ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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春休みやGWに総体に向けて練習するよう第一顧問が次々に準備し、それに従って、武道館や合宿にと練習に付き合った。こちらは間引き運転だが、部員は結構なハードスケジュールを真面目に取り組んで立派だった。 前にも書いたので繰り返しになるが、総体の県大会は、男子が上位に入賞し、インターハイには行けなかったものの、北信越大会の出場権を得た。特に決勝総当たり戦で、強豪校を18中で撃破した時は、こちらも感激して、他の顧問とがっちり握手したほどだった。その前の準決勝では20射19中も出しており、顧問人生の中で、本番でもっとも多い的中数を経験した。おそらく、このことは一生覚えている。 つづく北信越の大会は富山県旧大島町であったが、引率枠から外れたので、まったくギャラリーとして応援に行った。あいにくの雨で、応援席は傘の中、ほとんど射場が見えない状態で、隙間から覗くように見たが、残念ながら射型が崩れていて、的中は伸びなかった。 会場はGWに練習で使って見知ったところなのだが、隣の体育館で待機し、本番のみ弓道場に入る上位大会に準じた改まったもの。県大会では、会場の県立武道館で何度も練習し、場馴れしているからこそ大当たりも出たのだが、今回はそうした下準備もないままで、そう何度もうまい話は転がっていなかった。彼らは「会場の雰囲気に飲まれた」のである。 「お膳立てしてあげてはじめて実力が出るというのではダメで、そのあたりに君たちの弱さがある。この半年でたくましさを身につけよう。」と、三年が去って新チームになった最初の挨拶で私は檄を飛ばした。 一番年寄りの第三顧問なので、私は時々行っては褒めたりけなしたりするだけなのだが、そういう人もおり、きっちり計画運営する顧問や技術指導をされる顧問がおりと、3人がうまく役割分担して、部活がそれなりにうまくまわっている。大声はりあげなくても、とびきりの専門家が熱血指導しなくても、賢い子が集まっている我が校、こうした自主性を重んじるやり方が逆にあっているのだと思う。専門家がいなくてもちゃんと上位大会にいける、我々素人顧問にとって、これは希望であり、矜持である。 三年生とのお別れ会では、例年のように下級生に言い残す言葉を三年生は話した。私も総括として、この代のいいところ悪いところを包み隠さず話した。最後には、今度は戦いの場を変えて、いい受験生になってほしいと。 さて、また一から仕切り直し。先日は新部長・新副部長を呼んで、心構えを説いた。いい代にしてもらいたい。
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昨年に引き続き、7日(金)、「2013中日夏山のつどい」に行く。いつも尾山町の文教会館へはバスで行くのだが、時間がなく、今回は有料駐車場に止めた。タイマーがかかって、料金が加算されていくと思うと、無料の催し物なのにという思いも加わって、どうも落ち着かない。実は、バスの往復とあまり金額的には変わりないのだけれども、その理屈はどこかに飛んでいく。 ゲストは福島和可菜という元気一杯の元女性自衛隊員。訓練の様子とか装甲車などを紹介しながら、山との関連などを話した。 最後の抽選で、機能性健康食品詰め合わせが当たったので、これで駐車代が出たと、妙に納得。つくづくと貧乏性である。 今日は県立音楽堂で、これも毎年恒例、所属共済主催のクラシックコンサート。今年も指揮は青島広志。例によって面白可笑しく名曲を紹介していく。モーツアルトのホルン協奏曲、四十一番「ジュピター」、ベートーベン「田園」などをそれぞれ数楽章のみ抜粋して演奏するプログラムに訝ったが、解説を聞くと、どうやら、そこに彼の審美眼があるようだ。 終了後、去年同様、駅近くのアジアン料理店で東南アジア料理の多国籍セットみたいなメニューを注文。軽いアルコールも入れ、のんびりした夕食となる。
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最近のテレビっ子ぶりをご報告。 NHKドラマ10(火曜日夜十時)「第二楽章」全九話が終わった。五話で三角関係の話が終了し、後半、和解したアラフォー女二人の友情の行方に焦点が移ってきた。 妊娠した白瀬茉莉(羽田美智子)は音楽活動を中断せざるを得ず、それに未練が残り、遠藤奈津美(板谷由夏)は、必要以上に世話を焼き、彼女に固着してしまう。各々自分勝手な部分があり、空廻る時もあり、相手に思われる気持ちが重く感じる時もある。そうした中年の女性二人の揺れ動く友情に、キャリアウーマンの妊娠問題など、生きにくくなっている現代女性の生き方の問題をかなりてんこ盛りに盛った脚本になっていた。 しかし、癌も併発しているという設定は少々やり過ぎの感なきにしもあらずで、焦点がぼけた。最高の台本かといえば、少々竜頭蛇尾に終わった気もしないでもないが、じっくり現代女性のありようを描いて見せた点で、受け狙いが見え隠れする民放よりも芸術性は高かったように思う。演技では板谷由夏の細部に神経の行き届いた表情や所作が巧みであった。 羽田美智子の名前は見覚えがある。確か大昔アイドルだったのではないかと検索すると、たしかにそうだった。しかし、もう一人の板谷由夏は知らない女優さんで、ネットで検索すると、彼女が三十代前半に出演した性がテーマの映画の一部が動画で載っていて、それを見ると、大胆なベッドシーンが多くあり、、奈津美の清楚な奥様イメージしかもっていなかった私はたまげてしまった。私は、あの遠藤家の、鈴奈ちゃんのお母さんが陰でこんなことをしてるんだと思って、混乱した(笑・汗)。 ちょうど6月は番組の区切りらしい。アラフォー女性(篠崎涼子)のシンデレラ物語「ラスト・シンデレラ」(民放)も楽しく見た。ラブシーンが毎回のようにあって、「ちょっとエッチな」というのがキャッチコピーになっていた。ラブ・コメディというはこんなのを言うのだと、俄かテレビっ子の私には新鮮だった。恋愛に無垢で純真な女主人公は四十歳という設定で、だからこそドラマとして成立するというのが今時である。実にターゲットの視聴者に思い入れをしやすいように仕上げてあって、判りやすい。 原作小説がある「真夜中のパン屋さん」(NHKーBS日曜深夜)も毎回録画して楽しく見た。三十代半ばの女性から勧められて観た民放の「ガリレオ」も来週が最終回。これは人気男優主演の推理物。 以上が録画で観る最大限。これ以上は生活の中に組み込めない。 どうですか、かなりのテレビっ子ぶりでしょう?
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弓道の大会中、女子の靴の履き間違いが続出した。前大会から引き続きで、計六件ほど。間違えられたのはハルタというブランドのローファー靴だという。私にははじめて聞いたブランドである。踵の高さなどが多少違うだけで、ほとんど同じデザイン。これでは間違えるはずである。サイズが同じならまず気がつきはしない。 我が部の女子たちの靴を観察してみると、やはり判で押したように同じデザイン。どうも、こういうかたちの靴が今の流行らしい。落ち着いたオーソドックスなデザインで悪くはないのだが、それにしても、こうも同じものばかりでは個性もなにもあったものでない。それであの子たちはいいのだろうか。 履き物を脱いで座った時に、中のブランド名を覗いていたら、中にリーガルの子がいた。私のイメージでは高級靴のブランドといったイメージがある。高校時代にリーガルを履くなんて考えられないのだが、今はそういう時代なのだろう。 私は先日、茶色のカジュアル靴を新調したけど、買った場所はイオン。値段も推して知るべし。おっさんのファッションなんてそんなもの。
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NHKーBSで放映された若年性アルツハイマーに罹った主人公を描く上記映画を録画で観た。やり手の勤め人(渡辺謙)が、ものわすれがひどくなり、診察の結果、アルツハイマーと診断される。観客はこの映画を観て、この病気で、どんなことが本人にふりかかるのかがよく判る。記憶以外に方向感覚も怪しくなって迷子になるなど、本当に日常生活で自立できなくなる。 徐々に症状が悪化していく中、妻(樋口可南子)は、前向きに献身的な努力をする。その努力は、おそらくかなり優等生的に描かれていて、現実はもっと周りがボロボロになるのではないかと思われた。 最後に彼は妻も認識できなくなる。彼女は悲しがって泣くが、しかし、しっかりと寄り添って歩いていくところで、この話は終わる。この妻は最後まで立派な人で、樋口の抑制された演技は自然で上手かった。 淡々とこの病気の現実が描かれるだけの地味な映画だったので、我々夫婦は時々「大変だね」と呟きながらただただ静かに見入っていた。見始める時間が遅かったせいで、寝るのが深夜になった。定年後が気になる年齢の我々には切実なテーマであった。 ところで、私はこの一週間で、授業に行くのを忘れ、生徒が呼びにくるという恥ずかしいことを2回もしてしまった。 一回目はテスト前で大慌てで授業をして、疲労困憊して机に戻ってきて、その次にも授業が入っているのを忘れた。二回目は、前夜、テストの採点をして、疲れ気味で一コマやって、次のコマを忘れた。 パターンは一緒である。前コマで終わった気になってしまうのである。この頃、暑くなってきて、3コマ連続すると最後の方は頭に血がまわらなくなりクラクラする。 定年後どころか、定年までも結構ハードル高そうである。
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午前中仕事が入り、午後になって上記展覧会を県立美術館にて観る。日曜日ということで会場はかなりの混雑。 なんと言っても、圧巻は「銅造聖観音菩薩立像」。奈良時代作とは思えぬ良好な保存状態で、足下に本来追加されてはずの蓮の挿し木状のものをのぞけば、ほとんど完璧な姿ですっくと立っていらっしゃる。特に今回、光背を抜いた形で設置してあるので、印象が大きく違う。後ろをまわって背部の様子が観られたのは今回の展示の大きな意義。 後ろから見るご様子は、長髪がストール状の肩掛けの上に垂れ、背は抜いて体が露出しているが、斜めの布が肩から下がり、腰より下のスカートには二本の紐が垂れ気味にまわっている。後ろにも宝石状のアクセサリーが一緒に下がり、配色を想像しながら、現代人にあてはめると、派手派手な見るからにお洒落な姿である。観音は中性のはずだが、斜め後ろから見た腰つきは、出っ張らず適度に柳腰で、人間の性の色気とはまた微妙に違う、男も女も引きつけられるような特別の色気を感じる。 薬師寺は過去三度ほど訪れていて、観たことがあるものもあるのだろうが、全然、記憶がなく、今回、東塔の水煙の模造鋳造品が置いてあったが、それで、あの塔の大きさを実感できた。例の笛を吹く天女が描かれている炎のようなデザインのやつである。 展示品は、奈良時代・平安時代のものが多い。さすがに日本を代表する古刹。「日本史」の授業に出てくるものばかりで、スケールの違いに今更ながら感嘆しながら見て回った。有名な国宝「吉祥天女画像」は、二階の展示室にそれだけのために一番奥に置いてあり、。照明の加減でほんやりと浮かんで見えて幻想的であった。 最後に斑鳩路を巡ってもう何年たつのだろう。旅行という非日常なので、それなりに覚えているが、結構前のことに違いない。棟梁西岡さんの著書を感心しながら読んだこと、彼のことを話された小川さんの講演のこと、若い頃、近くの養護学校へ出張した時に見た東塔遠望。最初に行った時には西塔はまだなかった。そうした薬師寺をめぐるいくつかの記憶が脳裏をかすめた。歳をとると、「まつわる」とか「めぐる」とかいう付帯の記憶がたくさんついてくる。 帰り、いつもいく量販店でサンダルを購入。売り場も夏向きのものばかり。そろそろ夏が近い。
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結局着ないのだから、変な色のスーツは廃棄すべきであるというのが愚妻の主張。確かに最近の男性陣の服装、色に変化がない。 毎年来る教育実習生のリクルート・ルックが、紺色から黒色に変わってもう十数年たつ。この話は以前書いたように記憶している。みんな真っ黒。 先日の県総体、いつ違う動きをしたのものだから、ちょっと車窓からの景色が面白かった。バス停で勤め人たちが一列になってバスを待っている。それが判で押したように黒いスーツ。なかには女性も混じっていたようだが、これもパンツ姿で黒。よく見ないと性別さえ車からでは判然としない。朝の通勤風景。間違いなく日本は色の楽しみを失っているようだ。 先日の 授業で「襲(かさ)ねの色目」の「紅梅」が出てきた。二枚かさねの衣服の裏と表の配色にも日本人は名前をつけた。有名なのが「桜」で、表が白、裏が紅、表の生地が薄い時には、下の紅が透けてみえ、全体でピンク色にみえる。一番シンプルながら、よく判るお洒落な配色である。 「紅梅」も「桜」とよく似ている。表が紅梅色、裏が蘇芳(すおう)で、同色系を重ねて赤色を強調する。桜より赤っぽく派手な色彩である。二つとも代表的な赤系の色目。 この前、量販店の男性服コーナーで夏ズボンを一本買ったのだが、ずらっとならんでいるスーツは、はやり黒ばかり。買ったズボンの色ももちろん黒系。 で、今日は何が言いたいのかと言えば、実は色の話ではなくて、ここ一年で4キロ痩せて、この二ヶ月でまた一キロ痩せて、これまでのズボンが緩くなって、ちょうどいいサイズのズボンがなくなって困っているという話。 サイズダウンにシフトする話なので、めでたし気分。明るくこの話題を書くことができました。
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この前、古いアルバムを開いて、大学時代の写真をしみじみ見たと書いた。一番の友人だったT君と一緒に写っているものが多い。彼は某教授がこの大学勤務だったからこの大学を選んだ。、将来はその先生の門下生となり、研究者になりたいというのが夢で、目的がハッキリしていた人だった。飛び抜けて優秀で、私にはもったいないくらい。地元首都圏出身なので、車を持ち、あちこち連れて行ってもくれた。本当に世話になりっぱなしであった。私が大学生活を終え、最後に飛行機で帰る時、浜松町のモノレール駅下まで送ってくれたのも彼。その時はS女史も一緒で、その女史が亡くなってから来月で八年たつ。 大学院博士課程と予備校講師の二足のわらじを履き、多忙な生活を送る中、体を悪くしたところまでは知っていたが、その後、彼は友人たちと連絡を絶ち、消息がわからなくなった。以来、四半世紀以上。大学の名簿も空欄のまま。インターネットで検索しても、彼の昔の論文の名前が出てくるだけで、最近の活動がわかるようなものは何もない。もしも研究者の道を歩んでいるのなら、今の世、何らかのWEB上でのヒットがあるはず。 十年ほど前、何とか連絡をとろうとあちこち電話をしてみたが、結局、見つけることはできなかった。彼は今どうしているのだろう。見送ってくれた時のことを思い出して、一緒にいた故S女史のことが脳裏に浮かんだ途端、これまで考えてもいなかった、もしかしたら、もう亡くなっているのではないかという不吉な予感が心をよぎった。思い過ごしであってほしいけれど、いずれにしろ、仲良しだったのに、なんにもしてあげられなかった自分の怠惰が実感されて、今頃になって心が傷んでしかたがない。病を得た時、彼は強い挫折感を経験したのではないだろうか。結果的にほったらかしにしたことになる私を、彼はどう思っているだろう。 S女史の命日が近い。久しぶりに共通の女友達に電話をしたところ、彼女は女史と親しかった仲間数人とお墓参りに行くという。話を聞くと、女子会的な恒例行事になっているらしい。それには参加できそうもないが、いつか東京に行った折、私をお墓に連れて行ってもらいたいと私は頼んだ。それからもうひとつ、お仲間にT君の消息を知っているか聞いてくれるようにも頼んだ。
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さて、ところが、最近、若い人は独身だらけ。早く結婚しろとけしかけると、下手をすると「セクハラ」ということになって、どんどん言いづらい雰囲気になってきた。この手の話は避けられ、周りが小うるさく言わないので、ノンビリとしてなのか、後ろへ後ろへとずれていって、生涯独身、晩婚化、高齢出産などの近年の社会問題を招くこととなった。 仕事場も、昔は若い男女が遊びに行く時間的余裕とか、研修旅行とか、カップルが出来る状況が色々あったが、今や、そうした行事もなくなり、仲良く出来づらくなった。そもそも、プライベート自体、職場であまり話さなくなったので、昔に較べて、その家の様子がよくわからなくなった。つまり、職場は昔ほどアットホームでなくなりつつあり、結婚環境は悪化している。何とも今の若者は大変だ。右肩上がりの社会情勢で、あまり深い考えもなく、なんとかなると、あっさり結婚できた私達世代は幸せだったのかもしれない。
最近、テレビの映画やドラマをよく観る。ブラッド・ピット主演の映画「ベンジャミン・バトン・数奇な人生」(2008)は途中からしか観られなかったが、どんどん若返っていく彼の苦悩と、その彼への愛を貫く女性の気持ちが、時期時期を区切って淡々と描いていく作品で、しっとりとした男女の愛情を感ずることができた。観ながら、なんやかやと私なりにコメントしていると、愚妻から、「今年のアンタ、これまでと違って、えらくセンチメンタルになっているんじゃない?」と言われた。 確かに、そんなところがあるかもしれない。あの時、もっとあの人に、ああしておけばよかった、対応がへたくそだった。相手に悪いことをした、などと、三十年以上も前のことを今さら思い出してはくよくよしたりている。 そんな今の気持ちで、仲よし夫婦という訳でなくても、先ず何でも相談できる相手としての配偶者というところから新たな老後の関係を構築していきたいものだと、こちらは漠然と思っているのだが、愚妻は依然として、「鼻っぱしら」モード全開で、時々、喧嘩となる。なんで朝からそんなケンカ腰なんだと問うと、「こっちから喧嘩を仕掛けた覚えはさらさらない。」というご返事。 うーん、我々二人の老後は、しっとりと落ち着いたものになるだろうか。今から心配である。
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人は自分の悩みを聞いてくれ、味方してくれる人が一人でもいると生きていられる。それは親、配偶者、子、友人、どんな関係でもいい。この前、紹介したドラマのラストのナレーションがまさにそれを言っていた。 逆に言うと、どんなに血がつながっていても、自分を包み込んでくれる存在でないと、その人にとって、心の支えにはならない。心の問題を抱える生徒さんも、いない場合が多く、まだまだ大人でない心で、そうした状況は辛いだろうと思うことがこの商売をしていると時折ある。 そして、そうした生徒を見ていると、大人は大人としてそれなりにうまく対処はするけれど、根っこの部分は実は全然子供のそれと変わらないのではないかと思うこともある。大人でも一人は辛い。 結婚している人は、手っ取り早く配偶者がいる。何かあっても、さしあたって横に座っている人に相談できる。だから、キャリアを目指そうが、女の幸せを目指そうが、両立をめざそうが、結婚はしておいたほうがリスクを回避できるからしたほうがいいというのが結婚に関する実にシンプルな解答ではある。 外向的な性格で、どんな人とでもすぐ仲良くなり、友達も大勢いるというような人は、老いても相談相手がちゃんといるから問題はない。しかし、そんな人は多くはあるまい。 先日、研修で「横に座っている人に自分のいいところを30秒間言いなさい。」という課題が出た。どう言うか悩む課題で、かなり考えて、時間の最後の方で、なんとかこう言った。 「毎日、家事をしています。」 これだけじゃダメだろうと、もうひとつ追加して続けた。 「鼻っぱしらの強い奥さんと長年一緒に暮らしています。」 お隣の方、大爆笑。 今や私は、ソクラテスではないが、「悪妻といえども妻なり」の心境である。そういえば、ソクラテスも結婚を奨励していました。幸せにも哲学者にもなれると……。(つづく)
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今週は県総体。今年のチームは、当初、大丈夫かと心配したが、特に今年に入って、弓の引き分けが綺麗になって、一人前になってきた。下手な人があまりおらず、選手みんないいものを持っていた。練習も熱心で、部の運営もしっかりしており、ほとんど、こちらが「これはどうなっているだ」と怒るような場面もなくなり、本当に任せられる集団になっていた。 第一顧問は次々に練習を設定し、それに従って、武道館練習や強化合宿にと練習に付き合った。こちらは間引き運転だが、部員は結構なハードスケジュールを真面目に取り組んでいた。 反面、ここのところ、大きな伸びがなく、あれだけ練習しているわりには飛躍がなかった。その上、大会が近づくに従って「力み」が見られ、左右のバランスが少しずつ悪くなってきた。 本番もその傾向が続くのではと心配していたが、男子団体はギリギリ予選を通過した後、準決勝で、20射19中を出すなど調子をあげ、一位で決勝総当たり戦に進出し、四校総当たり戦では、2勝1敗で、2位となった。インターハイにこそ行けなかったが、強豪の優勝校に18中で競り勝つなど大善戦で、後ろで見ていて、その頑張りに胸が熱くなり、思わず他の顧問と握手したほどだった。顧問をしはじめて二十七年、自分の部がこれだけの的中を出したのは初めてで、感激の一日であった。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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