ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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「義経記」の予習をしていて、なんだか「勧進帳」そっくりな話だなというのがあった。「如意の渡しにて義経を弁慶打ち奉る事」なる章段。「義経記」には同じような話が何度も出てくるのだろうかと思って調べると、話は逆で、この話が後に能「安宅」や歌舞伎「勧進帳」に発展したもので、「義経記」自体に例の安宅の関でのやりとりの話はないのだという。 「如意の渡し」は小矢部川にあったらしい。石川で有名なこの話のもともとは富山の話ということになる。そもそも「義経記」自体が事実から百年のちの成立で、全面的に記述を信用すべきものではないが、安宅の関での出来事は架空ということは間違いないようだ。 「義経記」では、叩くのは扇子であって錫杖ではないし、渡し守は義経と知らぬまま通してしまう。当然のことながら、「勧進帳」のほうがより劇的な操作がしてある。 それにしても、子供の頃に遠足で訪れて刷り込まれ、富樫、義経・弁慶主従の銅像も建っている地元で有名な古典ゆかりの場所が、後年の作り話だったというのは意外で驚いた。赤穂浪士の討ち入りの事実があって「忠臣蔵」があるといったレベルの潤色で出来上がっているものと思っていたのである。 芥川龍之介に「狢(むじな)」という短編がある。娘が恋する男の唄を親に誤魔化すために狢の声だと嘘をついたことが、ついには世間全体に信じられるようになったという話である。作者は最後に言う。「すべてあるということは、畢竟するにただあると信ずることにすぎない」と。 また、少し話は違うが、親孝行で有名な曾子の、その母のことも思い出した。「戦国策」に出てくる話。誤って「曾参が人を殺した」と母に嘘情報を持ってきた者がいた。母は信用しなかった。しかし、三度同じ報告が来るに及び、あれだけ信じていた母も大慌てしたという。嘘であっても何度も言われると人は信じてしまうという話である。我々は何度も何度も「勧進帳」の話を聞かされている。それで、能、歌舞伎という文学作品であるにもかかわらず、史実だと思い込んでしまったのかもしれない。 加賀の国の住人で、このことを知っている人はどのくらいいるのだろうか。
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