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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2005年12月10日
   赤瀬川原平『ブータン目撃』(淡交社)を読む

  一九八一年春、私は上京し、都会生活を始めた。新宿の紀伊国屋書店は、受験で初めて上京した時、人との待ち合わせに使った。地方の高校生でも知っている待ち合わせ場所の定番である。約束時間まで、ここが有名な紀伊国屋書店か、予想していたほど大きくないなあと思いながら店を巡った。当時、地下に小さなカレーショップがあって、その匂いが階上にも漂って食欲をそそったことを覚えている。
 何度目かの時、店内放送で、尾辻克彦のサイン会がある旨のアナウンスが入った。その年、『父が消えた』(文藝春秋社)で芥川賞をとった、その記念のサイン会だそうである。さすが東京、サイン会なんて経験したことがなかった好奇心いっぱいの田舎者は、よほど、本を買ってサインを貰おうかと思ったのだが、いかんせん、新生活当初で、お金が湯水のように消えている最中だったので、我慢した。それで、よく覚えているのである。その尾辻克彦こそ、赤瀬川原平その人で、この時は、遠目で見ただけ、ニアミスといった感じだった。
 赤瀬川原平なる名を知ったのは、東京の地図と文学作品とをくっつけて何とか言えることがないかと悪戦苦闘していた大学時代である。その時、建築史家の藤森照信の専門のほうの著作を読んで、その流れで、同じ路上観察学会仲間ということで、彼の本も読み始め、この人が尾辻と同一人物であることを知ったのだった。
 金沢に帰ってから、もう今から十年以上前のことになるが、「フードピア金沢」という市企画の冬の食談祭に、赤瀬川、藤森両氏がいらして、ご一緒のテーブルで鍋を囲んだことがある。お近くでお話ししたのは、その時が最初で最後。飄々とした話しぶりが印象的な人であった。
 それから、新解さん、老人力などの大ヒットがあって、彼の知名度は全国区になった。その後も、藤森氏が、実地の建築に乗り出し、屋根に草を生やした赤瀬川氏の奇妙な家を作った顛末など、両氏の著作を楽しく読んだ。
 数年前に、彼が県社会教育センターに講演にいらして、これも楽しく聞いた。気張らない、用意できた範囲で用意してきましたというような、柳に腰折れなしといった講演で、普通の人なら、もう少し気張って、何か情報を持って帰ってもらおうとするものだが、そうした気負いが何も感じられないのであった。スライドを訥々と解説しながらコメントを入れていく。彼の写真文集をそのまま見る思いの話であった。
 今回のこの本、『正体不明』シリーズと同様の造り。写真に紀行文がつく。前半は、経時的に入国以前から順に書いてあるが、途中から、印象に残ったものをトピック的に書くかたちに変えている。その方が面白いと思ったからだろう。
 最初、モンゴルの子供たちを見て、彼は自分の子供の頃の日本人を想起している。袷の着物のような服装は、実に物のなかった頃の日本の洟垂れ坊主そっくりである。こうした日本との類似性が彼の第一印象だったようだ。それが、途中から、違いのほうに目がいくようになるところが面白い。
 私は、以前、中国チベットのラサに行っているので、同じ山々のこっち側とあっち側、建物や風俗が非常に似通っていることに興味を抱いた。同じ文化圏だなあというのが写真を見ながらの素朴な印象。ラサは、今、漢民族が支配して、避暑地として観光地化しようと大発展中だが、ブータンは、俗化が見られず純朴である。
 トマソン、新解さん、老人力など、対象は刻々変われど、他の人と、ちょっと違った視点でものを観ると見えてくるものがあるというのが彼のユニークさの根元である。何の変哲もないものを撮していても、それに解説が入ると、確かに彼の言うように見えてくる。そのあたりの感受性のサイドスローぶりが持ち味。ジャズにスタイルがあるように、彼には彼らしい写真や文章の匂いがある。何度か直接お見受けし、その人柄を存じ上げているので、そうした意味で、芸術家の作品は、人そのものを表すという大原則が本当に納得できると思わせる方であった。

 

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