ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2007年02月22日 :: 藤原正彦『祖国とは国語』(講談社)を読む |
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ここのところ読んだ藤原正彦の本、三冊目。平成十五年発行。平成十二年からの文章を載せる。『国家の品格』(新潮新書)が話題になる前の出版である。全体は大きく三つに分かれており、最初は、家族をダシにした短いエッセイ、中間部は国語教育重視論、終盤は満州再訪記という構成になっている。 爆笑エッセイを最初にし、主張文を中間にもってきたのは見識である。 エッセイは、まず、息子たちの「発見」を褒める教育方針が語られる。私はいかにも学者の家らしい知的な教育態度に感心した。そして、そうした発見をめぐって家族が提出する学説(?)の乱立を、短い中に面白可笑しく描いてみせて読み手の笑いを誘う。その力量に恐れ入った。その昔、出久根達郎のエッセイを読んで、手練れの文章に感心したものだが、それと似たうまさを感じる。タイトルは重いが、この軽さでスタートするので、読者は肩が凝らない。 満州再訪記は、藤原家の原点である『流れる星は生きている』時代の新京を、老いた母(藤原てい)と一緒に検証する中国紀行。途中、第二次世界大戦概説を入れ込むことで、歴史の中で家族史を定位させようとする。これも公私かみ合って上手い。 中間部の「祖国とは国語」論は、まったく、私たち国語教員には異論を挟む余地のない正論なのだが、楽しみで読む就寝前の読書には、ちと辛い。真面目に読むと、教育の現状に思いを馳せ、暗澹となって、全然、心が安まらず、寝られなくなるのであった。そこで、この部分だけはさっさと流し読んだ。基本認識は『国家の品格』と同じだから、読み間違えることはない。 印象的だったのは、小学校の英語教育について、導入のための委員会に籍を置く教育学者に、「国語が大幅に減ることになるが大丈夫か。」と問うたところ、待ってましたとばかりに「英語以外は日本語で教えますから心配ご無用です。」という答えが返ってきたという話。そのぐらいの言語観の人が改革の烽火をあげていた訳で、作者も呆れているが、私も呆れた。 先日、管理側の方と話す機会があって、今の教育改革は、上から下への号令ばかりで、現場の声が反映されるルートが全然ないねと、ともども長嘆息した。不定方程式論が御専門の大学教授が言ってくれるのではなく、本当は、現場の声として大きな意見になっていかなければならないのだが……。
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