この話は何度も書いているような気がするし、おそらく一生覚えている。 今日、午後二時四十六分、放送が入り、生徒と一緒に教室で黙祷をして冥福を祈った。おそらく、この子たちのこれまで見知ったニュースの中で、もっとも大きな日本史上の事件だろう。彼らも真摯に祈りを捧げていた。これから大人になる彼らの実人生に、この地震と汚染の問題は陰に陽に絡んでくることは間違いない。ただでさえ、少々浸水気味の日本丸。私は、ご冥福と共に、彼らの未来にできるだけ悪い影が差しませんように、輝かしい未来でありますようにということも付け加えて祈らずにはいられなかった。
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春を感じさせる今日の午前中、胃をやられて入院した方のお見舞いに内灘の金沢医科大学病院に行く。病院は海岸の砂丘の上にあり、山側の私の自宅からはそれなりに離れている。 車で向かっている途中、今度は私の胃がキリキリと痛みだし、我慢の末、なんとか現着、慌ててトイレに駆け込んで、ようやく一息ついた。仕事の疲れが胃についたのだろう。このまま痛みが強まったら、人のお見舞いどころではなく、自分のために病院にいったことになってしまったのではないかと、後で苦笑い。「ミイラ取りがミイラになる」とは違うが、ちょっと洒落にならない事態一歩手前だった。年々、三月の繁忙期は身体にこたえる。
黄砂降り「名のみの春」を末梢す
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「財布は春に購入するといい」というのは、おそらく「春」と、財布の中が膨満する「張る」を引っかけて目出度いとする日本的な発想からだろう。新学期、心機一転という意味で、確かに変な感じはしない。いかにも縁起ものである。 いつも誕生日を理由にしてまとまったものを買うのだが、今年は、その財布にした。これまで愛用しているのは二つ折りタイプ。男性で使っている人の多い長財布型もどうだろうかと、手持ちのもので数日試してみたが、どうもしっくりこない。ではと超コンパクトタイプも使ってみたが、こちらは、窮屈な上に、紙幣・カードとコイン入れが逆側についていて使いにくく、やはり、使い慣れた二つ折りのがよいということに落ち着いた。 選んだのは「ヘルツ」という革鞄メーカーの定番デザインのもの。ここでは他に手帳カバー、ペンケースなど革小物を買っていてお気に入りの店。職人さん手作りなので、送られてきた箱の中には、それを作った人の手書きの挨拶文が入っていた。黄土色のガッチリした超厚手の革が個性的。人生で一番高価な財布である。ただ、中身のほうはこれまで通り野口英世様数人とか、ポンタ・カード(コンビニのポイントカード)とかで、全然、心許ない。 前にも書いたが、愚妻は少し前、私のオーダーに応えて、手編みのセーターを完成させていて、今年はあわせて「誕生日プレゼント」ということになった。 さて、定年までのカウントダウンもせねばならぬ歳となった。残りの年月をどうすごすかも切実な問題である。ただ、私の誕生日は我が職業で一番の繁忙期。いつもゆっくり感慨にひたっている暇もないまま終わっていく。
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一昨年、湯涌温泉が舞台になっているアニメ「花咲くいろは」が話題になっていた。学生時代の友人もはまったらしく、わざわざ金沢の奥座敷、湯涌温泉まで現地調査(?)しにきたくらい。 こちらは地元の話題としては知っていたが、実際に作品を観たことはなかった。しかし、今回、ケーブルテレビで土曜・日曜に五話ずつ連続放送していて、まとめて観ることができた。もちろん雑用をしながらのナガラ視聴。どうやら、近日公開の劇場版の前宣伝を兼ねているらしい。 モデルとなっているのは、高台という立地から、今は取り壊され更地になっている「白雲楼ホテル」のようである。奇妙な和洋折衷建築で、当時、湯涌温泉のシンボル的な存在だった。アニメに時々出てくる町並みはまさに湯涌温泉そのもの。場所は、しかし、金沢山麓ではなくて、能登にあることになっている。能登線の駅もそっくり。時々、金沢の繁華街の風景も出てくる。 少女アニメ的なタッチ、男子ファン向けのサービス・カット、女の子の生き方や恋愛という王道のテーマ、古い旅館の再生という昭和のテレビドラマにでもありそうなクラシックな大枠。また、自然豊かな田舎の風景は、おそらく都会生まれ都会育ちの人にとっては、実際の経験はないものの、日本人として感じる懐かしい郷愁を覚えるもの。 こうした色々な要素がうまく詰め込まれていて、若い世代を中心に老若男女を問わず楽しめるストーリーになっていた。 アニメ通り錆の浮いた駅の看板を設置したり、湯涌温泉で「ぼんぼり祭り」が本当に行われるようになったりと、その後の影響ばかりを知っていたので、なるほど、こういうことだったのかと、後先になったものの、ようやく全体像を理解することができた。 アニメをこんなにまとめて観たのは何十年ぶりのことである。
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この商売、三月四月は目の回る忙しさ。行事も立て込んでいる。まずあったのが卒業式。
卒業生花散る如く退場す
朝のニュースで今日は啓蟄というのを聞きながら外に出た。驟雨ながら生暖かい。
啓蟄の土の香りや傘を閉づ 東風吹きて破(や)れたる的紙張り替えぬ
今週、家に帰ってバタンキューの日が続く。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
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