ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。
エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
|
2009年09月19日 :: こまつ座「兄おとうと」を観る |
|
|
こまつ座「兄おとうと」を観る
民本主義の吉野作造と官僚として大臣にまでのぼりつめた弟信次の対立と兄弟愛の物語。 原作は単行本になったすぐに読んだ(新潮社・二〇〇三年十月発行)が、字面ではもっと対立しているイメージだった。しかし、芝居では、まわりの登場人物の動きや細かい動きも大きく印象に加わってくるからだろうか、底にある兄弟愛の部分がしっかり描かれていて、イメージが違った。再演の際、手直しがあったということなので、そのあたり、補強しているのかもしれない。 芝居ではピアノが伴奏で、歌が時に混ざる。そのせいで、そういえば、井上芝居を観るのは久しぶりだったということに気づいた。そのくらい彼の芝居のひとつの型になっている。 作者の主張は、国民を憲法の中心とする吉野作造の上に載っており、弟信次は対立項的存在で、判りやすい。 日本は法治国家なのだから、法(天皇主権の旧憲法)の網を守れというのは当然のことだとする弟と、「勉強したい子が中学に上がれないのはなぜ」という疑問を「がっちり受け止める法律をなに一つ用意していない」のだから、「安心して法の網に身を預けることなどできない」と批判する兄。二人はついに絶交するに至る。 作者は、吉野が、弱者や貧者を救済する施設など、本来、「日本にはすでになければならないのにまだないもの」を自力でどんどん創立してしまう「一人でやろうとする病」にかかっていると登場人物に指摘させている。それは、そのまま作者の吉野像なのであろう。 彼は、それら事業を成り立たせるために、講演会を掛け持ちし、書きまくらねばならず、常に「世間に顔を出していないと不安な、目立ちたがり屋」の「街頭学者」だと世間から馬鹿にされていると信次に指摘させている。これも、当時、誹謗的評価も決して少なくなかったことを作者は我々に知らせている訳で、国民に人気はあったものの、今の感覚で言うと、多分にジャーナリステックな側面があり、決して厳格なだけの学術的な人物として評価されていた訳ではなかったというイメージが伝わってくる。こうした点にも触れることで、堅苦しく見られがちな学者が主人公のこの物語に、人間的魅力を植え付けようとしているのである。 後半、二人の対立は理想主義と現実主義の対比でもあることを、作者ははっきりと示しはじめる。「五十すぎての理論は、すべて幼稚な空論にすぎない」と信次は言う。作造は、心底、理想主義者であった。それも底抜けにお人好しの楽天家。理想を求めて何が悪いんだという態度を本人は貫く。この生き方を見るにつけ、我々観客は、近年、理想を忘れ、弟信次のように現実主義でしかものを見ていなかったことに気づかされる。 最後の再会の場では、姉妹である二人の妻たちが、示し合わせて夫たちをだまし、旅館で引き合わせる。妻たちは、旦那の寝言から、本当は嫌っている訳ではなく、実は各々をすごく心配していることを知っている。あれだけボロクソに言う弟でさえ、東大教授から朝日新聞顧問へ、それも半年で辞職という、世間的に観ると下降選択をし続ける兄を「もったいない」と心から心配しているのである。 その作戦は、図に当たり、二人は仲直りをする。「法の網をもっと緻密に張り巡らせる」ことで国民に真っ当な生活ができるようにするという信次に、それならそれで「しっかり性根を据えてかかれ」と励ますことで、命が長くはない兄は、弟に日本の未来本を託すのである。 昭和初期、議会無視の軍国主義が台頭する中で、立場は違えど、目指しているものは実は同じ。その目標が風前の灯火になっている状況の下、二人ははじめてお互いの考えを認めることができたのであった。 ただ、この物語の主題上の結論はそれでぴったりと「締め」になっているが、これまでの話の流れから、人間的な関係の修復にまでさっと至ってしまう結末は,少し性急すぎて、話を終わらせるためのような感じが残ったのは些か残念であった。 場面はエピローグに入る。作造は程なく亡くなった(昭和八年)と妻たちの唄によって我々にしらせ、その他の登場人物のその後を語る。そして「これでおしまい兄おとうとのはなし」と子供芝居的な御陽気な歌詞で終わるのである。 作者の主張はおそらくこうである。右翼の青年を出してきて、右翼の立場を喋らせ、天津で教えた袁世凱の娘を出してきて、金と力の独裁ではダメなことを語らせる(実際は袁世凱の長子の家庭教師)。では、国の根本は一体なんだという問いを出してきて、それは民族でも言語でも歴史の共通性でもないと一つ一つ外していき、最後に、「ここでともに生活しようという意志」「ここでともによりよい生活をめざそうという願い」だと語らせる。それが、作者なりの吉野の民本主義理解の核心である。いわば、民族を超えたグローバリズム的な、アメリカの建国精神とも共通する人間愛的な博愛精神である。これは、あるいは、吉野の思想を利用した井上自身の願いそのものであるといったほうがよいかもしれない。おそらく井上は、自分の作品の主題が理想主義的で空虚だと批判されることは重々判っているのだ。その上で、でも、それを忘れてはいけないのではないかねと開き直って問いかけているのだろう。それをどう受け取るかは今度は我々の判断だ。 人物伝として、井上はこれまで樋口一葉など何人もの伝記的作品を書いてきたが、これもその一つ。手法的にも同じやり方を踏襲している。一人だと弱いと踏んで、弟と対比することで、小難しくなりがちな政治論も判りやすく封じ込めることが出来ている。その手腕はさすが手慣れている。 吉野家には十二人の子がおり、作造は長男、信次は三男であった。本当は、大勢の中で一番仲のよかった兄弟だったという。信次の役人生活の中で、色々と便宜を図ってやったり、助言などもしていたという。同じ国が相手の仕事に進んだのだから、いわば同業者的親近感も他の兄弟より強かったのだろう。 他の登場人物では、出入りしていた青木存義なる人物も実在している。芝居の通り、唱歌の仕事をしており、童謡「どんぐりころころ」の作者として名が残っている。そのあたりの綯い交ぜのしかたは天才的である。 ただ、兄の死後、大臣にまで出世した弟に対し、妻玉乃の歌の歌詞で「兄の教えがこの弟に生かされたのか、よくわからぬ」と言わせている。しかし、これは、おそらく作者の正直な感想には違いないだろうが、ちょっと「逃げ」をうった気がしないでもなかった。ここまで来て、「わからぬ」で放置のままはちょっとないだろう。 他に、四幕目、同宿の町工場主人と人買い女が実は兄妹だったという話は、議論ばかりになってしまうのを避けるために出してきた「具体例」を企図したと思われるが、うまく絡んで効いているという感じは受けなかった。再会できて「めでたし」という話にせず、行き違いで終わるなど、もっと民の苦しさを直接訴える挿話のほうが、逆にシンプルに観客の心に刺さって効果的だったかもしれない。もっと、この辺りの展開が面白ければこの作品の評価もあがったはず。名作というにはちょっと弱いところ。 役者は六人のみ。しかし、それを感じさせない。本の上手さと共に役者の技量も褒めねばならない。歌は皆巧み。剣幸という女優さんは宝塚出身という。道理で。辻萬長さんは井上芝居の大看板。存在感たっぷりである。 吉野作造記念館のWEBサイトによると、晩年、信次は次のように書いたそうだ。 「兄の民本主義思想は危険視され、世間からは相当迫害、少なくとも白眼視されたまま、昭和8年、55才で世を去った。当時愚兄賢弟の噂すらあった。世の中が落ちついてみると、やはり私たち兄弟は賢兄愚弟と相場がきまったらしい。」 民本主義とは民主主義のこと。兄の先見性は明らかで、弟の世俗的成功など世の代が変わると、もはや知る人とて少ない。信次の口吻は、兄への思いにあふれている。(2009・9・19)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
感想をお寄せください。この「ものぐさ」のフォームは、コメントやトラックバックがあるブログ形式を採っておりません。ご面倒でも、左の運営者紹介BOXにあるアドレスを利用下さい。
(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
|