ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2012年10月05日 :: ボランティアでゴミ拾い |
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ゴミ拾いの行事があった。何度もこの種の行事の参加しているので、どういうところにゴミがあるかは判っている。そこで実施前に参加者に説明した。 1、住宅地では、家の前はその家で綺麗にしているので、ぱっと見、ゴミは落ちていない。道や歩道の真ん中に堂々とゴミを捨てる人はいない。植え込みなど人目につかないところにそっと隠すのが人情である。だから、見下ろしているだけではダメで、ゴミは探し出すものである。 2、きれいになっている所にゴミは捨てづらい。ちょっと汚れているところに、ここならいいだろうと捨てる。だから、そこはゴミ捨て場でもないのにゴミがまとまっておちている。これも人の情である。そんなところを見つけたらゴミは大量にある。 3、燃えるゴミはそう多くない。そのほとんどはタバコのフィルターだ。労力はかかるが嵩が増えないのが特色。そのつもりでこまごまと拾って欲しい。 この種の事前説明は、観点を提供し、それに向かって作業を能率化するという意味で有益である。しかし、すでに答えを出してしまっているとも言える。考えなくても、その通りにすれば、それなりの結果はでる。しかし、試行錯誤して、自分で納得し、身につけるというプロセスが省略される。自分で気づいてこそ、しっかり覚える。 教育はその都度、この二つの方法論を彷徨する。何も言わないと、「ゴミなんか全然なかった。」で終わるのがオチだから、事前に言うのはいいことだという意見が大勢を占めたが、このパターンだけでやっていくのはよくない。いつも悩むところ。
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