ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年10月17日 :: 速水敏彦『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書)を読む |
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半年ほど前、読書離れ対策で「本を読む時間」というのがあった。ある生徒が内職をやっていたので注意したら、この本面白くないという。以前読んだことがあるのかと聞いたら、今、数頁読んだだけの判断だという。そんな自分勝手は許されると思うかと聞いたら、許される、面白くないものを強制することの方がよほどおかしいと自信をもって反論された。 ある先生、廊下で女生徒に注意をし、どこのクラスの誰ですかと尋ねたら、そっちこそ先に名乗るべきではないですかと言われた。ちょっと職員室に来なさいというと、「今から用事があるので、行くつもりはありません。」と、悪びれた様子もなく、きっぱり拒否されたという。 この種の、大人から見るとびっくりするような「不遜感」に、最近、あちこちで出会うようになった。問題生徒ではない、ごく普通の生徒がみせるの態度だから、なおさら問題を感ずる。どうも今の子供は、先生を先生、大人を大人と思っていないところがある。先の廊下事件など、町で女性に声をかける変なオジサンと同じ扱いをされたのだろう。 教員は、会議で、今の子供の現状を、勉強面素行面、色々なテーマで分析する。そして、今の子供はかくかくしかじかの傾向があると結論づけ、では、どういった対策がいいかを考える。もちろん、我々は教育学者ではないから、学問的統計的に把握するわけではない。教員全員の共通認識と納得があれば、そういうものと考える。 この本の著者は教育心理学の大学教授。我が勤務校の何人かの先生が読み、日々感じていることが分析されているからと勧めてくださったので、私も借りて読んだ。 確かに、ここに挙げている事例のいくつかは、我々の周囲で実際に起きている。作者は、今の若者の努力しないにもかかわらず自分は有能だと思いこんでいる様子を「仮想的有能感」と名付け、他人見下すことで自己の精神の保全をはかっていると分析する。他者軽視することで、仮想的有能感を持ち、そのため、努力を軽視するので、努力経験が乏しく、当然、失敗して傷つき、その心の傷を他者軽視で埋め合わせようとするという悪循環を起こしているのだというのである。 こうした、最近目につく若者の心理に着眼し、新書レベルでまとめたのは、この本がおそらく最初の部類だろう。現在、数十万部のスマッシュヒットになっている。過去にデータを蓄積させた統計資料などがあるわけもなく、過去と比較しての分析ができづらい分野を、できるだけ順序立てて、有名な本なども紹介しながらを論を進めている。子供が書いた作文は考え方が出ているからいい分析資料になるはずだが、昔のものはまったく残っていないと著者は困っているが、まったくその通り、国語の先生は、年度が終わると生徒の書いたものは返却か廃棄してしまい、手元に一枚も残っていないのが普通である。(つづく)
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