ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2013年04月21日 :: 二人の追悼番組 |
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今日は田中好子の三回忌という。午後、NHKアーカイブス「秘蔵映像でつづる田中好子さん〜キャンディーズから女優へ〜」を観た。 懐かしいキャンディーズ時代のお宝映像(中にはピンクレディとの競演まであってびっくり)や、女優として立派な演技をしている名シーンが流れた。仲間やマネージャーの証言などから、彼女がひたむきな頑張り屋さんで、人を愛し、また、多くの関係者から愛されていた様子がよく伝わってきた。震災の打撃が色濃く残る時期に亡くなったので、尚更、多くの国民はあの時の彼女の死をはっきりと覚えている。 人気絶頂の時、私たちにしてみれば、少し年上のお姉さんだったが、今、五十半ばの視点で、二十歳をすぎたばかりの彼女たちを眺めてみると、それぞれ可憐で、はちきれんばかりの若さが何とも眩しかった。軽々と歌っているようにみえるけれど、実に一回の放映のためだけでも、しっかり稽古されていて、立ち位置などの移動もスムーズ。あの時はそんなものと思っていたけれど、彼女たちは、実にしっかりとした「プロ」だったのだと改めて感じた。後年、努力することを歌手時代に身につけたと語っていたというが、女優に転身してからも、そのまま、ひたむきに役に向き合っていったのだろう。死に際しての女優への執着は、アイドル時代のイメージからは考えられない芯の強さを感じた。 当初から予定されていたこの番組の前に、先日亡くなった怪優三國連太郎を偲んだ特別番組が急遽組まれていた。その中に、ドラマ「老いてこそなお」(2004年1月放送)の再放送があって、そこにも田中好子が三國の息子の嫁役で出ていて、結果、二つの追悼番組は、早くから企図して関連をもたせたかのようになっていた。 このドラマは、三國と認知症の老人ホーム仲間(渡辺美佐子)がホームを抜け出し、二人が一番気にしていることを見届けに旅をする物語で、周囲は大騒ぎするが、彼らは、老いの悲しみを実感しつつも、あちらこちらで人生のベテランぶりを発揮し、結果的に、危機を迎えていた息子夫婦はやり直すことを選ぶ。舞台は岐阜県郡上八幡、福井県三國町・東尋坊と、金沢から日帰り圏内のよく知る場所だったので、なおさら親しみが増した。 二つの番組、NHKのブログに、「「スーさんとスーちゃん」をしのんで」と紹介してあるのを見つけて、ちょっと笑った。国民は皆、この愛称を聞いただけで、すっと彼らの顔を思い出す。
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