ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2009年04月19日 :: 「四方健二 朗読交流会〜詩とゴスペル心の声」を聞きに行く |
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昨日、音楽堂交流ホールでひらかれた四方健二君の詩の朗読会を聴きに行った。今回は地元ゴスペルとのグループとのコラボレーション。詩の朗読と歌が交互に披露されたが、よく考えられた構成で、あっという間の楽しい一時間半だった。コラボは大成功。運営もスムーズでスマート。ゴスペルメンバー、金子奈美アナウンサー、運営ボランティアスタッフ、皆、手弁当の暖かい協力に支えられた会であった。 病棟が新しくなり、少し高台に移ったことが大きいのだろう、彼の新作は、自然を見つめ、自然の息吹を広く大きく見つめる視点が中心で、新しい展開を予感させた。そうした印象をもったのは、冒頭、スライドで日々の生活を紹介していたことも関係しているかもしれない。彼の日常が想像できて効果的だった。 ただ、詩については、言葉が過剰で長くなり、色々なイメージを詰め込みすぎているという気がした。私が彼に出来ることは詩についてのコメント。それをどう表現して書き送ろうかと考えていたところ、偶然、その夜のNHKテレビで作詞家吉岡治が語っていた話にヒントを得ることができた。 彼はヒットに恵まれず、売れない時代が続いたそうだが、都はるみ「大阪しぐれ」で大ヒットを飛ばす。しかし、彼は最初その理由が判らなかった。隙間だらけの詞だったからである。 言われてみれば、確かにこの歌、一行一行にはイメージがあるが、バラバラで、全体として何か一つの説明になっているわけではない。しかし、その隙間だらけがよかったのだということに後で気づいたそうである。大川栄作の「さざんかの宿」もしかり。次の行との関わりが薄く、状況が確定された話ではない。でも、全体として人妻を愛した男の切なさが滲み出る。この「隙間だらけに作る」というのは、吉岡一生の極意のようだ。 曲という足枷があって長さが決まっている歌詞の場合、言葉ですべてを言い尽くすことなど不可能なのだろう。後は聞き手にお任せする潔さが必要なのだ。私は彼の話にひどく納得した。そこで、私は四方君に以下の内容を書き綴り、メールで送った。 「せっかく見つけた言葉でも、時には捨て去る勇気も必要。詩というは、我々聞き手(読者)のイメージを飛翔させる空白の部分がいる。言葉をどんどん捨てて、言葉少なに語る中に一つのイメージがこちらに浮かび上がってくるというのがよい。今度は、是非、短い詩にチャレンジしてほしい。」 まったくもって吉岡の尻馬に乗った格好だが、これは間違いなく詩の本質そのものである。
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