ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年12月03日 :: 秋吉敏子(p)を聞く |
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先月二十七日、野々市町肝煎りの「第十一回 ビッグアップル・イン・野々市二〇〇五」(於野々市文化会館フォルテ)に行ってきた。会場には洋酒バーや軽食の店も出て、ちょっとしたお祭り気分の演出が楽しい。私はこれで三回目、愚妻は二回目である。充実した演奏を毎年継続させているので、客の中には、私たちのようにレピーターも多いのだろう。先月の富士通コンコードの半分のチケット代で、たっぷりジャズを楽しめるというも大きな魅力だ。小さな町だからこそできる手作り感覚溢れるコンサートである。 今年度は、秋吉敏子(p)グループ。リズム隊がケニー・ワシントン(ds)ピーター・ワシントン(b)と超強力である。彼女の生演奏を聴くのは初めて。オーケストラのほうは、もう二年前に解散していて、ついに生を聞くことなく終わってしまった。ピアノに専念するという話だったが、最近の彼女のCDを聴いたことがなかったので、今、どんなスタイルで弾くのか興味があった。 秋吉と言えば、九年前に出た彼女の自伝『ジャズと生きる』(岩波新書)が印象深い。当初、東洋からきたパド・パウエル(p)そっくりのかわい子ちゃんとして、米国市場に売り出すべく尽力し、後に冷たくなった大物ジャズプロデューサーに対する屈折した心情や、一時期、仕事がなくなって、毎日、練習しているだけの生活が長かったことなどが赤裸々に書かれてあって、結構、驚いたことを覚えている。私がジャズを聞き始めたころは、「孤軍」(現BMGファンハウス)などのオーケストラ作品を発表し評価されはじめたころで、以後の活躍しか知らない私は、本場で名を知られた数少ない日本人ミュージシャンというイメージしかなかったので、尚更、その現実に驚いたのだった。 オーケストラ曲は、ジャス番組でよくかかるので知っている。彼女の編曲は、複雑で芸術的な反面、曲によってはリラクゼーションに欠ける印象がある。聴衆を楽しませることのみを追求するのではなく、あくまでも、自分の音楽の表現としてオーケストラがあるという発想が強力に感じられるタイプの曲である。日本人としてのアイデンティティー、そして、もともとピアニストであること、その彼女の二つの個性が、そのまま曲となっている、そんな印象を私は持っている。 だから、曲に日本的メロディがちらりと顔を出したり、一部の曲に、ピアノの両手の動きがオーケストラに拡大したかのようなところがあって、それが、彼女のオーケストラの個性でもあったし、逆に言えば、限界でもあるように思った。我々同胞が聴くと、異国情緒を殊更標榜しているかのように感じられたり、低音楽器の楽団員から、「オレは、お前の左手じゃないぞ!」と啖呵を切られたという話も伝わってきて、いかにもピアニストの編曲者が陥りやすい問題点だと思ったりもしたことであった。 ただ、これも、日本人リスナーの勝手な屁理屈である。今日のコンサートで、ビッグクバンドの作編曲を始めた時、どうしてもこれまでの有名バンドの手法をなぞるようなものになってしまって、これではいけない、どう自分らしさを出すか、かなり悩んだ結果が、今の編曲なのだということを述懐していたが、そのあたりに彼女の苦闘を垣間見た気がした。確かに、こっちの勝手な指摘を真に受けていたら、女カウントベイシー楽団になってしまうだけである。(つづく)
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