ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2013年01月07日 :: (つづき) |
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そんな中で、私自身はといえば、なんだか、まわりの「生死」の動きを漫然と眺めているだけの存在のように感じられて、少々淋しい気持ちに陥っていた。我が家は四半世紀大きな生活の変化がないので、尚更、そう感じるのかもしれない。人は動いているが、自分は止まっているかのような感覚。 生老病死はプライベート、通常、公的には表立たず進行する。噂や口コミでふわっと表立つ時があるだけ。そんな時は大抵、死など既に結果となって現れる場合がほとんど。私は、何も動いていないように見える表面だけを眺めて、色々なことに気づかないまま過ごしている「ぼんやりさん」だったのではないだろうかという気持ちが湧いて困った。もっと陰ながらの応援やお祝いがしてあげられたのではないか、もっと生きている時に何かしてあげられたのではないかなど、自分がコミットできなかった悔いの気持ちも湧いた。そんなのが上手くないなあと今更ながら自分の性格の至らなさも悲しかった。 もちろん、そうはいっても、自分が実際に止まっている訳ではない。私自身、大きな流れの一員で、当事者であることもまた当たり前のこと。今、夫婦ともども老いの影がさす。ぼんやり色々なことを先送りしていてはいけない。無理はしないが、したいことはして悔いを残さない、そんな気持ちでいなければ……。
長年、終末期ケアに携わってきたあるオーストラリアの看護師の出した本(『The Top Five Regrets of the Dying』)によれば、死を覚悟した患者さんの多くが悔恨の言葉を残すそうだ(YAHOOによる)。
「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」 「自分自身に忠実に生きればよかった」 「もっと素直に気持ちを表す勇気を持てばよかった」 「友人といい関係を続けていられればよかった」 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
これらの言葉を読んだ時、こうした気持ちで死んでいく人は確かに多いのだろうなと思った。仕事一筋で生きてきて、死を迎える時、もっと自分自身の生を活かす努力をしておけばよかったと悔いる。仕事をしている人なら誰でも理解出来るいのち末期の心情である。いい人生だっと満足して終えるのは理想だが、そんな人は稀。「悔いがないと言えば嘘になるけど、おおむね悪くない人生だった。」と振り返ることが出来たなら上々。少なくとも、上記のような悔恨だけが膨れあがったまま亡くなるようなことだけは避けたい。 大車輪で動けはしないが、それでも、今の狭い生活環境の中で、最後に「悪くなかった」と総括できるように、少しは潤いのある生活、心に余裕のある生活、みすぼらしくない生活を心がけたい。今年の目標の設定は如上の心境による。
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