ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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石川県立美術館で開催中の須田国太郎展を観に行く。京都を中心に活躍した洋画家の没後五十年回顧展。 当初、美術史や美学を専攻し、青年期、スペインに留学、プラド美術館の絵画を模写して独学で実力をつける。最初の展示室にはその模写が並んでいたが、既にして技術的には充分。帰国後の絵は、日本を描いてもどこか南欧の田舎を描いたような赤褐色の暗いイメージのものが多かった。彼の地の風土やヨーロッパ各地で見聞した西洋画の手法が大きく影響しているように感じた。 時間をかけ丁寧に書かれた大作に秀作が多い反面、戦後、洋画界の重鎮となり、俗事に多忙を極めるようになった後の作は、白が混ざり色彩も華やかさを持ったものに変化して、時代に対応していったようだが、どうも少しく完成度が落ちているような印象を受けた。 腕は確か、暗い重厚な作風は自己のスタイルとして完成されていて、大きなブレもない。西洋絵画である油絵の表現を日本の絵画としてどう定位させるかという点をテーマとしていたが、おそらく大きな枠組みとしては西洋絵画で、その中に今となっては少なすぎるほどの日本的な題材や墨画などの表現方法を混ぜ込んだあたりに着地した画家ではなかったか。京都画壇の重鎮ではあるが、世間的には知名度がなく、半世紀を経た現在では、彼の写実主義の理念も含め、乗り越えられている面も多々あって、梅原や安井らと較べて地味な印象は否めない。そのためか、連休の午後にもかかわらず、閑散として入場者はごく少数であった(館内の辻口の菓子店は相変わらず順番待ち)。 個人的には、京都郊外の自然が残る中、遠景に工場を、手前と右サイドに川を配した「工場地帯」が、安定した構図で、一見何の変哲もないように見えながら力強く迫ってくる感じで印象に残った。 美術館横の公園では特設ステージを組んで「本多の森せせらぎ公演」なる野外イベントが行われていたので、幾つかの出し物を見た。珠洲に伝わっている、おそらく一般には地鎮祭や起工式にあたる基礎石打ちの祝い行事「石場かち」が興味深かった。祝詞や寿ぎ歌を奏上してから立てた大木をみんなで引いて土台を固める。半世紀以上石川に住んでいるが、こうした風習が地元に伝わっているのを初めて知った。 日程が上手くできていて、終了すると今度は美術館で「ミュージアム・アフタムーン・コンサート」が始まる。そこでこれも聴くことにする。地元マリンバ奏者平松智子のソロ。トレモロを効かせて「この道」や「見上げてごらん夜の星を」など日本の名曲を嫋々と聴かせる。下のパイプで増幅される木琴の音は思ったより大きく、館全体に響いていた。使用している楽器はオクターブ上下拡大した長尺版で、あんな長いのははじめて見た。ロール奏法はロマンティックで魅惑的だが、ジャズファンとしては、最後の「リズムダンス」(ウイッチバー作)のような、上がり下がりが激しく手数の多いリズミックな難曲のほうが楽しい。 さっと美術展だけ観て戻ろうかと思っていたのに、オマケがついて、小さな秋の行楽のようになって、いい祝日の午後となった。
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