ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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理科の同僚から質問が来た。「教科書に粒状のことを「果粒」と書いてあるけど、いつからこの字になったの?」というもの。 辞書では「顆粒」しかない。「顆」は、「つぶ」「まるい」意、だから「顆粒」は同じ意味の漢字を並べた熟語。常用漢字にないから「果」をあてたのだろうと予測はついたが、「果」は、もちろん「くだもの」や「はて」の意である。辞書に説明に同系の文字とはあったが、これでは、どう見ても「くだもののつぶつぶ」という意味にしかとれないので、あてたことにならない。教科書にそう書いてあっても、「顆粒」で教えて下さいと力説した。 つい最近、同じようなことが私の授業でも起こった。教科書範囲の漢字小テストで「セキバク」という熟語を出して、黒板に答えを書いていたら、センセイ、違っていますという。生徒さんのテキストでは「寂莫」になっている。私の手持ちの教科書ではちゃんと「寂寞」。その時は同じ教科書でなぜ違っているのか判らなかったが、私は新品、生徒さんの方が前年から使っている一年古い版だったので、どうも、昨年、教科書会社にクレームが来て、今年、通用の漢字に戻したというのが真相のようだと気がついた。調べた辞書の説明の中に、「寂莫とも書く」とあったので、間違いではないようだが、これも、難しい漢字は使わないでおこうという配慮からだったのだろう。 今の世の中、昔に較べ、漢字や言葉を厳密に使う雰囲気がなくなって、意味が通ればそれでよいという風潮になってきた。厳密であるはずの教科書の安易な漢字の書き換えは、そんな雰囲気を一層助長するのではないかと心配である。 「この熟語は、ずっと昔からこの字なの。つべこべ言わず、難しい漢字も丸ごと、それで覚えなさい。」という、ある種の融通のなさが、今、必要ではないか。 (以上は昨春の話。載せ忘れて今頃になった。つまりは、ストック記事。)
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