ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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祖父の残した古い建築資料を公開展示している展覧会を観に行った。場所は金沢市役所の近くの小ビル一階スペース。主体は金沢工業大学の建築アーカイブス研究所。図面などに幾つかの考証が付されていて学問的に研究した成果が見える。すべて祖父の設計ばかりかと思っていたが、研鑽のために模写したものも含まれているようだ。これらを研究の対象にして実際に展示に携わった学生さんとも先日電話で簡単な話もした。 興味のある人しか訪れそうもない分野なので、そう多い客数でもなさそうだったが、幾つか感想文ノートに書き込みもあった。孫のつとめとして、会場の写真を撮って、彼の子供たち(つまりは私の伯父・叔母)に送付した。今、このことを一番感慨を持って受け止めるのはこの二人である。車は二十一世紀美術館に止めたのでそちらの無料展示スペースも駆け足で見学。 その後、恒例の自動車屋さん主催の芋煮会に顔を出し、愚妻の職場の備品として雪用の長靴を買うため、職人さん御用達の店に行った。鳶職など外仕事の方の防寒用品を見ていると、これは弓道場での寒さよけに使えるのではないかというようなものもあった。 久しぶりに終日休めた休日はこうして終わった。しいのき迎賓館前,広坂通りの街路樹の葉も少しく散って舗道に舞っていた。秋も終わりにさしかかっている。
今散れとDNAの設計図
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七尾に出張があり、午前中、能登海浜道路をスイフトで走った。雪の季節以外は私が軽、愚妻がスイフトを占有している。今回は長距離なので交替。 インプレッサから乗り換えた当初は、ホイールベースが短いこともあり、自動車専用道路を走ると飛び跳ねる感覚があったが、今は慣れて、昔より緊張せずに速度を出せるようになった。エンジンもよくまわり、タイヤもしっかりしていて、コンパクトカークラスとしていい車であることを再度実感。 夏には恒例で七尾に行くが、秋の気候のいい日中にこの道を走ることなどなく、浜風を受けながら、クルージングするのは気持ちよかった。道も空いている。帰りは真っ直ぐな水平線に夕日の傾くのを見ながらの運転で、こんな景色を見るのも久しぶり。わたくし、あまり外部の仕事を引き受けていないので、基本、仕事場にいるタイプのサラリーマンである。
沿道には背高泡立草が満開で黄色が風に揺れていた。その間からはススキが顔を覗かせていたが、おそらく植生的にススキは蹂躙されているのだろう。こんなのも、街を出ないと判らないこと。 今回、研究発表を引き受けた。五十人ほどの前で話さねばならず、昨夜、家で予行をしたところ、予定時間の倍かかり、それを縮めないといけなかったので、それだけが心配であった。挨拶もそこそこに早口でまくし立てて時間におさめたので本当に慌ただしい発表であった。できるだけ、イメージしやすいように留意し、短い脱線も入れて話をつないでいったが、お聞きになった方は、面白がってくれたかが一番の気がかり。本人は面白いと思って話している訳だからねえ。 かつて同じ会で発表したことがある。あれはいつだったかと調べてみたら、四半世紀前だった。ちょっと昔のことだと思うと平気でこのぐらいのスパンになる。年寄りが平気で半世紀前の話をするのも宜なるかな。
海の雲釣瓶落としを隠しけり
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宇宙飛行士山崎直子女史の高校生向け講演を聴いた。難燃性の、青い作業着姿で現れた彼女は、実にすらっと背筋が伸び、歩き方も胸を張って颯爽としており、とても四十歳を越えた人とは思えない。私はその姿が弓道家と似ていると思った。弓道をしている方には姿勢のいい人が多い。彼女が講演の中でも触れていた「自己管理能力」が高く、自分に厳しい人なのだろう。 パワーポイントの写真を使って、学生時代から訓練生活へと話は及んでいったが、面接試験の様子や飛行士の訓練の様子は、彼女の面接官だった寺門氏の講話を二度ほど聞いたことがあるので知っている話が多かった。チャレンジャー事故は中学の時、コロンビア事故のため搭乗が遅れたという話もさらりと出ていた。危険でもあるのに選んだ理由を問うた生徒がいたが、答えを聞く限り、彼女に煩悶はなかったようだ。東大大学院では航空宇宙工学が専門。実に真っ直ぐに進んできた人である。 コミュニケーション力が必要という話は、英語ロシア語の習得という具体的な話の文脈でしか生徒は理解出来なかったかもしれないが、狭小空間で何人もが働くことになるので、そんな中でしっかり意思疎通をして、感情の齟齬が起きないよう、また、気持ちよくチームワークよく仕事ができるようにする総合的な「人間力」というような広い意味で使っていて、彼女が強調した「リーダーシップ」、対になっている「フォロアーシップ」、それに最後にあげた「状況把握力」と、彼女が重要視している理念すべては、やはり、巨費がかかっている「ミッション完遂のため」という一点に収斂するものであると感じた。 広い会場の最後列にいたせいもあり、また、彼女の話し方の癖もあって、言葉の末尾が聞き取れず、二割がた、こう言っているのだろうと予測しながら聞かざるを得なかったのは残念。彼女は今日一日で講演を三件こなし、日帰りで帰京したという。 講演後、情報を得ようと彼女の名で検索をかけたところ、今春、「離婚か?」というゴシップ報道が流れたらしく、ずらりとその話題が並んでいた。ネットはホントに俗である。検索をかけたことを後悔。
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十三日死去。一九二五年生まれ、八十七歳。学生時代からお気に入りの文学者で、沢山著作を読んだ。 高校・大学時代、『日本文学史早わかり』など古典の評論は、大局的視点を提供してくれて本当に有り難かった。大学の学者は細かい話をするが、彼は細部の検証を怠らずしかも話が大振りである。それはまるで彼の推奨する後鳥羽院の和歌のごとくであると昔から思っていた。特に和歌集での和歌の配列についての論考は斬新で、教授に提出したレポートにも盛んに引用した覚えがある。 彼の日本語や日本語教育への提言の本も結構読んだ『日本語のために』他。『文章読本』も実用書としては?マークだが、読み物として断然面白く、この本の提要である「気取ってかけ。」は、作文の時間に生徒に言う定番助言になっている。 彼の営業品目で重要なのはエッセイ。多くは蘊蓄随筆とでもいうべきもので「面白くてためになる」。『女性対男性』のような気軽な読み物も抜群の面白さ。多くは和田誠のイラストが付され、絵文共に楽しんだ。彼はエッセイの名手といってよく、文体を一時期真似たこともある。 彼の長編小説はどこか風俗小説の香りがするのが特色で、代表作『たった一人の反乱』がその典型。私は大学の夏休み、実家の暑い昼下がり、たっぷり時間をかけ、楽しみながら読んでいったのをはっきり覚えている。最後の終わり方は『虞美人草』のパクリかも。 一番の話題作といえば『女ざかり』。これは良くできていて感心しながら読んだ。技巧のデパートのような小説で、お話自体よりもそっちのほうが面白かった。紫式部と重ねた『輝く日の宮』もそうした踏まえを楽しみながら読むのが正解なのだが、ちょっと冗長のような気がした。人物を彫り深め、情を以て読者を感動させるというのではなく、登場人物はどちらかといえば類型的で、頭で作っている感じが漂う。正直、一番下手だったのは小説ではなかったかしらんと内心思っていたが、どうだろう。おそらく彼の資質は、例えば中村真一郎などと同様、批評的精神のほうにある。 以上、訃報を知って、まったく思いついたまま書いた書きなぐり。買ったままで読んでいない近作エッセイが手元にある。それを読まなくては。
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九月三十日は仲秋の名月だったが、大潮で満潮時に台風17号が日本を襲うということで、ニュースは繰り返し注意を呼びかけていた。太平洋側とは違いこちら側の影響はなかったが、残念ながら月は見えず。愚妻は前々日に大きくかかる月を観たそうだが、私は結局今年の月を見損ねて終わった。 今年は暑さが長引き、九月下旬でも真夏のような日があったりしたが、今月に入り、ようやくこの季節らしい過ごしやすい日々が続くようになった。朝晩は既に寒く、早朝、パソコンに向かっている時も、これまでより一枚多く羽織らねばならない。昨日は今年初めておでんを作った。食べ物も冷たいもの系から暖かいもの系へ。朝方、珈琲をすすりながら見る生協のチラシには暖房や防寒服が出てきて冬の準備を促しているかのよう。 行事関係が多く一つ終わったかと思えば次の仕事がやってくるといった塩梅で、慌ただしさが募るこのところ。うまく秋の季節を味わう行動を入れておかないと、あっという間に冬籠もりの季節になってしまいそうである。
雲厚く喰うだけとなる芋の月
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石川県立美術館で開催中の須田国太郎展を観に行く。京都を中心に活躍した洋画家の没後五十年回顧展。 当初、美術史や美学を専攻し、青年期、スペインに留学、プラド美術館の絵画を模写して独学で実力をつける。最初の展示室にはその模写が並んでいたが、既にして技術的には充分。帰国後の絵は、日本を描いてもどこか南欧の田舎を描いたような赤褐色の暗いイメージのものが多かった。彼の地の風土やヨーロッパ各地で見聞した西洋画の手法が大きく影響しているように感じた。 時間をかけ丁寧に書かれた大作に秀作が多い反面、戦後、洋画界の重鎮となり、俗事に多忙を極めるようになった後の作は、白が混ざり色彩も華やかさを持ったものに変化して、時代に対応していったようだが、どうも少しく完成度が落ちているような印象を受けた。 腕は確か、暗い重厚な作風は自己のスタイルとして完成されていて、大きなブレもない。西洋絵画である油絵の表現を日本の絵画としてどう定位させるかという点をテーマとしていたが、おそらく大きな枠組みとしては西洋絵画で、その中に今となっては少なすぎるほどの日本的な題材や墨画などの表現方法を混ぜ込んだあたりに着地した画家ではなかったか。京都画壇の重鎮ではあるが、世間的には知名度がなく、半世紀を経た現在では、彼の写実主義の理念も含め、乗り越えられている面も多々あって、梅原や安井らと較べて地味な印象は否めない。そのためか、連休の午後にもかかわらず、閑散として入場者はごく少数であった(館内の辻口の菓子店は相変わらず順番待ち)。 個人的には、京都郊外の自然が残る中、遠景に工場を、手前と右サイドに川を配した「工場地帯」が、安定した構図で、一見何の変哲もないように見えながら力強く迫ってくる感じで印象に残った。 美術館横の公園では特設ステージを組んで「本多の森せせらぎ公演」なる野外イベントが行われていたので、幾つかの出し物を見た。珠洲に伝わっている、おそらく一般には地鎮祭や起工式にあたる基礎石打ちの祝い行事「石場かち」が興味深かった。祝詞や寿ぎ歌を奏上してから立てた大木をみんなで引いて土台を固める。半世紀以上石川に住んでいるが、こうした風習が地元に伝わっているのを初めて知った。 日程が上手くできていて、終了すると今度は美術館で「ミュージアム・アフタムーン・コンサート」が始まる。そこでこれも聴くことにする。地元マリンバ奏者平松智子のソロ。トレモロを効かせて「この道」や「見上げてごらん夜の星を」など日本の名曲を嫋々と聴かせる。下のパイプで増幅される木琴の音は思ったより大きく、館全体に響いていた。使用している楽器はオクターブ上下拡大した長尺版で、あんな長いのははじめて見た。ロール奏法はロマンティックで魅惑的だが、ジャズファンとしては、最後の「リズムダンス」(ウイッチバー作)のような、上がり下がりが激しく手数の多いリズミックな難曲のほうが楽しい。 さっと美術展だけ観て戻ろうかと思っていたのに、オマケがついて、小さな秋の行楽のようになって、いい祝日の午後となった。
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修理していた愛車を取りに行ったついでに、夕刻、有名な鶴来のほうらい祭りを見物した。以前この地に勤務していたことがあり、色々話は聞いていたが、実際に造り物が練り歩く様を見るのははじめて。 本来、金劔宮の秋祭りで、まず、露店が出ている石段下の通りを冷やかす。この階段横に旧鶴来弓道場があって、そこでかなりの時間を過ごしたので、私はよく見知った通りである。 最近、これだけの店が出ているお祭りを見ることはなかった。小さな子やそれなりの歳の子がで大勢闊歩している。何故か女の子が多くて皆ちょっとおめかししているように見える。昔変わらずお面を売っているかと思えば、人気キャラクターのグッズを並べたくじの店、「はしまき」「串焼き」などの食べ物店と、並ぶ商品は多少変われど昔ながらの露店が両サイドにひしめいて活気があった。いわば、非日常の、子供たちのための空間。くじで大きなバルーン人形をゲットした女の子が自慢気にそれを抱きかかえているのも微笑ましい。 この後、祭りの呼び物の行列はどの辺りかと、巡行コースのパンフを見ながら探す。造り物五体のうち、後尾の鏡獅子と孫悟空を見つけ、行列を追いかけるかたちで全て見る。他に真田幸村、上杉謙信、伊達政宗の三武将。間に獅子舞隊が二つ入る。先頭は白装束の一群が担ぐ御輿。担ぎ手は厄年の男衆だそうだ。 造り物は家々で止まり、祝儀を受け取ると感謝の口上を述べる。各戸は家を開放し、誰彼構わず酒肴を振る舞うのがしきたりで、暗くなる頃には皆完全に酔っぱらいとなる。行列に同道して写真を撮ったが、列の周辺からは清酒の臭いがした。造り物の挽き歌(祭り歌)は、正確には聞き取れなかったが、風刺の効いたものや卑猥なものも混ざっていて、田舎らしい素朴で粗野な印象。 ここは誰々の実家だね、本人は戻っているだろうかねなどと愚妻と話してるとその女性にばったり出会ったりして、短い時間に地元がらみの方、数人と久闊を叙した。 日が落ちるのが早くなり、夜に弱いマイカメラ(K-7)ではブレ写真の量産になった時点で見物を終了する。時計を見るとまだ六時すぎで、会った方の話によると最後尾が御旅所(造り物仮安置所)に着くのは深更に及ぶという。これからもっと本格的な酔っぱらいの大集団となっていくのだろう。彼女の同級生連中は、もう担ぎ手から祝儀を管理したりする袴役(羽織袴の出で立ちの随行監督者のような役目)へとリタイヤしているそうだ。大昔に較べると淋しくなっているそうだが、はじめて見る私には興味深かった。 結局、喧噪の中、露店で粉物を食べようという気が起こらず、帰宅途中の小さな昔ながらの洋食店で夕食にした。客は我々より年上のご夫婦のみ。自動車屋さんでもらったエコ装置のついた新車のパンフを眺めながら静かにいただく。 ああいったハレの場が子供の心には強く残る。私は自分の子供の頃の氏神様のお祭りのわくわく感を思い出していたが、そんな気持ちがベースになって、いずれ担ぎ手になり、老いて袴役になってと祭りをつなげていくのだろう。長く盛んな祭りであれかし。
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ゴミ拾いの行事があった。何度もこの種の行事の参加しているので、どういうところにゴミがあるかは判っている。そこで実施前に参加者に説明した。 1、住宅地では、家の前はその家で綺麗にしているので、ぱっと見、ゴミは落ちていない。道や歩道の真ん中に堂々とゴミを捨てる人はいない。植え込みなど人目につかないところにそっと隠すのが人情である。だから、見下ろしているだけではダメで、ゴミは探し出すものである。 2、きれいになっている所にゴミは捨てづらい。ちょっと汚れているところに、ここならいいだろうと捨てる。だから、そこはゴミ捨て場でもないのにゴミがまとまっておちている。これも人の情である。そんなところを見つけたらゴミは大量にある。 3、燃えるゴミはそう多くない。そのほとんどはタバコのフィルターだ。労力はかかるが嵩が増えないのが特色。そのつもりでこまごまと拾って欲しい。 この種の事前説明は、観点を提供し、それに向かって作業を能率化するという意味で有益である。しかし、すでに答えを出してしまっているとも言える。考えなくても、その通りにすれば、それなりの結果はでる。しかし、試行錯誤して、自分で納得し、身につけるというプロセスが省略される。自分で気づいてこそ、しっかり覚える。 教育はその都度、この二つの方法論を彷徨する。何も言わないと、「ゴミなんか全然なかった。」で終わるのがオチだから、事前に言うのはいいことだという意見が大勢を占めたが、このパターンだけでやっていくのはよくない。いつも悩むところ。
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免許更新で戸籍抄本がいるという。忙しくて市の出先機関のサービスステーションまで行く暇がないなあと思っていたら、先の文化財認証式で市役所に行き、なんだ、今、本丸に居るではないかと気がついて、窓口で入手。 野々市のジャズコンサートのチケット、ジャズに力を入れているカレーショップで毎年購入していたので、いずれ外食に行かなくてはと思っていたら、なんのことはない、その夜、そのコンサートがある野々市文化会館に劇を観に行って、なんだここで売っているではないかと購入。しなくてはと思っていた懸案がさっさと解決できてよかったと一瞬喜んだのだけれど、よく考えてみると、そもそも、現地に行くからその時に片付けてしまえばいいと事前に気がつかないこと自体、融通が利かなくなっている証拠だと少々情けなくなった。「いつものところ」以外の選択肢を思い浮かばない。 年寄りになると頑固もんになるのは、こんなのの凝り固まった結果なんだろうなあ、とちょっと嫌な予感。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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