ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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例年の通り、昨日は自宅の掃除の続き。こまめな掃除をしていないので、汚れがひどく、ひとつひとつに時間がかかる。今日は実家で大掃除の予定。朝、新聞の「墓碑銘」欄に目を通す。 デイブ・ブルーベック(P)が亡くなっていた。ポール・デスモンド(as)は肺癌で短命だったが、親方は長命だった。例の「タイムアウト」と、もう一枚LPを持っている程度で、やっぱりちょっとスイングしない印象があるが、勿論、「テイク・ファイブ」は大好きだった。 大滝秀治はナマを何度か観た。強烈なキャラクターで、まさに名優。今年も有名な俳優が相次いで世を去った。 私が多感な頃に活躍していた人の死は特に感慨深い。尾崎紀世彦は日本人離れしたルックスと歌唱でかっこよかった。子ども心に、田舎くさい日本にもようやくアメリカ流のポップスが誕生したのだと新鮮に感じたものだ。シルビア・クリステルはあの籐椅子で脚を組んでいる写真一枚で、我々高校生どもをノックアウトした。二人とも六十歳代でまだまだお若い死。アポロ十一号のアームストロング船長も。着陸は昭和四十四年(一九六九年)のことで、彼の名言の通り「偉大な一歩」だと子供心に思ったものだ。 昭和を彩った方々の逝去がここのところ続く。 我が家としての今年の総括はどうだったのだと、朝、愚妻に聞くと、トイレや車の修理などメンテナンス関係の出費が馬鹿にならない年だったとのこと。もっと気持ち的なことを答えるとばかり思っていたので、まったくもって主婦的実際的な発言に、そうだねというしかなかった。
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愚妻は編み物が得意。若い頃は、専門の勉強を生かした仕事に就けなかったら、お針子さんをしようと思っていたらしい。 去年の冬、頭部が寒くて、ニット帽を買おうとしたら、さっさと作ってくれた。今年は色違いを注文。これも一日で完成。気に入って取っ替え引っ替えしている。頭に毛糸帽をのせているので暖かそうですねと人に聞かれる。そうしたら、いつもこう答えることにしている。 「ええ、人毛でまかないきれなくなりましたので、羊の助けを借りています。」 こう言うと、どう答えて良いか判らないらしく、大抵、引きつった顔をする。 今回、新しく買った革鞄の紐が布ベルトで安っぽく、ちょっと肩からずり下がると不満を言ったら、手芸店で革片を買い求め、くるっと巻いて端を縫って、肩パットを作ってくれた。本体の革との色のバランスもとれ、見た目もいい感じになった。 ということで、いつも腐している愚妻だけど、こんなところは有り難く、今回は褒めておきたいと思います。 この春、銀婚だったのに、特にお祝いもせず、ことここに至る。年の内にと、昨夜、イタリアンレストランのディナーでプチお祝いをした。コース最後のドルチェの皿に、「祝二十五周年」(もちろん、実際は横文字)とチョコレートで書いてあるの出していただき、思った以上の記念の食事となった。
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雪がほとんど降らない十二月も多いのに、今年は早くから降雪があり、今日などは朝の出勤段階でマイナス四度と、厳冬並みの気温。昨夜は愚妻の酒宴で繁華街まで車を出したが、少量の粉雪が圧雪され、路面も凍ってブレーキをかける度にすべってABSが作動する音がした。冬が早いと中だるみがあることも多いので、今冬はその路線でいってほしいものである。(と、神様に希望。) ここのところ、夜はハードディスクにため込んだ映画やドラマを観たり、前回書いたような持ち物のメンテナンスをしてすごす。色褪せて白ぼけた綿シャツは愚妻に染色をオーダー。 手元には数年前に買ったメンテナンスのやり方が図解されているムック本があって、それを参考にしながら、リビングでこまごまと手を動かしている。 冬至が終わったばかりで、早くから外は真っ暗。「冬籠もり」という言葉がしっくりくる今日この頃である。一日で大掃除をするのが年々億劫になっているので、自宅の掃除も少しずつやっている。師走の慌ただしさで少々疲れ気味なので、積もっている疲れを癒し、気持ち的に体を軽くする年末年始休暇であってほしいもの。
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最近、直近のことをすっぺりと忘れることが多くなった。お湯を薬罐で沸かしはじめ、ちょっと席を外した途端、忘れる。台所からパリパリという音で愚妻が気づくということが続けて二回もあった。IHヒーターは、直火より薬罐のダメージが少ないのがせめてもの慰め。 そのことを職場で愚痴ると、疲れているとよく忘れるようになるという話をしてくれた方がいた。忙しくて疲れていると頭が回らなくなり、しなければならない目先のことばかりに気を取られ、些事が記憶から飛んでいく。 些事ならいいが、先日は、人との約束時間になっているのに、気づかず、反古にするところだった。大変迷惑をかけ、大の大人としてまったくの失態であった。その日一日、気が滅入った。どうも情けなくなることばかり。この年になるとこんなものなのか、もしかしたら、まずい状態なのかが判らず、ちょっと不安である。 無理のバローメーターがこの物忘れかもしれない。疲れをためず、体を痛めないようにマイペースで。 今月、職場の忘年会が一つ。小さな忘年会は二つほど。昔に較べぐっと減った。クリスマスは例年のごとく実家で。もろもろ済んで、いよいよ年の瀬。
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近年、雑誌はおまけをつけるのが当たり前のようになった。本屋の平棚売りのかさばることかさばること。それも、到底、その雑誌の定価でつくようなおまけではないものも多い。おそらく記事自体は広告や営業がらみの提灯記事の収入でまかなっており、定価のほとんどを使っておまけをつけているのではないかと邪推されるくらいである。特に年末はおまけ率が高い。 今回、おまけ万年筆につられ、人生初のカタログ系マガジンを買った。通称「物欲マガジン」。おまけの万年筆は、アメリカのブランド会社とのコラボで、ちょっと見、そのブランドの高級品っぽくて、実によく出来ていた。 そこで、万年筆のおまけのような(?)本体も読んでみた。ブランドの革鞄などいつも使っているものよりも桁が一つ上の値段で並んでいる。よさそうなのはよく判るが、男のファッション、全部この流れで身につけたら一体いくらになるのやら。読み進めると、しまいに数万円のものなど安物と思ってしまう心情になってきた。 どんなに上質な革を使ってあっても、人工皮革の部分があると、そこから傷んでくる。皮革製品保護のシダーオイルが切れたので新しいのを買った直後だったのと、ちょっと、この雑誌に刺激され、愚妻の鞄も含め、我が家の全ての皮革鞄をひとつひとつ点検していった。高級品はビニールや人工皮革でもそれなりに保つが、結構新しめでも、すでにボロボロに傷んでいるものもあった。素人でも何とかなりそうな傷みは、補修を試みた。 ひとつひとつオイルを塗りながら、私が持ってもおかしくない愚妻の鞄が結構あることに気づいた。もともと彼女は女女しているのは好きではなく、男っぽいデザインのものが多い。放置させても傷んでいくだけ。できるだけ使ってあげるのが一番ということになった。 私は、その中でビニール素材の茶色いクラッチバックを手始めにちょっと借り受けて使い始めたが、先日、何気なく表に書いてあるラベルの横文字を読んだら聞き覚えのある名前が……。「もしかしたら、これってブランド品?」と尋ねると、そうだという。 こんなビニール鞄がブランド高級品? 何も知らないとはなんとも恐ろしい。
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突然の解散があり、衆議院選挙となった。三年前空前の大勝をした民主党は惨敗し、政権は自民党に戻ることとなった。しかし、比例選挙の得票数を見ても、自民党自体が支持されている訳ではなく、乱立と離合集散によって民主党への批判を第三極が集票に生かせなかったこと、二大政党制を意識した現行の衆議院選挙制度、低い投票率などが結果的に自民党を後押しをしたような形になった。国民世論の過半数は脱原発なのに、一番脱原発から遠い政党が圧倒的勝利を勝ち得てエネルギー政策を進めることに疑問を持つ人も多い。 選挙前の慌ただしい動きを見ていると、今の政治というのは「旬」競争をしているのだという感想を持った。あるところとあるところが組んだと話題になった途端、次には別のところが動きを見せ、ニュースはそちらに集中し、前の話題がかすんでいく。国民の耳目を惹きつけ、新しさを選挙まで維持できたところが勝ちになるはずと踏んで、タイミングを見計らいながら話を動かしているかのような印象がある。 選挙が終わり、民主の壊滅的大敗をみると、今度は「国民皆浮動票」という言葉が脳裏に浮かんだ。米国のような強固な支持基盤の上にたつ二大政党制だったら、今回の議席が四分の一になるような事態はまず考えにくい。日本人は昔の自民党社会党二大勢力時代よりも、是々非々、その時その時の感覚で選ぶようになっている。つまり、票はなんら未練もなくさっさと裏切る。 上野千鶴子は、民衆はしたたかで、たかが人気、されど人気の不真面目さの中で、(独裁者が出てこないという意味で)逆説的に民主主義は守られていると看破したが、その民主政治自体が、「基盤」と「目的」とが倒錯し、まさに「人気」取りを至上命題にして奔走しなければならなくなっているという近年の傾向を今回もたっぷりと感した。 それに、日本の戦後政治は常に大政党から分離して小政党を作りたがる歴史を持つことを付け加えて考えるならば、おそらく、当分、日本に二大政党制は実現しないだろう。色々なことをしっかり決めなければならない今なのに、政治はますます落ち着きをなくして迷走し「軽く」なっていくのは間違いないことのように思える。 以上が自分の覚えのための今回の選挙全般のまとめ。ニュース解説風。 以下、身近なことでの雑感。 今度の選挙で感じたのは、投票所で若者をほとんど見かけなかったこと。劇の観客が敬老会のようになっているのを憂いていたら、十一月に行ったジャズのコンサートも同様の光景であることに気づいた。二十年近くやっている間に観客もそのまま歳をとったといった塩梅で、若者だったらもっと盛り上がるシーンも妙におとなしい。それと同じ感じの投票所。 「いい若いもんが休日の午前中にのんびり投票に来ることのほうが珍しいよ。」と愚妻はフォローしていて、それもそうだなといったん納得したが、選挙後のニュースによると、やはり、若者の投票率は悪いという。 就職難など火の粉はどんどん彼ら自身に降りかかっているのに……。私たちの上の全共闘世代の爺婆はどんな思いでこのニュースを聞いているのであろうか。 いやいやその前に、若者はいったいどこの世界の住人になって興味関心を伸ばしているのだろうか。電子上のバーチャルな世界に籠もってそのまんまということになっていないことを祈るばかり。
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従兄弟、父、義父を数年おきに亡くし、ネクタイなどは形見分けでどっさりある。これまで身なりにはまったく無頓着だったが、今年は人前に出ることも時々あるようになり、愚妻の勧めもあって、少しはお洒落をしよう路線に変更した。そろそろ一年なのでここで総括。 例えば鞄。公私とも同じビジネスバック一つで過ごしていたが、今年はバッグを二つ買って、時々、取っ替え引っ替えしている。特にプライベートでビジネスバックを持つのはさけるようになった。これまでめんどくさがっていたが、せめてお買い物に出るときくらいは、カジュアルにいきたい。もちろん(?)、買ったバックはブランド品でなし。 時計も、今年クロノグラフタイプが加わって五種類に。TPOにあわせて選べる体制になった。重いのをつけるようになって、これまで愛用のチタンタイプがいかに軽かったかを実感。重いと思っていた鉄道時計も、重いのから換えると軽いのにびっくり。「慣れ」って、こういうのをいう。 背広は、ぐっと落ちて、量販店の吊り下げを次々買って、見た目だけは着たきり雀から脱却。 で、まわりからの反応はというと、単なるオッサンのファッション、この一年、「気を遣うようになったね。」などとというお声がけなど、とんとないまま過ぎていった。まあ、ひどいレベルから人並みレベルになっただけだから、当然といえば当然。この手の話はまさに自己満足の世界である。 ちょっとそういう目で人を見るようになった先頃、朝の登校当番があって、出勤する女性陣の防寒ファッションを眺める機会があった。お歳に関係なく、やはり独身女性はどことなくファッショナブル。それに対して、子育て真っ最中のお母さんは、地味な無地のウインドブレーカーなんぞを着込んでやってくる。お母さんは家族のことで忙しく、自分のファッションにまで気が回らない。女性だから、いくつになってもお洒落したいだろうにと思うと、ちょっと、そんな女性たちが愛おしくなって、心の中で「頑張れ!お母さん」と呟いた。歳をとると おめかし路線の人よりそんな人が気にかかる。 でも、人のことよりまず自分。来年もこの路線で、格好で後ろ指さされないようにしたい。
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ドラッグストアの割引セールで、冬年越し用の品々を大量に購入した。風邪薬、化粧品など。ヘアトニックはこだわりがなく、毎回、色々変えている。今回は、安物の大瓶を買ってきた。柳屋製。今日から早速頭にふりかけたが、なんとも懐かしい香りがする。すごく親しい香り。父親が使っていたポマードの匂いであると気づくまでにそう時間はかからなかった。ポマードといえば柳屋。今も確かにこの瓶の隣に懐かしい意匠のままで並んでいた。でも、今、こんな匂いを放つ人はほとんどいないのではないか。一日中、自分がその匂いを嗅ぐことになったので、幼い頃、朝、父親が薄くなった髪にポマードを塗って櫛で横に流している光景が思い出されてしかたなかった。 今の私の年齢は私が大学時代の親の年齢である。以前書いたかもしれないが、夏に帰京し、久しぶりに風呂で父親の肌をみて、昔ほどの張りがなくなっているのを見て、それをバカ正直に言って、「イヤなことをいう奴だ。」と嫌がられた。今、自分がその年齢になっている。ポマードこそつけないが、あの頃の父くらいが今の自分なのだと、一回ぐるっと父を経由して、自分の年齢を同定する自分がいて、それが何だか可笑しくもあり哀しくもある。
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親孝行として、愚妻が義母を連れて、今月初旬、東京見物に行ってきた。若者だったら行き当たりばったりでも可だが、年寄りペースだからと事前調査に時間をかけ、無駄な動きがないよう留意した旅だったが、それでも結構歩き回ったという。 今年の東京観光の目玉はなんと言っても東京スカイツリー。大人気で早朝しか空いていなかったらしいが、ともかく、いち早く登楼(?)してきた。足下のソラマチなる今話題の商業スポットも一回り。他に東京駅がリニューアルされて、空襲で焼失した左右のドームが復元されたのを見たのも今年らしい観光。一昨年、私が行ったときは工事の真っ最中だったので、月日を感じる。それ以外は銀座・皇居など年寄りの大定番を巡ったという。土産はスカイツリーを模したお手軽当地限定万年筆(セーラーのキャンディ万年筆)。 今日、東京に出張した人からスカイツリーの写真入り袋に入ったクッキー一片をいただいた。今年一番の明るい話題はこのタワーに尽きる。世の中が平和で右肩上がりなら、明治の世の凌雲閣、昭和三十年代の東京タワー並のお祭りさわぎだったろう。 西暦二〇一二年。そろそろ一年間の総括の時期である。
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「放浪記」の森光子に続いて、十二月十日、俳優小沢昭一が死去した。一人舞台「唐来参和」(井上ひさし作)をナマで見たことがあるが、一人語りでぐいぐい観客をイメージの世界に乗せていくのはなんとも見事であった。放浪藝を録音してレコード化したのも彼の業績で、一度そのLPを聴いたこともある。俳優の枠に収まらない多彩な方であった。 小沢さんという面白い人がいるというのは、しかし、お芝居ではなく、長寿ラジオ番組「小沢昭一的こころ」で知った。山本直純の軽快なお囃子が印象的なあの短い番組は、こちらでは夕方放送していたので、学生時代から、結構、毎日のように聞くことが出来た。一九七三年のスタートだというから、中学の終わりころから聴いていたことになるが、今調べるまで、小学校の時から聴いていたような気になっていた。 彼の話藝の素晴らしさはもちろん、放送部だった私は、スクリプトが秀逸なのに感心し、最初のライター津瀬宏の名を覚えた。津瀬の死去以降、引き継いで大半の台本を書いたのは宮腰太郎。恐妻家のサラリーマンに起こる日々の機微を、ああ毎日毎日、何十年と面白可笑しく書けるのは何とも類なき才能であった。この人も二〇〇九年に八十一歳で鬼籍に入る。宮腰は昭和三年生まれ。亡父と同い年である。小沢はその一つ下になる。 先般、追悼の傑作選も終了し、ついに番組はなくなった。「あしたのこころだ〜!!」の名調子はもう聴けない。
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「伊勢物語」の「芥川」、伊勢は恋愛小説だよと前振りして、男は女を盗み出してとあるけど、女は同意しているの? それとも無理矢理? と聞いたら、多くの子が「無理矢理。」との答え、盗むとあるからそう判断したらしいが、それだったら犯罪小説になるでしょ、盗むというのは周囲の大人たちの判断。これは駆け落ちの話だよねとようやく判らせる。 この女、夜露を知らないようだけど、なぜだと思う? と聞いたら、外にでたことがないからとの答え、いいぞいいぞ。じゃあ、なんで外に出たことがないの? と問うたら、監禁されていたからとの答え。だから、それだったら犯罪小説になるでしょ。世間知らずの深窓の令嬢なのだろうねとこっちが答えを言うしかない。 なんだか生徒は、「伊勢物語」を犯罪小説に仕立てたくてたまらないようなのだ。
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黙々と掃除をしている生徒たち。雑談さえしないので、「君たちのクラスは静かだと言われていないかい?」と話を振ったところ、学年で一番静かだと思うとの返事。「静かなのはいいけど、覇気がないのだったら、よくないねえ。」と言ったところ、
「ハキって何?」
と聞かれてしまった。こっちが驚いていると、隣の子が、
「ライブリネスのことよ。」
と小声で助言。それで、その子は分かったという顔をした。 どうやら日本語より英語の方が判るらしい。聞き慣れない英語なので、後でこっそり辞書を引くと、
「Liveliness」…元気、活発
とある。うーん、間違っていない。でもなあ。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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