ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2009年04月26日 :: (つづき) |
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別の方の講話では、東京都の教育の流れを説明した部分が印象深かった。 昭和四十年代、都に学校群制度ができて、名門校が凋落したのは有名だが、その際、都立に「進学指導禁止」の通達が出されたのだという。当時、つめこみ教育の緩和、学校格差の是正が錦の御旗だった。教育現場では、表だって進学指導をすること自体が憚られる雰囲気となり、職場の志気が上がらなくなって、進学指導は「業者の仕事」ということになったらしい。 今考えると噴飯ものの通達であるが、これが長く現場を支配したという。私の在京時代、勉強が出来る子は私学へ、出来ない子は都立へ、都立が無理なら受け皿になっている私学へ、と言われていたが、それを思い出した。 平成八年ごろより改革がはじまり、平成十三年、日比谷高校など進学重点校制度が発足、十五年に学区制が廃止になって、ようやく自主再生の活力が生まれてきたという。三十五年もの間、都立の教育は澱んでいたというわけである。 今回、都の流れを知るにつけ、戦後の教育の進みがグネグネとしたものになって、それが決していい結果となって現れていなかったことを改めて実感した。その時その時、声高に言われていた課題にレスポンスよく対応していた結果の連続がこの「揺らぎ」を生んでしまったのは間違いないことである。 この講師は、目先の目標や制度を押しつけられそうになっても、校風を守り、保護者・生徒の満足と進学実績を残すことで、荒波を乗り越えることが出来た、つまり、学校の伝統として変わらない部分をしっかり堅持することが重要だと強く訴えた。 今、紹介した二つの話は、どちらも正論で納得できる内容であった。しかし、講演聞きながら、あの時、暑くて動かぬ頭は、変えろ変えろと言われて、すぐ後に、今度は変えるな変えるなと言われたような気がして、ぱたっと思考が止まったのであった。ある時は「即応」せよ、ある時は「遅応」(?)がよい。なかなか案配が難しい……。 (こんな結論では、表題を「講話を聞いても、なんにも考えなかった」に変更したほうがよさそうだ。)
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