ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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修理していた愛車を取りに行ったついでに、夕刻、有名な鶴来のほうらい祭りを見物した。以前この地に勤務していたことがあり、色々話は聞いていたが、実際に造り物が練り歩く様を見るのははじめて。 本来、金劔宮の秋祭りで、まず、露店が出ている石段下の通りを冷やかす。この階段横に旧鶴来弓道場があって、そこでかなりの時間を過ごしたので、私はよく見知った通りである。 最近、これだけの店が出ているお祭りを見ることはなかった。小さな子やそれなりの歳の子がで大勢闊歩している。何故か女の子が多くて皆ちょっとおめかししているように見える。昔変わらずお面を売っているかと思えば、人気キャラクターのグッズを並べたくじの店、「はしまき」「串焼き」などの食べ物店と、並ぶ商品は多少変われど昔ながらの露店が両サイドにひしめいて活気があった。いわば、非日常の、子供たちのための空間。くじで大きなバルーン人形をゲットした女の子が自慢気にそれを抱きかかえているのも微笑ましい。 この後、祭りの呼び物の行列はどの辺りかと、巡行コースのパンフを見ながら探す。造り物五体のうち、後尾の鏡獅子と孫悟空を見つけ、行列を追いかけるかたちで全て見る。他に真田幸村、上杉謙信、伊達政宗の三武将。間に獅子舞隊が二つ入る。先頭は白装束の一群が担ぐ御輿。担ぎ手は厄年の男衆だそうだ。 造り物は家々で止まり、祝儀を受け取ると感謝の口上を述べる。各戸は家を開放し、誰彼構わず酒肴を振る舞うのがしきたりで、暗くなる頃には皆完全に酔っぱらいとなる。行列に同道して写真を撮ったが、列の周辺からは清酒の臭いがした。造り物の挽き歌(祭り歌)は、正確には聞き取れなかったが、風刺の効いたものや卑猥なものも混ざっていて、田舎らしい素朴で粗野な印象。 ここは誰々の実家だね、本人は戻っているだろうかねなどと愚妻と話してるとその女性にばったり出会ったりして、短い時間に地元がらみの方、数人と久闊を叙した。 日が落ちるのが早くなり、夜に弱いマイカメラ(K-7)ではブレ写真の量産になった時点で見物を終了する。時計を見るとまだ六時すぎで、会った方の話によると最後尾が御旅所(造り物仮安置所)に着くのは深更に及ぶという。これからもっと本格的な酔っぱらいの大集団となっていくのだろう。彼女の同級生連中は、もう担ぎ手から祝儀を管理したりする袴役(羽織袴の出で立ちの随行監督者のような役目)へとリタイヤしているそうだ。大昔に較べると淋しくなっているそうだが、はじめて見る私には興味深かった。 結局、喧噪の中、露店で粉物を食べようという気が起こらず、帰宅途中の小さな昔ながらの洋食店で夕食にした。客は我々より年上のご夫婦のみ。自動車屋さんでもらったエコ装置のついた新車のパンフを眺めながら静かにいただく。 ああいったハレの場が子供の心には強く残る。私は自分の子供の頃の氏神様のお祭りのわくわく感を思い出していたが、そんな気持ちがベースになって、いずれ担ぎ手になり、老いて袴役になってと祭りをつなげていくのだろう。長く盛んな祭りであれかし。
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