ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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高校時代に「谷崎源氏」を読破したにはしたが、以降、原文自体は仕事で有名箇所や問題集で出てきた部分を教えているくらい。今年、久しぶりに「源氏」の冒頭を授業でして、最初のほうはさすがにそらでも覚えているが、少し後になると、「へえ、こんな文章だったんだ」状態となった。毎度毎度、新鮮に下調べ。 大学で何度も古文を読んで、だいぶ読めるようになったなあと嬉しく思った感慨だけは今でもはっきり覚えているが、その後、「源氏」に限らず、一つの作品とじっくりつき合うということもなく、校務の合間に自転車操業で出てきた箇所を調べるという人生を送ってきたので、一向に勉強が進まない。それどころか歳で単語は徐々に忘れぎみ。古文はもう死んでいる文章。英語のように語学力を磨く機会もない。 今回、下調べをしながら、その折りその折りの登場人物の年齢が非常に気になった。おそらくこの二人、こういう年齢差でこういう状況なら、おそらくこういう気持ちだったのだろうと類推して読みすすむ。自分がその年齢を通りすぎたからこそわかる登場人物たちの感情。読むたびに読みが深まるとはよく言うが、それは、登場人物は止まっているが、こっちはどんどん歳をとっていくから。 最初の妻、葵の上を亡くしたのは、源氏がまだ二十二歳の時、葵の上は二十六歳。それに対して紫の上の死は、源氏五十一歳、紫の上は四十三歳。 四歳年上、十二歳で結婚して十年ほどしか連れ添わず、そもそも最初から意中の人でもなかった葵の上の葬儀の時のことを、源氏は三十年後の紫の上の時、すうっと思い出す。 「かれはなほものの覚えけるにや(あの時はまだものを判断できたのであろうか)」(「御法」) 源氏は若かった自分をまるで別の人のように思い出す。あの時のことで思い出すのは、明け方で「月の顔の明らかに覚えし(月の様子がはっきりとわかった)」という外の景色の記憶くらい。そんな微細な状況のみが記憶の引き出しから出てくる。人はいつもこうした記憶のしまい方をする。 女児だったころから育て上げ、連れ添い、自分の方が先に死ぬものと思っていた男の、八歳年下の妻に先立たれた感慨はいかばかりか。 しかし、本文では、出家の意志にブレーキをかけていた妻の存在がなくなったことにより障害は何もなくなったが、すぐ出家したら弱い男と世間に思われてしまう、すぐには出家できないなという源氏の世間体を気にした判断もしっかり書き加えられている。まさにこの歳らしい判断。紫式部はあくまでリアリズムのようである。 この時の彼は今の私の世代。高校生の頃、上り坂の源氏を描く第一部ばかりが面白く、ベクトルが下になる第二部はあまり面白くなかった覚えがある。今、三十歳代後半以降が描かれる第二部を通しで読むとどう思うだろう。気になりつつ、授業が終わったら年度末業務に突入して、そのままになってしまうというのも、おそらくいつものパターンである。
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