ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年12月17日 :: 建築あれこれ |
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以前、万博のトロロの家の話を書いた時、和風建築に一部だけ洋建築を継ぎ足した様式が一時期流行ったということを書いた。あれ以来、ちょっと気をつけて見ると、金沢のあちこちで見かける。散歩、バスの中、あ、これもそうだ、あれもそうだというくらい。建築史的にいつ頃流行ったのか、正確なことは判らないが、大正から昭和初期くらいなのだろう。当時の人には、ひどくモダンに映っただろうなと思うけれど、今は、なんだが、その接合ぐあいが、余りにあからさま且つ直截で、微笑ましいくらいである。どれもこれも、もうだいぶ古くなって、いつ建て替えられてもいいような状態のものが多い。 文化財にするほどの希少性も経時性もないけれど、何もせずに滅んでいくのも惜しい、そのくらいの建物たち。 金沢の表通りは、その昔、煉瓦造りの建物が多かった。特に銀行に赤茶色の西洋建築が多い。私の子供の頃の記憶を、今、しみじみと検討してみると、昭和三十年代くらいまでは、金沢は、そうした「大正文化」が色濃く残っていた町だったように思う。裏通りには、江戸の町並みを内蔵しつつ、表通りは、新しく模様替えを繰り返し、煉瓦という耐久建築で一応の完成をみる。で、そのまま、戦災に遭わずに、それらの建物は生き残ったのである。 煉瓦色が乱立していた銀行街も、今や単なる長方形のビル群となった。逆に、昭和期に入って建ったちょっとモダンなコンクリート様式の銀行が、昨今の保存ブームの中で、公共施設に鞍替えして生き残ったりしている。正直、これを残すくらいなら、あそこにあった、とっくの昔に取り壊された由緒正しい煉瓦造りを残しておいた方がよかったのではないかと思うのだけれど、もう、後の祭りである。 だからと言って、保存しないよりはしたほうがいい。何十年か先には、そんな、我々がこの程度がと思うような物件も、古風に由緒正しげに映るだろうから。 建築にちょっとこだわるのは、祖父が建築士。私の名前にも「建」がつく。建築は、ちょっと親しいのである。この仕事していなかったら、やりたかった仕事といえなくもない(数学がからきしだったから、そもそも無理だったけど……)。 信用ある一級建築士、全員建物の強度のプロでもあり意匠も担当するとばかり思っていたので、今回の強度偽造事件で、担当がはっきり分かれていて、強度のプロは、意匠の下請けになっている現実を知って、がっかりである。意匠のプロは、そのあたり、さっぱり判らないらしい。 建築士がかっこいいと思っていたのは、実用と美を両立するところに自己表現がある、そんな仕事だと思っていたからなのに……。
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