ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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2009年11月23日 :: 美術鑑賞(1)「ユージンスミス展」を観る |
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旧聞となったが、八月の盆休みに、砺波美術館で「京都国立近代美術館 アイリーン・スミス・コレクションによる W.ユージン・スミスの写真」展を観に行った。著名な写真家の個人通覧展は東京で観たブレッソン展以来。 観ながら、彼の足跡が、フォト・ジャーナリズムの興隆とビデオ映像に取って代わられるその狭間の、いわば写真の黄金期にあったことの幸福を感じる。 写真によって何を読者に思ってもらうか、主張するコンセプトを「ライフ」誌の編集部などの依頼者と共に話し合って決め、ストーリーを事前に予測してから取材にかかるという、文学者の執筆活動のような過程を経て彼の作品が成立していることを知る。時に、そのストーリーを実際の画像でうまく展開できず、挫折したテーマもあり、現場で、当初の目論見とのズレを修正しながら物語を完結させていくといったこともあったという。 撮り手が深く考えることをせず、速報性を重視し、画像にすべてを語らせるべきという現代の行き方とは反対の、今となっては少し古めかしい、こうしたはっきりとした意志の上で撮られている作品の力強さを感ずる。 再婚者アイリーン・美緒子とは、「水俣」での共同作業者となるが、年譜によると、死の少し前に離婚している。今回のコレクションは、その彼女の離婚条件によって所有権を得た作品が基になっているそうで、彼女自身、まとまって収蔵してくれる美術館を探していて、京都近代美術館がその受け皿になってくれたことが縁になったと図録に自身の文章で書いてあった。 亡き彼にとって、彼女は有り難い後見人なのか、作品の多くを持っていかれた痛みのある結果なのか。そのあたりは知る由もない。二人には余人にははかりがたい交錯した感情があったのではないかと邪推するばかりである。
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