ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2011年07月16日 :: 不幸な一時期 |
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選挙で議員を選んでいるのに、ストやデモなど直接行動をするのは何事かという批判に対して、議員は、利害が対立し調整が必要な時の法的権威付けの専門家としてあるのであって、私たちは、生活や生き甲斐までも議員に託している訳ではないのだから、憲法ではそれが判っていて直接行動が保障されているだという高橋和巳の文章(「孤独の憂愁の中で」)を授業で読解した。あの時代の匂いのするかなり昔の文章で、定番使いの問題集に載っている。 生徒に「歴史上存在した不幸な一時期の残像によって、直接行動の権利が当然のものとしてあるのだということを帳消しにしてしまってはいけない」とあるが、この「不幸な一時期」とは具体的に何時のことか? と聞いたが、どのクラスも答えることが出来なかった。 言うまでもなくこれは、「これまでの非民主主義体制が、第二次世界大戦での大量の死という大きな痛みを経て崩れ去り、国民はようやく民主主義を手に入れ、この直接行動を認める憲法を得ることができたのだ。このことを我々は忘れてはならない」という意味である。 日本人が今の民主主義を手に入れる前に「不幸な一時期」があったということを、言われなければ気がつかない子供たち。戦争があって、ポツダム宣言はいつ誰が会議に出席したか、などということはしっかり習って知っているが、それとこれとが繋がっていないのだろう。 当たり前のこととしか思えないこんな認識さえ欠落している世代が、どんどん多数派になっていく。 しかし、今度の原発事故で、こうした新しい世代にとって、はじめて新たな「歴史上存在した不幸な一時期」を経験し、且つ認識することになった。 もし、高橋の時代だったら、原発反対の市民集会があちこちで開かれ、何十万人が参加しただろう。そしてそれはひとつの輿論として動かせない意味をもつことになったかもしれぬ。 しかし、学生集会も、市民集会も、デモやストも、ほぼ私たちが若い頃くらいで姿を消した。我々は、あの頃のことを一抹の寂しさ苦さとともに懐かしむ「『いちご白書』をもう一度」を、そのまた年若の高校時代に聞いた「三無主義」世代である。我々の大学時代、何回か交通機関が賃金要求でストをしたのにぶつかって、移動に困ったのがほぼ最後の出来事かもしれない。 高橋の危惧は現実となり、飼い慣らされた日本人は直接行動をしなくなった。何万人規模の集会で国民が意思を示すということもなくなった。国民がパワーを発揮せずに沈黙している以上、高橋の定義でいう「利害が対立し調整が必要な時の法的権威付けの専門家」が「思惑」と「利権」を基に、世論調査の結果も少しは考慮して、粛々と仕事をしていくだけということなる。そこには思想も長期的ビジョンも希薄である。 新しい「不幸な時期」を、不本意にも得てしまった我々が、嘗ての「不幸な時期」を経て手に入れた権利やら正義への力やら熱意などもろもろをすっかり忘れて放棄同様にしている現状に、草葉の陰の彼は切歯扼腕していることだろう。 あの不幸から民主主義を得た我々は、今度の不幸から何を得るのだろうか。我々日本人の叡智が今試されている。
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