ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2013年04月03日 :: ドラマの原作本を読む |
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テレビドラマ「いつか陽のあたる場所で」(NHK「ドラマ10」)に感銘を受けて、その原作「いつか陽のあたる場所で」「すれ違う背中を」「いちばん長い夜に」(いずも新潮社)を順番に読みすすめた。全体的にテレビより軽いタッチで描かれている印象で、若い人を意識した書きぶりである。 話の中心は、一回り離れていて性格も大きく違う二人が、前科持ちという痛みを共有し、前向きに生きようとする「女の友情物語」で、テレビドラマの根幹をなしていた「親と子の絆」は大きく取り上げられていない。そこが一番の違い。だから、芭子の母も綾香の父も出てこない。 基本的には谷中での日々の生活が淡々と描かれている。行きつけの居酒屋の女が旦那にDVを受けながらついに美人局も働いた話、パンの耳ばかり買う男の話、商店街の店の家族喧嘩の話など、袖すり合う谷中の人々の人間模様が描かれ、二人の関係に大きな変化はない。 原作の大枠は、ドラマでは第一回放映分に大きく反映されていて、ドラマは後半にいくに従い脚本のオリジナリティが発揮され、かなり違った物語になっている。小説を読んでも、こちらがイメージする二人は上戸彩と飯島直子だが、小説とドラマはかなり別人格である。この小説からあのドラマを作ったというのだから、ほとんど換骨奪胎の世界で、脚本家のオリジナリティをもっと称揚されてしかるべきだろう。 最新作で完結編の三作目は、東日本大震災に芭子が遭遇する話が中心で、非日常性の強い、テイストの異なったものとなっている。それは作者自身が、この物語執筆のために訪れた仙台で実際に地震に遭遇したからで、その実体験が色濃く反映されていることは「あとがき」に書かれている。作者は、こうした大震災が絡む物語になるとは思いもよらなかったと書いているが、それだけ彼女の体験の重さを感ずるし、それがこの前科持ち二人の物語の取材旅行中のことだったことをなにか宿縁のように感じて、この物語の結末に深く関わりをもたせようと思ったのだろう。 作者自身が「あとがき」で彼女たちの今後の人生の展開を期待し、「私がこのシリーズを終えた後も、彼女たちはさらにあらたな道を探して、歩んでくれるものと信じている」と、まるで実際に生きている人のようなコメントをしている。小説家は時にこうした書き方をするが、震災に遭遇したことにした主人公だからこそ、なおさら、そう書きたかったのではないか。 ドラマでも触れていたが、原作では後半、殺人罪と強盗罪の背負っている罪の違いがクローズアップされ、綾香は迷走する。その代わり、芭子には南という弁護士の彼が出来、すべてを受け入れてくれて、彼女の心は安定する。確かに、彼女にとって一番いい職業の男性で、作者の工夫が光る。 ドラマと違うのは彼女自身が自分の口から真実を言うことができた点。泣きじゃくりながら告白するシーンはこの小説のクライマックスであった。ばれる形になったドラマも展開として観る者をどきっとさせ、引きつけたが、こちらも彼女の勇気と切ない気持ちがうまく表現されていて読む者の気持ちを揺さぶった。 1月からはじまった綾香&芭子の物語。テレビが終わり、そして昨夜本を読み終わった。もう彼女たちの物語がなくて、新しい彼女たちに会えないのがひどく残念な今日の朝である。
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