ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年05月01日 :: 武蔵が辻界隈今昔 |
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黄金週間前半は仕事だった。それだけで終わっては悲しいので、土曜夕刻、愚妻と武蔵が辻の名鉄エムザで開かれている「第五十七回中日写真展入賞作品金沢展」を観にいった。帰り、久々に隣接する横安江町商店街を歩こうかということに。 今から四十年ほど前、武蔵が辻界隈は金沢の一大繁華街だった。街に買い物に行く時、片町と武蔵が辻どっちに行くかということが常に話題になったものだ。前回はどっちだったから今回はこっちとしようというような決め方をしていた。どちらもデパートを核に、商圏として覇を競っていた。当時の私は、もちろん、屋上の遊具施設と食堂のお子様ランチが目当てだったから、どちらでもよかった。 武蔵の場合は、丸越デパートを冷やかしてから、近江町市場や横安江町商店街に向かうのが定番の行動だった。横安江町は金沢で唯一のアーケードのある一般商店街。母親族は、横道にあった「いとはん」という衣料スーパーと、ファッション専門店のハシゴ。子供は、オモチャ屋と休憩で入る甘食屋の蒸し菓子が目当てであった。本当にいつもいくたびに大勢の人で賑わっていた。 その後、丸越は名鉄デパートに吸収されて、辻向かいに移り、跡地にはダイエーが出来た。そのあたりまでは、それなりの賑わいを見せていたが、徐々に客足が遠のき、昨年、ダイエーも閉鎖。老朽化した横安江町のアーケードも立て替えを断念し撤去された。 今は、近江町市場に生鮮品を買いにいくついでにデパートにも寄るという昔ながらの客層に支えられてなんとか商圏として面目を保っている状態である。 薄暮、屋根がなくなってすっきりした通りを歩く。ここはもともと本願寺派東別院の門前町として栄えたところ。仏壇店、法衣店、神具店、結納用品店など金沢らしい店は今でも健在だが、一般のお店は淋しい限り。 だが、そぞろ歩きの中程に、当時、活況を呈していた衣料品店の看板を見つけて、懐かしかった。まだ潰れずに頑張っている。母親が、ここで服を漁っているのを手持ちぶさたに眺めていた昔の自分を思い出す。そういえば、子供は親の買い物にすぐ飽きて、別院さんの門前で遊んでいたっけ。 母親の洋服選びにつき合わされるのも、考えてみれば迷惑な話で、親は、子育てに時間をとられていると思っているかもしれないが、子供は子供で、大人に文句も言わず付き合ってくれているのである。 あれはあれで、後年、奥さんのお出かけの準備にじっと耐えて待っている旦那族の、まず最初の大事な訓練だったのかもしれない。 黄金週間中というのに、人影もまばら。七時には多くの店が店じまいしていた。せっかくだから、通りで唯一やっていた食べ物店に入り、薬膳料理をいただく。八時には武蔵を後にしたが、止めてあったデパート駐車場周辺でも人影を見ることはほとんどなかった。飲食店が少なく、夜の町としても機能していない。 四十年前の、あのワクワク感を覚えている私には、一抹の淋しさが募ったが、多くの人同様、郊外型大型店中心の行動になっていて、何年ぶりに来たのだろうと指を折っている私には、何かいう資格はない。 山側環状線が出来て街なかの道が空いた。以前より短時間で繁華街に行けるようになったのを好材料としようではないか。
(結納店の店先。どうやら「金澤表参道」というのが、横安江町商店街の新しい名称らしい。)
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