ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2012年09月06日 :: 本居宣長とは |
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古典は仕事をしながら覚えていったくち。例えば「大鏡」。兄伊周が妹中宮定子を亡くす場面があった。肉親愛と、唯一の頼みの綱となっていたものを失った嫡流としての悲哀が、読んでいてよく判って、テスト問題だというのに大感動したりした。私は古典も素敵だなあと徐々に感じてきたというレベルの人間である。本居宣長も模試や問題集で見かけ、少しずつ彼の立場が判ってきたといった程度。今回の生徒に出した問題集の範囲にも「玉勝間」が出ている。 そんなレベルの私が彼について漠然と思っていること。 「源氏物語」が日本最高峰の物語であることは江戸時代の人々にもよく判っていたが、儒教的道徳観でかたまっていた当時の知識層の男性たちにとって、その魅力をどう説明したらいいかはなかなか難しい問題だった。因果応報、勧善懲悪の物語であるとか、非道徳の反面教師的意義があるとかいった、今考えるとかなり屈折した言い方でしか価値を認めることができなかった。何とも「贔屓の引き倒し」的な説明。 そうした中で、本居宣長はそうした固定観念からはまったく自由であった。物語は「もののあはれ」を我々に感じさせるためにある。不道徳な関係も含め、人としてのどうにもならない人間性を描くものだと考えた。今から考えるとただただ真っ当な意見であるが、当時、この自由な発想は画期的で、それ以外の彼の文章を読んでも、彼の思想には強くて自由な「近代」的要素が感じられる。例えば、師の意見は絶対であるというのが常識であったこの時代に、彼は、いくら師の学説だからといって墨守する必要はないと主張する。実際、師賀茂真淵に常識的には怒られて当然という手紙を出して、案の定、勘気に触れている。 これは、彼が商人の子であり、武家の窮屈さからは自由であったこと。彼の勉強は独学に近く、師とは手紙のやりとりが主で、直接謦咳に接したことは一度だけ、人間関係的な遠慮を気にかけなくてもよかったこと、官的なエリートではなく民間的な立場に近かったなどが影響していると思われる。 反面、「古事記伝」をはじめとする古代研究においては、後の皇国史観に通じる絶対主義的なかたくなさが強くあって、自由さが影を潜める。これには、学者としての矜持、松阪という伊勢神宮に近い出身であったということ、遺書に自分の墓のことを指示するというような性格の几帳面さ、京都時代に培われたであろう古代文化への強い憧憬などが影響しているであろうが、なぜあれだけ柔軟な人が、妙な思い込みのようなかたさがあるのか、今の感覚ではどうにも納得出来かねる部分を持っている。 よく試験で取り上げられるのは「玉の御櫛」「玉勝間」他。物語論や国文法の話、研究余滴的なエッセイなど現代でも納得できる判りやすいものばかり。学者として立派だと感嘆するしかないし、私の仕事上はそのレベルで充分通用するのだけれど、どうも私の中で宣長像は分裂したままになっているのが気にかかっている。本当はどんな人だったのだろう。例の講習で本居宣長の講義を聴いたが、ついに謎は解けなかった。 以上、よく判ってない人の、ピントはずれかもしれない雑感ひとくさり。
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