ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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昨日、亡き父がお世話になった福祉団体の長が亡くなったと聞き、通夜に参列した。つい一ヶ月前、その方から感謝状を受け取ったばかり。その時はまったくお元気だったので、驚くばかり。喪主の挨拶によると脳梗塞とのこと。父が後進に道を譲って数年、亡くなって一年も経たぬのに、十五歳年下の現役の方があの世にいかれるとは……。今ごろ、父も「お前、なんでここに来たんだ!」と驚いているにちがいないと家族で話が出た。 先日参列したご葬儀の折り、「正信偈」が配られ、それを懐に入れていたので、一緒に唱和する。声の上がり下がりの符号がついているので読みやすく、これまでのように、じっと聞いているだけよりも、早く時が経った。 ここ石川は真宗王国、九割がた葬儀は今回のように真宗式で行われる。この前は、「正信偈」の後、「白骨の御文」なる蓮如の手紙を読み上げていたが、朝に生き夜に死す世の無常を説き、最後に阿弥陀仏を信じ念仏を唱えるようにと促す内容であった。また、我が家は、月に一度、亡父の法事があるので、その度に法然の遺言「一枚起請文」を唱和しているが、これも、ただただ念仏せよ、それ以外に奥義はないという内容。 宗派に違いはあるが、結局、私が聞いているお経は、ほとんど全部、理屈など考えず、阿弥陀仏を信じて一心に念仏を唱えよと言っているということになる。昔は、如何にも民衆仏教である鎌倉仏教らしいなというくらいにしか思わなかったが、理解不能な漢字の羅列のお経を読むにつけ、「これを深く勉強しないとあの世には行けないよ」と言われたら大変だったという思いを強くする。大切なことが書かれてあるから、全然、意味が分からなくても、横の振り仮名通りに読めばそれであの世に行けるよと言ってくれていて助かった、気を楽にしていられるという気持ちに最近なっている。 歳をとったのかもしれぬ。
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