ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2010年01月09日 :: いろいろな色 |
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吉原幸子「忘れた」という詩に「赤なら赤 ということばでふりかえる するともう 赤はない」というフレーズが出てくる。これは、その色を見た時には微妙な色あいまでしっかり直観的把握が出来ていたのに、「赤」というレッテルを貼って記憶の倉庫に入れた途端、常識的な「赤」の範疇に押し込めてしまい、本当の色の実感をなくしてしまうということなのだろう。 この詩を読みながら、私はインク工房のインクブレンダー石丸さんとのやりとりを思い出した。思い通りの色を作ってもらうため、こちらはイメージを説明する。それに基づいて石丸さんが基本となる色を作り、それから何度も試し書きをして、もう少しこういう色でと注文をつけ、根気よく微調整していく。実に地道な作業である。 この時、大切なのは言葉である。よりスムーズに思った色に着地するには、こちらの説明の仕方がいかに大事か、初めて行った時、痛感したので、二回目の時には事前にどう言うかをかなり考えて臨んだ。しかし、結局、紆余曲折、大迂回した。言葉を用意していてこれである。言葉が介在することの歯がゆさが、そこにはあった。 おそらく、あの時、石丸さんは、こちらの細かい注文のうち、矛盾して出来ない注文の部分はオミットして、お客さんが納得してくれるだろう大きなイメージのほうを大切にしてインクを調整していたような気がした。インクの特性というこちらのあずかり知らぬ部分もある。私自身も、こちらが細かい注文をすればするほど最初に言ったことと帳尻が合わなくなったのを感じた。漠然としたイメージで説明するというのは、あまりいい説明ではないと最初は思っていたが、実はそれが一番大事なのかもしれない。 自分がしっかり見た色でさえ、記憶というフィルターを通ったら怪しくなる。ましてそこに言葉という曖昧模糊なものが介在すると、正確に伝えることは至難の技。だが、人は言葉が頼りだ。 古典には本当に多くの色の名前が出てくる。今は和服の世界以外ほとんど使わなくなった色目の名も……。先ほど言った大雑把さを避けるには、細かく名前を設定していくのが一番判りやすい方法である。いにしえ人はそれに従ったのだろう。色の名前の多さは、つまり、みやび心の現れである。それでも「心を尽くしたる装ひども、数々には筆にも及びがたし。かかる色もありけりと、珍しく驚かるるほどになむ。」(おりゐる雲「増鏡」)などと書かれてある。 今、引用した部分は、後嵯峨上皇の高野御幸の様子を述べた箇所。お付きの装束の多彩な色を述べ褒めることは、そのまま盤石な御代を言祝ぐことになる。何とも色の世界は奥深い。
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