ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2010年09月09日 :: 尊属殺人願望 |
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ある夜、芸人かミュージシャンかはっきりしないが、いずれにしろ若者二人がDJをやっている民放ラジオ番組を聞いていた。そこに出てきた高校生リスナーが、小火を出した話をした最後に、「あわよくば母親と弟が死んでいた。」と発言したので、びっくり。 私はすぐに吹き出したのだが、さすがの二人も、「その言い方はおかしいやろ!」と突っ込んでいた。 まったくその通り。「あわよくば」は、「もし運が良かったら」「うまくいったらならば」の意味。そこで、すぐにお勉強。なぜ、この言葉がそんな意味になるのか。 辞書によると、もともと、形容詞「あわ(は)よし」+接続助詞「ば」で、「あわよし」は「あわい(間)よし」の音変化だという。つまり「間がよかったらば」という意味になる。彼が言いたかったのは、もちろん、「あわや」のほう。「あわや、母親と弟が死んでいた。」 この「あわや」、「大字泉」では、「危険などがその身に及ぶ寸前であるさま。あやうく。」の意で、「幸運な出来事については使わない。「あわや宝くじの一等に当選するところだった」などとするのは誤り。」と注記がつく。 ところが、「大辞林」では「もう少しでそうなりそうなさま。今にも。あやうく。すんでのところで。」の意とし、「あわや大惨事となるところだった」「あわやヒットかという当たり」という二例を挙げている。 後者のヒットの例の場合、「大辞林」は、攻守どちら側からの判断かということなど考えずに、単に「今にも」程度の意味で使っていると考えるのに対して、「大字泉」では、守備側の立場から言った発言とする、という理解になる。「まずいことに、あやうくヒットになるところだった。ヒットでなくてよかった。セーフ。」という守りの側応援のニュアンス。 両辞書で説明がかなり違う感じだが、おそらく、もともと「大字泉」の意味で、最近は注記が指摘する誤りの認識が薄れて、「大辞林」のような意味で使われていることが多くなったということなのだろうかと思う。 それにしても、最初の話、もし高校生の発言がぽろっと出た本音だとしたら、実にシュールである。
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