ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2010年02月01日 :: 大学は人を駄目にしている? |
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かなり以前、接客業の現場責任者の方とお話ししたことがあった。その方は、大学出の新採のことを「鉄は熱いうちに打て」にしては遅すぎで、常識や熱意がない育てがいのない駄目人間ばかりだと嘆いていた。まるで大学は人間をダメにすると言わんばかりの言いようで、実際そうした人を多く見てきた結果の発言なのだろうが、人を使う立場の人がそうした考え方ではと、正直、情けなかった。 それからしばらくして、ある自営業の方と話をした。彼によると、最近の生徒も先生も、「実社会」と遊離している。子供たちはあまりに過保護に守られ、実社会の厳しさを知らない。だから、卒業すると世間の荒波に翻弄されてしまう。これは教育として本末転倒で、学校教育はたくましく生き抜く「智恵」の習得こそ大事なのだという論調であった。 ここまでは、もっともだと思ったが、彼が、勉強のできる人にはしっかり勉強してもらい、各界の専門技術者になればいい、しかし、彼らの技術を使って大きなことをするのは、勉強してきた人ではなくて「智恵」のある人のほうで、専門知識のあるなしは大きなことをするのには何の関係もないと言い切るところに至ると私はかすかに違和感を覚えた。「智恵」と「勉強」を完全に分離して考え、勉強した人を技術専門職に限定して下位に位置づけて見ているような気がしたのである。 お二人とも、勉強を最上位だと思っていない点が似ている。勉強をしても知恵は育たず、それどころか、勉強によって逆に何かが疎外されてしまういうイメージが根底にある。 そして、今、そうした考えは世間の常識としても徐々に形成されつつある。大人の意識における勉強の地位の急降下である。勉強はそこそこで充分というのが最近の大人の最大公約数ではないか。 でも、ちょっと待てと思う。「そこそこ」人間ばかりで日本は大丈夫なのだろうか。 愚妻は、よくテレビなどで「理数は難しい」という何気ない意見が吐かれるたびに、そんな大人の決めつけ発言の繰り返しが、結局、「理数嫌い」をつくっているんだと嘆いているが、確かにそんな面があるかも知れない。大人全員が理数は面白いと繰り返し子供に語れば事態は変わる可能性がある。同様に、まず、大人全員が「勉強は楽しいねえ。」「勉強は人を創る。」と繰り返し語れば、何か変わるかもしれない。 勉強を教えている立場の人間として、何か違うなあと思った二つの会話。教育関係者でない人と教育について話すと違和感を感ずることが多い。こっちの感覚が変なのかしら?と不安になる。
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この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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