ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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後半はベートーベンの「田園」。ゲスト・ソリストとの協調がない分、演奏のまとまりはこちらの方があった。 家にはジョージ・セル(指揮)、クリーブランド管弦楽団のLPがあって、これで私は、彼とこのオケの個性がよく判った。セルの演奏は、ドイツ流に厳格且つ古風な反面、透明感があってきわめてモダンな要素もあり、その絶妙なバランスの上に成り立っているというのが私の理解。そこが大好きであった。 これも久しぶりに生で聴くと、七番に較べ、実に細かくアレンジが施されていることが判る。管のソロパートも多く、難しさはこっちが断然上だろうことは素人ながら容易に見て取れた。 アンコールのスペイン作曲家の小品も、ハープが大活躍で楽しかった。 今年度になって音楽会行きがよく入るようになった。色々、生演奏ならではの発見があって楽しい。
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金沢交響楽団の定期公演に行く。前半はラフマニノフ「ピアノ協奏曲第二番」。高校時代に初めて聴いて、こんな判りやすい甘美なクラシックがあるんだと、クラシックのハードルを一気に下げてくれた曲である。 家にはソンドラ・ビアンカ(Sondra Bianca)(p)、ハンス=ユルゲン・ワルター(Hans-Jurgen Walther)(指揮)の古いLPがあって、録音は全然冴えないながら、そのせいで、逆に音の塊のようにうねるピアノの雰囲気が伝わってきて、よく聴いたものだ。ピアニストは若くして脚光を浴びた女流だそうだが、詳細は判らない。後、CD時代になってアシュケナージ盤も買い足した。 今回は田島睦子さんという地元出身の方の演奏。目の前で演奏を聴くと、作曲者が作曲者だけにピアニストがのべつ忙しい曲であることが判る。管弦が主導権を取っている時もアルペジオで伴奏していることが多い。それと、感心したのは、各楽章、冒頭すぐに甘く魅力的な主題を入れて、一気に聴衆を引き込んでいく感じがしたこと。初演から好評を博しただろうことが容易に推察される。 彼女はアンコールにジャズ風にアレンジした「トロイメライ」と「トルコ行進曲」を弾いて、我々観客をを楽しませた。(つづく)
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一ヶ月前、父は所定の治療を終え、転院していた病院から以前の病院に戻った。実家や勤務先とも近く、こちらの方が何かと都合がいい。また、前と同じように、夜、この病院に通い始めたが、私自身「勝手知ったる」感があって気が楽である。 実家の母、愚弟夫婦、我々夫婦、介護の方が世話をしに行く。最初は必要に迫られてメモを置いていたのだが、途中から、本人の希望で、来た人は必ず連絡帳に何か書くことにした。それで、一日、病人に何があったかが判る。いちいち本人から聞き出す必要がないので、話が早い。しまいに家族間の日常連絡も混ざるようになり、副菜のお裾分けなども病室の冷蔵庫経由になったりした。。 父の病室が、違うところに住んでいる家族お互いの大事なターミナル駅のようになっている。そこのところが面白い。
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ドックでのこと。出た食事、それなりに皿数があって、ちゃんと満足感を得られるようにはなっていたが、一品一品、野菜中心で低カロリー、全体として、とてもヘルシーなメニューになっていた。お肉は油が抜けた鶏肉小さいのが三切れという具合。身体に優しい食事とはこんなのをいうのだなといたく感心していたら、お隣のかた曰く、 「こんなの毎日喰っていたら、病気になっちゃうよ。」 うーん。心情的によく判るご発言でございました。
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先週、一泊二日の人間ドックに入った。人生二度目、十一年ぶりである。途中、腰痛でキャンセルしたことがあったので、えらく間が空いた。その間に、行くべき病院は建て替えで新しくなっていた。 前回は二泊三日のコース。ゆったりと検査が回ってきたので、ベットで休んでいることが多く、人生のエンジンを一度停止させたかのような感じを持った。でも、それはそれで時には必要なことかもしれないと思ったことも覚えている。 今回、病室も個室、ノート・パソコン完備と至れり尽くせり。 夕方、一日目の検査を終えて上階の大浴場に入る。夏至直前、紫外線の強い斜めの太陽光が水面に反射しキラキラと光り、それが、浴槽の床に模様となって揺らぐ。日中にお風呂に入るなど、ここのところ、したことがない。久しぶりの光景だなと思いながら湯船の底を眺めていた。 病棟のバランスのとれた食事を戴くにつけ、日頃の食生活を反省したり、もしかしたらちょっとよくないかもと思っていた部位が、案の定、軽度の症状で要観察と診断されたり……。自分の体と向き合ういい機会になった。 病院の帰り道、「クロスランドおやべ」の横を通ったので、タワーに上り、散居村を鳥瞰。遠回りの山越えルートでハンドル右左、運転を楽しみながら帰った。こんなもの含め職場を離れて検査する効用があるということなのだろう。
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昨年秋にあって初めて行ったイベント。今年は、夏前に変更して、今日、行われた。はじまって4年目、県立音楽堂を中心に、半日、ジャズで楽しんでもらおうという企画である。 全体の構成は昨年と同じ。会館前で金沢大学のビッグバンド演奏からスタート。軽食を戴きながら聴いた。 次に地階、ジャズ喫茶再現コーナーでジャズ喫茶マスター推薦のアナログレコードを鑑賞する。さすがご商売、ドルフィーとコルトレーンが共演した火の出るようなソロが素晴らしい海賊ライブ盤など、マイナーだが充実した演奏が選ばれていた。お客を見渡すと白髪のオッサンがずらり。聴いている人はあの頃のジャズ喫茶を知っている人ばかりのようであった。 メインのコンサートは二本。 まず、「鈴木良雄 BASS TALK(ベース・トーク)」。昨年のスイング・ジャズから、一転、フルートを中心としたナチュラルな曲調が続く。リーダー鈴木の書く曲は、タイトルにマッチした愛らしい口ずさめそうな曲ばかりで、まずその主旋律で聴かせた。ベース・ソロも曲想に寄り添ったメロディックなもの。自然の中で育った彼の感性がよく出ていて、個性は今回の方がはっきりと感じられた。 メンバー中、フルートの井上信平は、以前、小野リサのコンサートで聴いたことがある。あの時も、金沢に親戚がいるという話をしていたので、同一人物だと気づいた。野力奏一(p)は、渡辺貞夫の番組でよく演奏を聴いていて馴染みがある。岡部洋一は、マルチ打楽器奏者で、しまいに「ビリンボウ」まで持ち出した。ボサノバの曲で聞いたことはあるが、生でこの南米の楽器を聞くのは初めて。 二本目は、「井上智トリオ・フューチャリング・マリオン・カウィングス」。井上(g)は野々市のライブでお馴染み。横山和明(ds)は、渡部貞夫グループに高校出たてで参加していたのを、芸術村で聴いたことがある。今は二十三歳。すっかり落ち着いて、別人のようだ。 ボーカルのマリオンは、声の張り方が、シナトラなどアメリカン・ポピュラー・ミュージックの伝統を強く感じさせるもので、「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」「ミスティ」などスタンダード中心の選曲。曲はアレンジされているが、大きく崩さずストレートに歌っていた。高音などの張りはさすがだが、それなりのお歳なのではないだろうか。自分のことを何も話さず、淡々と短く曲紹介をして歌っていった。ボーカリストとして性格的に地味な感じの人であった。 最後に要望を一つ。GW中、「ラ・フォル・ジュルネ」の時に音楽堂チケットセンターで前売りを求めようとしたところ、まだ発売されていなかった。結局、一週間前に思い出して、慌てて地元レコード店で手に入れたが、もう少し早めに発売して戴けると、もっとこの手作りイベントが市民に広まるのではないだろうか。 来年のますますの盛況を祈念します。
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TV『題名のない音楽会』 でおなじみの青島広志著のクラシック入門書を読む。帯に「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭公式ブック」。おそらく5月GW、金沢会場でも販売されていたはずである。但し、特にあのイベントのためのものではなく、タイトル通り、シューベルトとその周辺にいたウィーン派の音楽家を紹介した本で、帯を外せば書店の棚に長く配架されてしかるべきもの。タイアップの巧みさといったところ。 小生、歌曲は守備範囲外なので、シューベルトのことも学校音楽程度の知識しかなく、今回、いい勉強になった。 実は、この本、友人K君が楽曲紹介の部分を担当していて、彼より恵贈されたもの。先に青島氏をインタビューする仕事があって、それで知遇を得たという。彼担当の部分を読むと、簡にして要を得た解説ぶりで、後書きで青島氏より「筆者の意を汲んだ的確な文章は、彼の今後の新しい仕事を啓(ひら)くでしょう」と賛辞がおくられている。ライターとしての仕事と小さい頃より親しんだ音楽の知識がうまく一致して、楽しい仕事だったのではないだろうか。 本文は、シューベルト自身の人生ばかりでなく、当時の音楽家のおかれていた状況や、古典派から浪漫派への転換、浪漫派の特色などについても判りやすく説明されていて、特にこの作曲家に強い興味がなくても楽しめる書き方になっている。途中、青島氏描く漫画調のイラストもカラー刷りで挿入されていて、かなりの腕前に驚く。 ファニーな表紙で、軽い感じに仕上がっているが、なかなかどうして勉強になる良書であった。
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所属弘済会主催のオーケストラ・アンサンブル・金沢(OEK)コンサートに行く。このコンサート、二十一回を数える。OEKは今年結成二十周年ということで、創立以来のお得意様だと指揮者山下一史より謝辞があった。 今年は、オール・モーツァルト・プログラム。前半、「フィガロの結婚」を中心に、若手男女歌手によるアリア集。 サッバティーニの巧みな観客の乗せぶりが未だに強烈だったので、藝大大学院在籍の二人の歌が多少単調に聞こえたのは無理からぬところ。ただ、指揮者が一つ一つ歌劇の内容を解説ながら進行してくれたので、知らぬ曲でもイメージしやすかった。 不倫劇と紹介された「コシ・ファン・トゥッテ」の「この心を貴方に贈りましょう」では、歌手に演技も入り、男が女を口説いている様子がうまく伝わってきた。 後半は、お馴染み交響曲第四十一番「ジュピター」。元気一杯の演奏で、第四楽章は特に勢いがあった。 早朝に富樫の薔薇園を散策し、昼食を駅のホテル地下街で済ませてからの音楽会。駅周辺は、百万石まつりの翌週ということで閑散としていた。一年で最も人のいない日曜かもしれない。 帰りはまっすぐ帰宅。一日の使い方はこのくらいがちょうどいい。
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先に入江泰吉・白州正子他『入江泰吉の奈良』(とんぼの本 新潮社)を読んで、実際の作品に触れたいものだと思っていたところ、ミュゼふくおかカメラ館で、この時期、彼の特別展が開催されることを知り、期間中の昨日、観に出かけた。今年になって遠出していなかったので、高速で富山方面に行くのは久しぶり。カメラ館も白籏展以来である。 せっかく高岡まで行くのだからと、先に瑞龍寺を見学した。加賀二代藩主前田利長の菩提寺で、江戸前期創建の禅宗様式の建物が美しい。近場の割には来たことがなく、今回、初めての拝観。 写真も少々撮ったが、過去の自分の写真を模しているかのような構図ばかりになっていて、そこから脱出する難しさを痛感する。 次に、鋳物の町、金屋町通りを散策した。高岡市鋳物資料館にも入る。古い格子の家が残る落ち着いた町並みは金沢の西の郭を連想させる風情であった。 写真展は、晩年、集大成として自作百枚を選んだ際のチョイスを元にしたもので、彼の代表作が悉く入っているようだ。 全体的な印象は、ビュジュアル本の時と同じで、破綻のないオーソドックスな構図とライティングが安定した絵柄を生んでいるというもの。仏像の前横にメイン光を、後ろ横にサブ光をあてて陰影を出した画や、手前の花々ににピントを合わせ、背景にぼけた寺院を配した画など、定番の手法・構図のものが多かった。しかし、霧で社寺がかすんでいたり、真横からの朝の暖光が並ぶ柱にあたって際立って見えるものなど、時間をかけ、どんな季節・時間帯にどんな表情を見せるかを熟知している結果として、いわば「待ち」の成果として、個々の写真がしっとりと輝いているように感じた。 子供の頃から知っている有名な写真が幾つかあった。「社会」の時間の資料集か教科書に載っていたような……。我々日本人は、奈良・斑鳩というと、彼の眼のフィルターを通して見知っているとも言えそうだ。 館内は、退色防止からか、窓に黒いシールドが張り巡らされ、いつになく暗かったが、これは借り出し元の指示なのだろうか。 後、二年前に入って気に入ったカメラ館近くのお蕎麦屋さんに遅い昼食を食べに入ったら、お客はおらず、お店のご家族が昼食中だったようで、慌てて店に出ていらして、ちょっとお気の毒だった。「営業中」の札はかかっていたので無理強いをした訳ではないが、個人営業の食べ物商売も大変である。 過ごしやすい季節の中、ゆっくり出て早めに帰る。無理をしない中年らしい小観光の一日だった。
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パイロットの広沢氏は、セーラーの川口氏のように、次々に直していくというやり方ではなく、レクチャーしてお客さんに知識を授けながら作業をすすめるという感じで、一人一本、一日二十人限定というのも肯かれる。同じペンクリニックを名乗っていても、メーカーによって違いがあるようだ。 氏は、昔、ペン先を直す人は、あちこちに沢山いたが、今はほとんどいなくなったという話をされていた。名刺の肩書きには「ペンドクター・グループ」とあったが、ネットではパイロットのOBで元設計主査とあった。まさにパイロットの万年筆を長年作ってきた方のようである。 戻ってきたペンは、調整がうまくいったらしく、ぬらぬらとした書き味に戻った。物はいずれ傷む。どうも「万年」という名前に惑わされて、一生大丈夫と勘違いしていたようだ。以後、大事に使わねばならぬ。 後、デパート内のセレクトショップで、遅ればせながら愚妻退院記念の革製ペンケース(ヘルツ製)を買い、催事場で物産展を冷やかし、食品売り場で気の利いた食品を購って帰った。 日曜にもかかわらず賑わっているのは催事場とデパ地下のみ。不況長引く中、そう庶民は高級品にお金を落とさない。名の知れているこの業種も、なかなかに厳しいのではないかと、にわかデパート通いはちらりと思ったことだった。
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先の休日の朝、新聞のデパート広告に、パイロットのペンクリニックの案内が載っているのを見つけた。この前、セーラーの方にいったばかりだが、二十年来愛用の万年筆の調子が悪かったので、急遽、赴いた。新参者故、断言はできないが、地方都市レベルで半月の間に二つのペンクリニックが開催されるのは珍しいのではないか。 最近、インクがのらなくなり、尾軸の吸入つまみを回してペン芯にインクを溜めながらでないと書けない状態となっていた。ドクターにみせたところ、ペン芯とペン先の間があいて毛細管現象が起きていないという。要するに、へたってきたというのである。もし純正修理に出したら、ペン先交換になるだろうとのこと。尾軸の回転もおかしいし、思っていた以上に重症で落胆した。無理やり症状を軽減することは可能だが、逆に傷むリスクもあり、どうされますかと聞かれ、ちょっと悩んだが、寿命のものを新品買えるほどのお金をかけて修理するのも意味がないので、リスク覚悟でお願いしますと返事をした。(つづく)
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文具がマイブームだと喧伝していたら、今回の送別で革の文具を戴いた。三本用ペンケース、文庫本カバー。本当に欲しいと思っていたものばかりで、便利に普段使いにして楽しんでいる。 今年、手帳を革にしたり、一本用革ペンケースを購ったりと、少しずつ革小物を買い足していた。『趣味の文具箱 第十号』(エイ出版)を読んでいても革物に目がいく。いわば、ちょっとしたマイブームなのだが、先日読んだWEB記事に「筆記具に興味を持った人は、全員、革物にも凝るようになる」と断言されていて、「あれぇ、やっぱりそうなのか。」と思った。これもまた、絵に描いたように人様と同じ行動になっているらしい。裏写りや筆の滑りの関係で紙に凝るのは自然の流れだが、革物も万年筆とセットになっていたとは……。 でも、まあ、「オジサンになればなる程、身なりや持ち物に気をつけないと、みすぼらしく見えるわよ。」という愚妻の忠告を受けての路線でもあるので、これも暫く人生の楽しみのひとつとして、「いいもの見つけ」を楽しみたい。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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