(紹介)四方健二著「詩集 雫」を読む
進行性筋ジストロフィー症で国立医王病院に長期入院中の四方健二君の、平成五年「軌跡」につづく第二詩集が発行された。全五十九編。二十歳半ばから三十三歳までの詩を収める。装丁も処女作に同じ。表紙に、彼が好きだという森林公園の大樹の写真を取り込んでいる。
横たわったままの彼の現実世界は極度に狭い。窓から見える季節の変化が唯一彼が知る外界とを舫(もや)う記号である。 そんな中で、彼の詩は、実に色彩感に富む。おそらく、ベットで遠く目にした蒲公英や燕や霰は、彼の心像の中で幻想され、動きはじめる。元気だった頃の体験や、健常者に仮託した自分とコンフュージョン(融合)する。彼の詩はすべてこうした「夢想の美学」を根底としていると言ってよい。 前作に較べて、各編が孤立的に存在しているというより、編々があたかも心象日記のように綴られたという印象がある。処女作にありがちな肩肘のはりが抜け、 そこに諦念や悔しさが激しく語られていようが、日常の中に、日々を見つめている作者の静かな想いが淡くたちあがってくる。
冬の夕暮れに 四方健二
冬の夕暮れに あられが降りそそぐ 低い雨雲から 氷の粒が降りそそぐ 道路に 地面に 私の手のひらに
凍えた手のひらが 温かい
重い雨雲の中、少し薄明るさも残る、ある冬の夕刻の景色。
第一連は、北陸人として、ありふれた光景だ。ここでの「私」は、外に立って霰を手に受けている。だが、それだけでは、普通、第二連での「温かい」とは感じないだろう。いくら手がどれだけ凍えていたとしても。 実際は、彼は病室で横になっている。病棟は温度管理されていて温かい。外とは厚いガラス窓で仕切られていて、外気の冷たさや実際の霰の冷たさを彼は実感出来ないでいる。それが歯がゆい。 彼は外に立ち、霰を受け止める自分を夢想する。道路や地面に降りそそぐのと同じように、自分にも霰が降りかかっていることを、彼は懐かしんでいるかのようだ。 血行がよくなく、実体として冷たい自分の手が枕の横に見える。その手に、彼は霰を載せてみるのだろう。 どう感じるか。冷たい嫌なものだろうか。いや、それは懐かしい想い出。霰は、彼にとって冷たいという、そのもののメゾン・レートル(存在理由)を失って、自分にとって、温かい親しい存在となる。 彼の詩は、多くこうした仮構のフィルターを通って、「真実」になっているように思える。
稿者は、作者の四方君をよく知っている。彼の第一詩集出版にも微力ながらかかわった。あれから、はや七年。第二詩集の出版が、以来、彼の目標であったことを知る者として、まず、心から達成おめでとうと言いたい。
以下、私的な想いの断片。
気管切開で言葉を失うのからと聞いて会いにいって以来、会っていない。気管支不調となり喘息で苦しんでいることも、この「あとがき」に書かれている。「去る者日々に疎し」の諺ではないが、十五年の月日は、この私に、特に用もないのに病棟に行くという行動を阻む心を醸成させてしまったかのようだ。気軽に、よう元気かと顔を出せばいいではないかと、もう一人の自分が反問するのだが……。 だから、ここで話すのを許してほしい。顔を出さないからといって、貴方や同症の貴方の仲間のことを忘れた訳ではないことを。 昔、貴方の仲間が死んだ時、言った覚えがある。生ある我々ができることは、いつまでも彼への思いを持ち続けることだ。もしかしたら、仏教でいう供養の心というものも、本質的には、同じなのではないかと。 勿論、貴方も私も、今、この世に生きている。次元が違うと言われればその通りだし、すごく言い訳がましいと自分でも感じているのだけれど、でも、私自身が、そういう想いで、貴方の書いた詩を読み、貴方を思う、それもいいのではないか、思いは通じるという気持ちも、どうも私にはあるようなのだ。 あの頃一緒だった宮上とうさんとも、よく貴方の話をする。全然、病棟に行っていないという。宮上さんも、やはり私と一緒なのだろう。 「今は、前に、とにかく、前に進まなければ。」(あとがき)と書いた貴方の前進を、宮上さんや私のように緩く外の世界にいる人も信じて、そして、なにもしないでいますと伝えておきたかったから……。
「それより、ちょっとは会いに来てよ。」と、貴方にたしなめられそうだ。妄言多謝。
連絡先 石川県珠洲郡内浦内浦町小木二ー一一ー一 四 方 二 三 男 電話(〇七六八)七四ー〇八八八
「詩集 雫」四方健二著 定価1200円
(平成十二年二月十五日発行)
(文学誌「イミタチオ」第36号 平成13年3月)
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