ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2010年04月07日 :: 梶井基次郎「檸檬」をめぐる横流れ的断想 |
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今頃になって、京都中京区寺町二条角の「八百卯」なる果物屋さんが昨年の一月に閉店したことを知る。「見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかった」この店を有名にしたのは、梶井基次郎の「檸檬」で印象的に語られるからだ。 「その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった」という印象的なセンテンスからこの店の紹介が始まる。なぜか。それは「果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた」からだという。それがはっきり判るのは夜の景色。
周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋(かぎや)の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。
そんなスポット的に明るい店で、「単純な色」で「紡錘形の恰好」が気に入っている「私」は檸檬を一個買う。「えたいの知れない不吉な塊」で「心を始終圧えつけ」られ、「見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられ」ていたその頃の「私」の 心情に見あう行動である。 だいぶ以前、文藝研究会のお仲間と京都を文学散歩した時、この店から丸善まで歩いて追体験してみたことがあった。すでにコンクリート風の建物となっていて、小説当時の建物ではなかったが、店前に梶井の檸檬の店であることをディスプレーにして紹介していた。二階はフルーツパーラーで、我々はそこでレモンがらみの飲み物を注文したことを覚えている。ミーハーだけど、あの時はみんな、せっかくだから徹しようという気分だったはずである。 創業は明治十二年(一八七九)というから百三十年の歴史があった。四代目の当主が癌で急逝され、ここのところ親族で運営していたが、閉店となったそうだ。(つづく)
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