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 荷風のビュジュアル本を読む


 続けて永井荷風紹介本を読んだ。
 『図説 永井荷風』(河出書房新社)は、写真や図版をふんだんに使って永井荷風の人となりを紹介した文学アルバム。江戸東京博物館で開催された荷風展(一九九九年)をきっかけにして、六年後の昨年上梓されたもの。
 同種のものでは、「新潮文学アルバム」中の一冊『永井荷風』(新潮社)がある。二十年以上前の出版ながら、今でもカタログに残るロングセラーシリーズで、コンパクトなハンディタイプの好企画。だが、ほとんど白黒写真でビュジュアル的に古くなっていたことは否めない。
 それに対して、こちらはカラー刷りで判型も大きく、今ではこちらを薦めるべきだろう。説明もこちらの方が詳細で楽しめる。
 川本三郎は、冒頭、序章で東京散歩の達人としての荷風を強調し、担当する後半生でも、その視点で人間荷風をわかりやすく描く。ところが、共著者で前半生を担当した江戸東京博物館学芸員湯川説子は、「日和下駄」「江戸芸術論」など、この種のビジュアル系本にしては異例なほど内容を詳細に論じていて、作品論的アプローチが目立つ。表現も論文的である。代表作を書いた時期を湯川、全盛期を過ぎた時期を川本が担当したため、それはしかたがないという面もあるが、多少の不統一感が残った。
 また、湯川は、イデスとの情交を「愛欲にまみれた感傷」で「荷風の煩悶は、恋か芸術かではなく、いかにイデスと別れるか(中略)ということのみであった」と、ちょっと突き放したような評価を書き加えているが、川本の文章は終始暖かい。荷風の恋愛に対する男と女の受け取り方の相違が出ているわけだが、これも、一冊の本として、ちょっと不統一なように感じた。


  永井永光他『永井荷風一人暮らしの贅沢』(新潮社)はトンボの本の一冊。独居人としての日常にスポットを当て、身嗜み、食事、愛した街、花などをキーワードに、「断腸亭日乗」の記述を基に紹介しているので、読み物としてシンプルで分かりやすい。
 荷風の持ち物の写真は永井永光所蔵のものをプロの写真家がボケも美しく撮し、ゆったりとレイアウトしたもので、同じものは『図説』のほうにも多くあるが、あちらは切り抜きで使っていたりして、写真を楽しむという感じではない。
 町並みや花写真などのイメージショットも多数収録されている。資料として古い白黒写真を多く入れざるを得ない『図説』に較べ、白黒ポートレート写真を、机の木地を耳にしてゆったり接写することでカラー化するなどの手法を用い、混在を回避して、堅苦しさを排除している。つまり、こっちのほうがオシャレである。
 話の中心は、どうしても昭和、それも市川移住以後になるが、それもよい。荷風愛好家も、日乗に頻出する食べ物の実物や、行きつけの店の現在の姿などが判って興味が尽きない。ただ、巻末の春本「ぬれずろ草紙」の抄訳と解説は余分であった。永井永光秘蔵ということで、以前公表したものを再録したのだが、流れに合わない。ちょっとサービス過剰である。
 荷風の文学は、今の感覚で読むと、古めしかしくて読みにくいというのが、一般的な感覚ではないかと思う。筋に劇的な面白さはなく、人物も実に類型的。豊富な和漢の詞藻と情感溢れる描写に真髄がある。それに、彼の生きた時代を理解した上で、彼の文明批評的立場を実感して、はじめて全貌に触れ得る。だから、読者の成熟度に合わせて、何度読んでも発見があり味わいが違う。そうした意味で、人間荷風をまず理解するというのは、彼の場合、きわめて正当な入り方であるように思う。
 だから、この本、愛好家はもちろん、文学自体はあまり読んだことはないが、荷風という個性にはちょっと興味があるといった人にうってつけである。
 私は、最近、彼の作品を読む時、電子辞書を傍らに置いている。知らない表現を見つける毎に辞書を引き、その言葉の世界に遊ぶ。荷風は、本当に豊穣な日本語の使い手だといつも感心する。
 今はそうした付き合い方をしているが、老境に達し、そんな勉強的態度でなくても、作品世界、隅から隅まで全部よく判る、それ以上何をかせんやの境地になったらいいなあと思いながら、今は今で、今の境地を楽しんでいる。(2006.8「ものぐさ日記」より転載)

 

永井永光『父荷風』(白水社)を読む
  荷風の従兄弟、杵屋五叟の次男で、荷風の養子となった人による回想記。去年の六月の刊行。子供の頃、従兄弟二人の間で養子縁組が決まっていたが、仲違いなどで、廃嫡問題がおこるなど、決して順調ではなかった立場の人である。荷風と一緒に暮らした期間もきわめて短い。
 そうした人だから、一部には、あまりよく言わない人もいて、実際、荷風の文献を調べていると、はっきり悪く書いてあるものもある。著者も自分は当時「悪者」扱いされたとはっきり書いてある。市川の荷風最後の家に移り住んだ当座、マスコミや近隣の人から白い目で見られていたという。血が遠い、荷風自身、最終的に望んだ後継者ではなかった、著作権などのお金の問題が絡み世間からやっかみを受ける、など、妻子ともども大変な目にあったようだ。
 彼の職業が飲食業で、文学とは縁のない一般人であったことも 彼が世間から軽んじられた原因になっていたかもしれない。関係者からしてみれば、文学をよくも知らない若造が、法律的に嫡子扱いになっているだけで……という具合に映っただろう。
 ここに語られる荷風を直接知る友人、作家、編集・出版関係者、みんな生存していない。作者は、ようやく、自分の立場を語ってもよいと思ったのだろう。関係者が生きている時に語れば、何をどう言ったって非難する人がいる。だから、これまで故意に口をつぐんでいたのだろう。
 彼は彼なりに、荷風が残したものを守ろうとした。市川の家に今も住み続けていることにも驚いたが、小改造をしただけで、書斎もそのままにしている努力にも敬服した。彼は充分誠実に守るべきものを守ったと思う。
 親が荷風の養子になどと決めなければ、ごく普通の人生を歩んでいたはずである。一人の文学者が亡霊のように彼の人生を死ぬまで決めてしまった。自分の人生の大部分を荷風荷風で費やさねばならない。そんな大変な人生を歩まされた人である。
 昭和七年生まれ、今年七十四歳。荷風死して既に四十七年たつ。彼は、浴びせかけられた非難を、一生かかって、態度で反論しようとしたのではなかっただろうか。そして、それをみんなに知ってほしかったのではないだろうか。読んでいて、このことを強く感じた。
 おそらく、年齢的に、この本が荷風を直接よく知る人の最期の回想記になるかもしれない。五十年近くの歳月は人を挨たない。

 後は余瀝。
 私が気になっている人物について、文中に触れられていた。
 当時、全集出版を岩波に決めた永光に対し、これまでの故人とのつきあいを無視した独断だと非難した中央公論社の故嶋中鵬二が、晩年、尋ねてきたという話がさらりと書いてあった。詳しくは想像するしかないが、この時すでに命短いことを予感した嶋中が和解と別れの挨拶に来たのではなかったか。作者は、荷風文学が読み継がれるということにおいて、自分の決断は間違っていなかったとはっきり断言しているが、これは、結局、中央公論社は経営破綻したではないかと揶揄しているようなニュアンスで受け取れる。嶋中は、当時はいろいろ取り巻きがいたからとその時言い訳したそうである。
 鵬二は、著名な先代社長、嶋中雄作の息。谷崎ら多くの文学者と交流があった。若くして社主になり、深沢七郎『風流夢譚』事件で右翼に刺されたことでも有名である。晩年には、会社が左前になっていく事態も直接見つめねばならなかった。彼を知る出版関係者の筆になる内幕記はいくつか散見されるが、その文学交遊も含め、全体像を掘り起こした人物伝が出ないものか。私は密かに期待しているのだが……。(2006.2.14「ものぐさ日記」より転載)


 

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