ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2009年09月23日 :: 庄野潤三死去 |
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「第三の新人」の一人、庄野潤三が二十一日死去した。「プールサイド小景」「静物」は、家庭の脆さを日常の淡々とした生活を描く中で浮かび上がらせた名作であった。平野謙が作品を読み違えたと評価を変えたり、強力にプッシュしたりと彼の地位確立に大きな影響があった印象がある。 私の大学時代、庄野氏の御子息が在学しているという縁で、学内で講演会があり、謦咳に接したことがある。穏やかな話しぶりで、難しい文学論というより生活の報告のようなお話だった記憶がある。それはその頃の氏の穏やかな家庭小説そのままのようなイメージで、当時、生意気盛りだった私は、生活の陰に潜む危機感を描くのを忘れてしまっては、小説として余りに弱いのではないかという気がしていたので、講演にそれと同じ物足りなさを感じた覚えがある。 記憶をたぐると、第三の新人では、安岡章太郎、遠藤周作両氏の講演を聴いている。この際、その印象記も記したい。 安岡さんの講演を聴いたのは、同じく四半世紀ほど前、東京九段下の九段会館でだった。確か岩波書店肝煎りの講演会で、講師は学者さんとお二人。最初は軍事が専門の大学教授で、核弾頭巡航ミサイル「トマホーク」の脅威についての話、安岡さんはアメリカ滞在の時の印象記だった。 学者さんの現実的かつ分析的な話の後に、安岡さんの素朴な実感話があって、二つの毛色の違いにびっくりしたが、異種を組み合わせた方が聞き手は飽きないとも言えるわけで、いい方法なのかもしれないと後で思った。 この日のことをなぜはっきり覚えているか。それは、安岡さんとトイレで連れションしたからである。古い会館なので、講演者用トイレがないのだろう、休憩の時、我々観客が使っていたエントランス横のトイレに、ご免なさいよという感じで入ってきた。観客と講師が揃ってトイレの図は、なんだか微笑ましくて、話の内容はうろ覚えだが、それだけははっきり覚えている。 もそもそとしたしゃべり方で、行きつ戻りつ、ようやっと話をまとめたといった感じだった。ご本人も繰り返し弁解していたが、人前でのお話は苦手そうだった。 遠藤周作さんも、やはりその頃、別の講演会でお話を聴いた。小学館かどこか出版社の肝煎りで、場所は有楽町あたりのホールだったはず。いたずら好きな狐狸庵センセイであるから、もっとひょうきんな人かと思ったが、意外に低いお声で、真面目に話された。この時も、通路におられた時にチラリとコート姿のお姿を拝見したが、長身なのには驚いた。外人と並んでも遜色ない身の丈である。どことなく着こなしもダンディな印象の人だった。
実は小島信夫もどこかで聴いたはずだが、さっぱり思い出せない。 いずれにしろ、懐かしい学生時代の体験。 庄野潤三は享年八十八歳。安岡は一つ上のはずである。
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