ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2013年01月23日 :: 割れ鍋に綴じ蓋 |
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仕事で使った川上弘美の小説の中で、困った行動ばかりする妻にと離婚した夫が、しみじみと自分は「とじ蓋」になれなかったのではないかと回想するシーンがあった。この時の夫の心情を問うた問題のマルつけをつけていると、「自分が彼女の変な行動へのフォローが完璧にできなかったことへの後悔」というような答えが大多数であった。フォローとかカバーとかいう言葉がよく出てくる。ニュアンスが違うので、ちょっと違うなあと困惑していたら、「閉じ蓋」と書いてある答案があって、それでようやく気がついた。自分が蓋として鍋に蓋をして彼女の失行をバックアップするという意味にとっていたのである。 「割れ鍋にとじ蓋」ということわざは「ヒビの入った鍋にもそれに相当するつくろった蓋があるように、どんな人でもそれ相応の配偶者がいる」(「広辞苑」)という意味。「とじ蓋」は「閉じた蓋」ではなく「綴じ蓋」、繕った蓋のことである。だから、妻は人に迷惑をかける困った人ではあったが、では、自分が彼女にとってそれ相応なパートナーであったのかというと、そうでもなかったなと、夫として苦い思いを感じているというのが答えである。 このことわざ、もしかしたら、大人でも多くの人が間違っているのではないかと思ったが、どうだろう。 お似合いの夫婦であるということは言っているけど、勿論、褒め言葉ではありません。陰で揶揄する時か、自分たち夫婦のことをへりくだっていう時の言葉でしょう。でも、なんといっても肝心なことは、まず、割れ鍋でない人をパートナーに選ばないとねえというのがこの雑文の結論です。選んじゃうと大変。
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