ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2010年02月22日 :: 指導者はつらいね |
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オリンピック観戦は人生の楽しみ。「日本がんばれ!」と、夜はにわかテレビっ子になる。ゴール直前での駆け引きなど、スポーツの醍醐味を味わえて楽しい。ただ、夜のダイジェストだけでは、本当の楽しさが判らないのがちょっと残念ではあるが……。 ところで、日本選手は、ボード選手の服装問題に始まり、ルージュの重量オーバー失格、スケルトンの認定シールなしの失格、男子フィギュアの靴紐切れなど色々出てきて、話題に事欠かない。ちょっとだらしない話ばかりで、国民の多くは「あれあれ?」といった気持ちになっている。 靴紐は、直前練習で切れていたのを、足の感覚が違ってしまうのを嫌い、結び直して出たらしい。この選手はどうすべきかコーチに相談したのだろうか。指示か自己判断か、それで大きく意味合いが違ってくる。 最初の服装問題の会見の時、私は指導者が変な弁護をしていたのが気になった。本人も本人だが、指導者がもっとしっかり指導できなかったのかという声も当然多く上がっていた。 スケルトンの場合、シールを貼ってなくても、連盟が登録番号を把握している違反のない橇なのだから厳しすぎるのではないかと監督は抗議文を手渡したそうで、これも、恥の上塗り、逆恨みだと評判が悪い。 実は、ある競技の某選手が途中でスパートして仕掛けたことに対して、そのコーチが「彼はお祭り男だから、何かやってくるだろうとは思っていました」とコメントしたのを聞いて、私はそれが打ち合わせ済みの作戦ではなかったことを知ったのだが、その時、そんな客観的なことでいいのだろうかと思ってしまった。そして、はたと気がついた。 つまり、コーチと選手の関係が昔と変わってきているのだ。昔は、鬼の監督がいて、それに否が応でも服従した。その代わり、任せるべきところはまかせて、結果的に水はこぼれなかった。 今はおそらく、サポートする人といった役割なのだろう。選手の意志は最大限に尊重される。「上から下」ではなくて「対等」かスタッフといった立場。その分、おそらく口に出せない部分も出てくる。すべてがうまくいっている時はいいが、お互いどこかに油断があって、それが悪いタイミングで合致するとミスになる。 昔は指導者と選手、どちらのミスかがはっきりしていた。判断した人がミスをしたのだから、多くの場合、指導者である。 でも、今は、選手の判断がそれなりに通る、あるいは優先される。指導者は、どこで選手がミスをしそうになっているかさえ明確に判らない立場に置かれているのではないか。責任はお互い様。しかし、世の常識として、試合内容以外でミスは、今でも指導者が責任を問われる。指導者は一歩間違うと、言い分は山ほどあるにもかかわらず、すべてを引っ被って黙らざるを得ないという、つらい立場になる。 では、どうするか。指導者は選手に嫌がられないように留意しながら、ラインを引き、コミュニケーションを緊密にし、フォロー体制を強化するしかない。当然、何もかもご丁寧路線。 これ、今の日本社会に起こっていることと同じである。
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この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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