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 私の「かあてんこおる」U 2001-補録 
金沢市民劇場

■□ 目      次 □■

一 九 九 一 〜 九 三 年                               
                                                                       『雪やこんこん』                             
『音楽劇 楢山節考』                           
『おもん藤太 文七元結』                         
『日本の面影』                       
『気になるルイーズ』                     
『リチャード三世』                   
『遺産らぷそでぃ』                 

一 九 九 一 年 〜 九 三 年


化粧の場面からはじまる               
                                         こまつ座公演『雪やこんこん』第174回例会

  『きらめく星座』『闇に咲く花』に続く昭和庶民伝三部作の三作目。
 ラストの化粧の場面。あれ、どこかで観たような……。すぐに一人芝居『化粧』(集英社)を思い出した。そのまま場面がつながるとは思わないが、その類似に気づいた方も多かったのではないだろうか。
 帰宅後読んだ「The座」(『雪やこんこん』再演号 平三・一一)に、作者井上ひさしの「前口上」が載っており、はたしてというべきか「どうやらこの座長の最後の姿が、あの『化粧』であるらしい」と、自分で書いておきながら、妙に客観的にその関連を認める文章が目に入った。
 舞台や映画には「バックステージもの」といわれるジャンルがある。『コーラスライン』がその代表。この「湯の花劇場」のおんぼろ楽屋だって、充分立派なバックステージだ。役者は役者の役を演ずるのだから感情移入しやすいし、役者にとってはこたえられない<いい台詞>がバンバン飛び交うのだから気持ちがいいだろう。こうした二重構造によって、あたかも、こまつ座公演自体が中村梅子(市原悦子)一座の公演のような錯覚をあたえることに成功している(演出は鵜山仁)。
 作者によると、この作品は二作目の苦吟と違って、順調に仕上がったという(それでも初日は延期)。これまで収集してきた大衆演劇の台詞に加え、古い旅役者に来てもらって名台詞を言ってもらい、そうして収集したものを会話に散りばめ、旅芝居が好んで使うモチーフ「自己犠牲、報恩、助け合い、正義は勝つ……といった庶民の理想」を分析整理して、筋書きに援用したのがこの作品だという(「昭和庶民伝三部作を書き終えて」)。
  作者は、大衆演劇の当時の状況を、昭和二十八年の暮れの二日間という限られた時間枠のなかで見せてくれる。手っ取り早く金になるストリップが人情芝居を圧迫していると、作者は登場人物に何度も言わせているが、この昭和二十八年、実は、そのストリップの女王、ジプシー・ローズの全盛期と合致しているのだ。「額縁ショー」から出発した戦後のヌードの歴史は、昭和二十五、六年に第一期の黄金時代を迎える。ジプシー・ローズは、このなかで、全国的に名を売ったヌード嬢第一号の人で、映画出演など、これまでアンダーグラウンドだった世界からはじめて表舞台にのった人であった。反面、中村梅子一座のような大衆演劇は、娯楽の王様の座から徐々に転落せざるを得なかった。そんな転換期の一瞬を作者は見事に捉えてる。
  この年、私はまだ生まれていない。しかし、その名残りは記憶している。
 母の郷里に里帰りをした時、まだ幼かった私は祖父に連れられ、となり村まで歩いて人情芝居を観に行った。常設小屋があるでなし、広場に舞台を組んだだけのものだったが、子供にはさっぱり面白くなく、早く帰ろうとむずがった覚えがある。
 芝居の途中でさっさと戻ったわれわれに、祖母は「もう帰ってきたんか」と驚き、祖父が「この子が帰ろう帰ろうとせかすから」と答えていた。子供心になんだかバツの悪い思いをしたことを思い出す。
 あれは旅回り一座の芝居だったのだろうか、それとも村の青年団かなにかの素人芝居だったのだろうか。もう三十年以上も前のことだ。確認のしようもない。
  『雪やこんこん』と『化粧』との間には、何年かの時の流れがあるようだ。
 「『雪やこんこん』のあとの梅子一座がいったいどんな運命に見舞われ、そして、『化粧』の、あの女座長の狂乱に到るのか」−この作者自身の問いかけからして他人行儀で、うかがい知ることはできないが、その間を埋める「数本の梅子もの」が腹案としてあるという。
 観客としては、梅子の人生の結末を知りつつ、いとおしみながら、彼女の人生を見届けたいと思う。
                                                                    (1992・2)


原作の思い出など              
                                      手織座公演『音楽劇 楢山節考』第180回例会

 深沢七郎が『楢山節考』を発表したのは昭和三十一年だった。当時、日劇ミュージックホールのギター弾きが、第一回「中央公論」新人賞を受賞したというので評判になり、受賞パーティーでは踊り子さんが多数出席、それまでの文学賞パーティーにはない、華やいだものになったという楽しいエピソードが残っている。
 私の父などは「そんなに新しい作品なのか、明治の頃のものかと思っていた」と言っていた。扱う題材と素朴な文体が、受賞当時でさえ古風に、そして、だからこそ新鮮にうつったのであろう。
 姥捨は、世界各地でみられる風習。民族学にとって重要な対象だが、仏教的にも儒教的にも敬老の気持ちの強い日本においては、例外的なものという学説を聞いたことがある。他の国に較べ、温暖で食物に恵まれていたために、風習化せずにすんだらしい。日本に姥捨はなかったと断言する学者もいるようだ。
 原作はだいぶ前に読んだきりである。ここには、うろ覚えの印象を書きつけるしかない。はじめ、悲しい物語なのだろうと予想しながら読んだが、歯が丈夫で自分から折ったり、山行きを楽しみにしているように感じられたりと意外な感じをもった。
 一応、そのまま受け入れて読み終えたのだか、文庫本の解説がどうも気に入らない。山行きを苦にしていないのは、こうした非人道的な風習を受け入れることで自己を律していかなければならなかった悲しい姿であるというのだ。
 そういうことはあるかもしれない。しかし、私は彼女に、悪習に慣らされた悲しい人間の姿などというものは感じられなかった。むしろ、山行きを恐れる他の老人のほうこそ普通の姿なのであり、おりんからは自立した一個の人間としての力強さを感じた。姥捨の風習から彼女の精神は完全に自由になっている−そう感じたのである。
 当時、どうも気になって、いくつかの解説書を読んでみたが、多かれ少なかれ、「非人間的風習によって」云々という文面が目についた。違和感を持ったまま、解説とのズレは自分の感じ方のせいにしていた。
 そんな折、友人がこの作品についての論文を発表した(小森谷隆弘「深沢七郎『楢山節考』論」(「二松学舎大学人文論叢」第二二号 昭五七・九)。いささか堅苦しくなるが、すこし紹介したい。その論文のなかで彼は、

おりんが楢山まいりという奇習を甘受した理由は、ただ一点、彼女がこの村において並はずれた常識人であった、もしくは常識人であろうとした、という点に帰されるべきである。そして、このことに強い自我の発露を見る。彼女の自我は「自らを消滅させよう」とする自我であった点が特殊であるが。

と述べている。おりんは生まれながらに<正道>をもっていた<天性の貞女>であり、例えば、有名な『シュバリエ・デ・グリューとマノン・レスコーの物語』(プレボー作)の女主人公、華美と贅沢を好み本能のままに生きる自由奔放なマノン・レスコーなどとは、一見対照的な女性に見える。しかし、彼女にも彼女なりの<天性の娼婦>としての<正道>に忠実であるという点で、ふたりは共通しているのだと彼は考えるのである。

掟が冷酷なものであるならば、ヒューマニズムと呼ぶものの介入できよう筈もない。<正道>を歩もうと努力する人間の悲願のみが感動を与えうるのである。

 つまり、おりんの生き方が胸を打つのは、自己犠牲、自己否定の悲しさからではなく、<正道>を貫く自我の強さにこそあるのだと結論づけている。
 これを私流のことばに直せば「自我の強い主人公が自己が正しいと考える信念を貫こうとするところに、安手のヒューマニズムを超えた美しさがあるのだ」ということなのだろう。
 彼の論の当否はともかく、彼の認識の基に私と同じものがあることを知ってうれしかった覚えがある。現在、『楢山節考』論の定説がどうなっているのかわからないが、彼の認識の線上にあることを私は確信している。
 本多勝一は『貧困なる精神』のなかで、エスキモーの民話にはヒューマニズム的な教訓がなく、人間が動物に殺される話など残酷な話が多いと指摘している。しかし、それは自然の食物連鎖のなかで平等な生きものの一員として描かれているからで、いわば「神の摂理」なのであり、むしろ人間的でさえあるという。
 なぜ、おりんはその強い自我で自らを消滅させようとする方向を選んだのか。
 それは、こうした自然のなかに生きるものとして、神の摂理に忠実であろうとしたからではないだろうか。彼女がもちろんそんなふうに民族学的に考えたはずはないけれども、その考えは、自然の一員として生活していくなかで体得した彼女なりの<正道>だったのだろう。彼女だって息子の辰平(汐見直行)との別れは悲しいものだったにちがいない。しかし、それも十分に受け入れた上で従っているのである。
 『楢山節考』は現代に書かれた<民話>であり、ヒューマニズム的解釈に毒されたわれわれの精神をゆさぶるものと言えるだろう。私自身にとっては既成の考えにとらわれず自身の心に素直に作品を読むことの大切さを改めて教えてくれた作品となった。
 芝居の話に移ろう。
 今回は、おりん役の室生あやこの講演会を傍聴したり、観劇後、舞台の解体作業を手伝ったりと、縁があった。
 解体作業は、シンプルな舞台ゆえ、比較的楽なように思われたが、なかなか重労働だった。観ていた時には気がつかなかったが、舞台全体が傾斜しており、その足場の解体や紙吹雪の掃除に時間がかかった。
 以前、地元の舞台業者の方が「われわれの商売って地球に優しくないんだよね」と言っておられたが、たしかにそんな面がある。これだけの大人数と労力、例会に参加した会員四千人のために払われたものなのだと思うと、あだやおろそかにできない。
 この芝居(脚色三枝嘉雄 演出貫恒美 作曲小山清茂)「音楽劇」とタイトルされている通り、音楽で聞かせる芝居であった。特に、指揮を兼ねた独唱者の役割は重要で、音楽効果と語り部との中間的な立場が興味深い。こうした音楽の使い方も含め「ギリシア悲劇的」と評された方があったが、確かにそうした要素があり、その慧眼には敬服した。現代音楽風の鳴り物はそんなに難しくなく、素朴な物語と良い意味でミスマッチしていて新鮮だった。ただ、独唱の歌詞は時に説明的で、いらぬ解説もあったように思う。
 一時間半という短い芝居、それでも長いと感じたのは私だけだろうか。原作は短編で、芝居にするには、ラストの場面以外は余りにドラマがない。うがった見方をすると、時間延ばしをするために音楽を利用したのではと勘ぐられる可能性を芝居自体に持っているように感じた。
                                                                    (1993・1)


お金と命をはかりにかけて         
                                  前進座公演『おもん藤太 文七元結』第181回例会

 舞踏劇と銘うった『おもん藤太』と、人情噺『文七元結』の二本立て興行。このふたつの演出の違いが前進座の守備範囲の広さの一端をあらわしているようで興味深かった。
 『おもん藤太』は木下順二作。おもん(いまむらいずみ)は継母(大久保光代)に両手を切り落とされ家を追い出される。籐太(嵐芳三郎)と出会い、一緒に暮らすようになるが、籐太の出稼ぎのため離ればなれとなる。ところが、ふたりの手紙は継母によってすり替えられて……という筋立て。
 音楽は新劇風のごく一般的なもので、小道具の省略や場面転換の背景の省略(一本橋の場はそのままにして、御宿と書かれた軒をおろすだけで転換したことにする)など、日舞の所作での表現に歌舞伎の要素は残しつつ、かなり新劇的な演出となっていた。
 これに対し、『文七元結』(三遊亭圓朝作)は歌舞伎仕立て。しかし、鳴り物の一部がテープ録音で、省略があったりして、ややお手軽な感じがしないでもなかった。前進座設立(昭和六年五月)以来の実質本位の思想から、シェイプアップできるところはするのだろう。「肩の凝らない歌舞伎を」という目的と照らして、よしとするか貧相とするか、このあたりの評価は微妙なところだ。
  前進座の歴史をみると、広範な活動範囲に驚く。早くも昭和十年には日活と契約、東宝、松竹とも契約して映画に出演、マスメディアにのっている。これは現在でも同じで、中村梅之助はテレビの時代劇『遠山の金さん捕り物帳』『花神』などでお馴染みである。前進座の芝居は知らなくても、彼を知らない人はいないだろう。一時期など、五十本以上のテレビドラマを半年で撮り、残りの半年で芝居をするという生活だったようだ。また、終戦直後『ベニスの商人』で全国を巡演するなど、地方の文化教育活動に果たした役割は大きい。井上が初めてシェークスピアの芝居を観たのもこの前進座公演だったという。レパートリーも歌舞伎の現代化から、古典劇、現代劇まで幅広い。
  今でも本格的な歌舞伎は、歌舞伎座など中央に行かないとほとんど見られない。その上、驚くほど高額である。前進座の地方公演は、専門の装置がある劇場で観る仕掛けや迫力、高級感には及ぶべくもないが、わかりやすさ、テンポアップ、大衆性に優れている。
 その昔、国立劇場の最上階(あそこは花道がほとんど見えないのと、せりあがりの時、床を支える鉄骨がみえるのが致命的だった)から歌舞伎を眺めていた私にとって、はじめて前進座の芝居を観た時、正直、これを歌舞伎と思ってもらったら困ると思ったが、『俊寛』ほか何作かの芝居を観てきて、その正統意識からの自由さこそ活動のエネルギーとなっていることに気がついた。純粋の側から猥雑に不満を持っても、それは洋行帰りの者が「西洋ではこうだった」と連発する愚にも似て、ピントのはずれた批評でしかないのとよく似ている。
  『文七元結』は人情噺だけに、落語の世界に観客はあっという間に入り込み、大いに笑えばいいのだという雰囲気が会場を包み込んだ。さすがに藝の力だ。いったんこうした雰囲気ができあがってしまうと、あとはちょっとした所でも大笑いできてしまう。そんな調子で、皆大いに楽しんでいた。左官の長兵衛の役は、梅之助の亡父中村翫右衛門の当たり役。古いファンは父子の藝を較べる楽しみもあろう(初演は、明治三十五年、五代目菊五郎で。以来、音羽屋の家藝となっている。前進座では昭和二十二年に初演されている)。
 こうした芝居に理屈は不要だ。左官の長兵衛(中村梅之助)の発想は、いかにも江戸っ子で気持ちがいい。今の感覚では「一度、他人様にやった金はもらうわけにはいかねえ」というのは、ヤセ我慢以外のなにものでもないのだけれど、人の不幸を見て見ぬふりのできない主人公をみていると、そんなおかしな発想さえ、筋の通ったものに見えてしまう。
 親孝行な娘のお久(上沢美咲)、金と命を秤にかけて、命が大事と、どんなに貧乏をしていても言える父親−合理的ではあるが殺伐とした現代に、人間の暖かみを感ずることができたひとときだった。   
                                                                    (1993・3)


時代のせめぎあいのなかで                
                                            地人会公演『日本の面影』第182回例会

 劇のタイトルは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の代表的著作『知られざる日本の面影(                             )』(明治二七年)から採ったもの。小泉八雲に風間杜夫、妻セツに三田和代、松山中学教頭西田千太郎に山本亘、稲垣万右衛門に金子大他の出演。
  そういえば、浪人していた頃だから、もう二十年ほど昔、松江の小泉八雲記念館にいったことがある。手紙や書き物がいろいろ陳列されていたけれど、特に興味があったわけでもなく(正直にいえば、横文字ばかりで読めなかっただけ)、さらりと観て廻っただけで、さしたる印象はなかった。観光バスでの区切られた時間のなかでの見学で、印象を薄くしているかもしれない。
 この芝居を観ながら、ああ、あの時もう少し熱心に見学していたら、小泉一族のことや、心を許していた友人西田のことも、もう少し詳しくわかったのにと後悔していた。まあ、こうしたことは人生にはよくあることで、そんなにすべてのものをガッチリ把握していくことなどそもそも無理な話なのだけれど……。
 芝居は、ハーンの半生を縦糸に、作者山田太一の主張を織り込んでいくもので、人生の折々の挿話を、幕のはじめに、月日場所をスクリーンで明示しながら点描していく手法、幽霊の扱いなど、井上ひさしの芝居の影響が見え隠れする。木村光一演出というのも、その印象を強めているのかもしれない。
 作者の意図は、機関紙にあった「作者のことば」のなかに語られているように、「単純、温和、愚かさ、丁寧、微笑み、小さなものの不合理な思い、そして螢に、蛙にお化けと幽霊」など、日本人が本来持っていたものが「西欧の科学主義、合理主義」によって踏みにじられていくはざまに苦悩する彼の姿に、現代人が忘れ去ったものを思い出させてくれるという構造に求められよう。そして、このテーマは繰り返し語られるので、ある意味で、大変わかりやすい芝居であった。
 ハーンは明治二十三年四月来日、八月に松山中学に赴任する。有名な松山時代は、しかし、たった一年あまりしかない。研究者によると「まだ古い日本の面影を残していた松江に住んだことがハーンの日本観に特徴をあたえた」という。次の赴任先、熊本を風流心のない西洋化した俗悪な街と感ずる彼の感性に、松江という土地は最初に訪れた土地として彼の日本観にぴったりあったのだろう。
  これに、私なりにもうひとつつけ加えるならば、彼が幸福だったのは土地柄だけでなく、やってきた時期が、彼に西洋的優越感のない日本人観を育てたように思う。
 明治という時代、はじめの十年代までは江戸の名残りの濃い時代であった。彼の来日の前年、ようやく鉄道が東京〜神戸間に開通、東西が一直線に結ばれ、近代化の基盤となった時代である。
 もし、ハーンの来日が十年早かったならば、それは明治政府のお抱え外国人として、近代化のノウハウを伝授する優越者の立場から逃れられなかっただろうし、もし逆に、十数年遅れていたら、列強のなかで、西欧ものともせずの風潮のなか、そもそも日本人の生来もっていた美徳などというものに気づきもしなかっただろう。
 ちょうど、その両時代がせめぎあった明治二十年代はじめに彼が来日したのは、日本人にとってありがたいことだったのではと映るのだ。
 台詞のなかで「個性のない日本人は、それはそれでいいではないか」と主張するハーンの言葉がある。芝居の文脈から考えると当然の主張ではあるが、はたして、作者自身、そこまで主張しているのだろうかと少々迷った。どうなのだろう。
 それにしても山田太一は後ろを振り返らせてくれる人だ。
                                                                    (1993・5)

(補説)一九九五年五月、山田太一の講演会を聴く機会があった。「理想があると、今はそこに至るプロセスということになり、現在を犠牲にする。まず現状を愛すること」「進歩をストップすること、わからないことを愛すること」「人間無力でどうすることもできないことが多い。小さな諦めは素敵なことだ」という言葉が印象的だった。
 これに照らすと、芝居のなかのハーンの主張は作者の主張と完全に重なる。『砂の上のダンス』も、作者の主張は所長の妻玲子の側にあると確認できた。
 最後の質疑応答の時に「後ろ向きで展望がないのではないか」と質問があった。彼は「ものは思いようであり、これは決してペシミズムではない」と答えていた。現状の対処の仕方としては間違っていないとは思うが、小市民的との批判は当然でるだろう。
 近年、小泉八雲の日本理解の偏狭さ、スペンサー哲学に全面的に依拠した思想の限界など批判的研究が進み、日本文化最良の理解者としての神話は解体しつつある(例えば、太田雄三『ラフカディオ・ハーン−虚像と実像−』岩波新書)。
 本質的に小説家気質である彼の著作のなかの虚構をいちいちあげつらうかのような批判に私は組みしないが、かといって、情調で染め上げたかのようなこの芝居では、ハーンの一面をかなり作者側に引きつけて描いており、対象に対する批判的把握力に乏しいのではないかとも思われた。                                                       (1995・8)


やめときゃいいのに                        
                                金井プロデュース『気になるルイーズ』第183回例会

  ジーン・ストーン、レイ・クルーニー作。原題を「                            」という。こちらの題の方が素敵だ。なぜ直訳しなかったのだろう。
 この芝居(企画製作金井彰久)、中年男のマザコン風の性情に焦点をあてることも可能だが、当節、テレビドラマで評判なので、私は中年男性の静かな生活への乱入という視点で考えていきたい。
 特に前半を観ていて、私は巨匠ビスコンティ監督の映画『家族の肖像』を思い出していた。あれは学者の生活に侵入してきた美男子との関係で、監督得意のホモ・セクシュアルの方に話しが流れていったので、非なるものだということは重々承知しているけれど、それでもやはり、そっくりな設定が気になってしかたなかった。原作者に枠組みだけでも利用しませんでしたかと聞いてみたい気にさせられた。
 アッケラカンとした娘ルイーズ・ハミルトン(熊谷真実)に、静かな日常をかき乱された主人公ジョージ・クラーク(津嘉山正種)は、すったもんだのあげく一応めでたしめでたしのハッピーエンド風の結末にいたる。
 でも、でもですよ。これから先、彼は彼女のことで、大いに悩まされ続けることは容易に想像がつく。私は、ただただ彼の方に同情してしまう。
 「あなた、あの時の気分は、一時の気の迷いですよ。今後、あの女に振り回されることを思ったら、変な気持ちを起こさずに、さっさと自分らしい生活に戻った方がよかったんじゃありませんか」
 まあ、そんなこと、この男の勝手で、いらぬお世話だけれども……。
 人間、お互いに合わせようとしても、そう一朝一夕に変わるものじゃない。彼の几帳面さは、多少ぐらついてきてはいたが、やはり、きっちりゴミを畳んでから捨てる習慣は変えないだろうし、彼女のガサツさもすぐには改善されるとも思えない。生活基盤も違い、階級も違う……合うわけのないふたりなのである。
 彼だって、何の波風もない今の生活に満足していたわけではないだろう。それゆえ、彼女が彼にとって自己革命を起こさせる原動力、あるいは触媒のような役割となったことは事実だ。だけど、四十六歳の男としては、毅然として、決まりきった生活に戻ることもまた、決心のいることとして賞賛に値すると思うのだが、どうだろう。
 こう考えるのも、私自身、中年と呼ばれる年齢となって、安定を求める傾向が出てきたからかもしれない……。否、そうして朽ち果てる美学というものもあるのだということが徐々に判ってきたからかもしれない(ちょっとキザな言い方で本人照れております。ここ削除しようかしら……)。
 それにしても、若者文化の代表がヒッピーというのは安易だ。ジャニス・ジョプリンやジョン・レノンの曲が使われていて(演出宮田慶子)懐かしく、時代背景がヒッピー文化衰退に向かっていた七十年代前半だということは、その頃若者だった者にはピンとくるけれど、それが特に重要だとは思わない。作者は新旧対立の図式にいちばんよいと思って設定したのだろうが、どうもしっくりこなかった。
 最後の場面は、彼女を階上に追いだして男が泣くところで切り上げるべきではなかったか。後半のまとめかたに冗長さが感じられたが、役者ふたりの大熱演に満足して帰途についたことであった。         
                                                                    (1993・7)


演ずること観ること           
                                        無名塾公演『リチャード三世』第184回例会

 毎夏、石川県下の高等学校演劇部合同発表会が開催されている。商業演劇にはない若者らしさが溢れた舞台なのだが、平日の昼公演という制約もあって、観客はそう多くはない。もっと多くの人に観てもらいたいものだ。
 実は昨年の地区大会で、ちょとした事件があった。K高校が規定の時間を五分近くオーバーし、内容的には素晴らしいものながら失格となった。生徒はこれを問題にし、関係者宅に押しかけたと聞いている。
 今年、その高校は、高校演劇の舞台裏をコミカルに描いた既成台本を大幅に改作し、実名を織りまぜながら大会批判を展開した。既成の部分が楽屋落ち的な楽しさの横溢したものだっただけに、手を入れた部分は急に雰囲気が変わり、余りの生の肉声に不快になられた方もあったようだ。
 藝術の世界では自明のことだが、ここにはモチーフとテーマの混同がある。悔しさをバネにして、舞台という総合藝術に昇華させる方向で進むべきだったのに、大会批判(顧問の力関係で失格になったのだという台詞まであった)を主題そのものにしたせいで、芝居に普遍性を持ち得なくなってしまった。昨年のことを知っている人はドキリとするが、全国レベルでは何のことか判らない。彼らはこの点を放棄してしまっており、創作の根本の所で勘違いしている。
 (ちなみに、この作品は地区大会を通過し、県大会に進んだ。その県大会では、今度は、上位大会むけに毒気を抜いた修正がなされており、その要領のよさには呆れた。)
 ところが、その次に上演されたS高でまた悩んでしまった。有名なプロの劇団の脚本を大幅に省略してまとめたもの。大道具もプロ顔負け、観客に感動してもらおうという気迫が感じられた人情劇であった。
 ただ、一部から疑問も呈された。「高校生が演ずる必然性がなく、プロがすればいい芝居ではないか」と。高校生はその時代にしかできない芝居をすべきだと考える人にとっては疑問の残る芝居だったようだ。もちろん、演じた部員がそこまで成長していたからこそ、<我>を去ることができたわけで、その点は大いに評価せねなばならない。
 かたやK高の方は、観客が不快になろうがおかまいなしである。パワー爆発、言いたいこと言ってすっきりカタルシスといった感じで、確かに実に高校生らしい芝居なのであった。「高校」「部活動」という限定がつくと、いろいろ難しい問題を含んでしまうようだ。
 この話を持ちだしたのは、今回の劇がシェークスピアの史劇『リチャード三世』(演出隆巴訳三神勲)だからだ。シェークスピアと聞いただけで肩肘が張ってしまうのは致し方あるまい。しかし、商業演劇である以上、肩が凝ったまま帰しては失敗なのである。まさか不快にはならないだろうけど、退屈で辛抱なんてことになりはしないか。観客を満足させ、古典劇を現代にする必然性を充分納得できる舞台かどうか。そんな演ずること観ることの関係を考えながら席についた。
 結論を先に言うと、たいへん楽しませていただいた。主人公が悪役に徹し、ラスト以外、冷徹さを押し通す。そこが痛快であった。現代の劇では、みな善良な市民なのに、そのなかでエゴイズムがぶつかりあって……といったパターンが多い。そこにも高度な演技は要求されるわけだが、今回のような人物造型の場合、役者としては、なおさら演じにくいのではないかと思う。ベテランの仲代達矢のアクの強い演技は、芝居のまがまがしさをうまく増幅させていた。
 シェークスピアの原作『リチャード三世』は、正式には五場二十五幕。一五九二年ごろに執筆し、九四年ごろに初演(九七年のクォート版が初版)された。手元にある「劇作品上演年表」を見ると、『ヘンリー六世』三部作に続く作品で、三部作はどの程度までシェークスピアがかかわっていたか議論の余地があり、それにつづくこの『リチャード三世』は、シェークスピアの最も初期の作品のひとつということになる。彼は一五六四年生まれだから、二十八歳ごろの作品。なんとお若い……。
 ご存じのように、薔薇戦争は一四五五年から八七年まで三十二年間、英国を二分した内乱。シェークスピアの時代から百数十年前の出来事を劇化したということになる。日本の現代の作家が明治維新の劇を書くような感じであろうか。
 彼がこの作品をはじめとした「史劇」を書く際に参考にした資料は、ホリンシェッドの『年代記』(第二版)といわれている。これは一五八七年のもので、執筆と比較的近い時期の本だ。シェークスピアが参考書を机の上に広げて、せっせと台本を書いているなんて想像すると、急に身近に感じられるではないか。
 芝居はうまく整理されていてわかりやすいが、史実はもっと複雑で、リチャード三世に至るまでの根も深い。原作者は、薔薇戦争の動乱の中心部を『ヘンリー六世』で、終盤を『リチャード三世』で描く。争乱の当事者ではあるが、まったくの主役とまでは言えない一人の野心家を徹底的に悪役にすることで、薔薇戦争の終息部をすっきりわれわれに見せてくれている。
 英国のヨーク家、ランカスター家の複雑な系図を眺めていると、戦乱のなかで生きてきた王家の血筋として、王位に野望のある人なら当然の行動をした人物に過ぎないことがわかる。そこに、彼固有の「野望に憑かれたせむしでびっこの男の複雑な性格」(まずい。差別用語だ。でも、百科事典にそう書いてある。これを「足の不自由な」としたらイメージが湧かないのでそのままにしておこう)という屈折した心情も描かれていて、それで人間くさい劇になっている。
 実像はどうなのだろう。私の観たリチャード三世の肖像画は、仲代のいかついイメージとはほど遠く、脆弱な、寂しそうな横顔が描かれていた。
 いずれにしろ、彼を徹底的に悪役に仕立てることで照らし出されるのは「忠節を尽くす」「善良に生きる」ことの愚劣さなのだろう。他人を信用しないという彼の生き方が、最終的に彼の破滅をも招いたというストーリー展開ではあるが、そこに勧善懲悪の意味を求めると面白くない。
 単純造型であるからこそ作者が見据えていることが明瞭に自覚される−そこに現代劇にはない新鮮さを感じた。
  仲代以外の役者では、山本圭がヘンリー六世の妻、マーガレットの役を演じ、有名男優が女を演ずる演劇的魅力を発散させていたし、無名塾の塾生は自分に与えられた責務を全うすべく全力を尽くしていて不足はなかった。                                                                                                             (1993・10)


役者は農家の代表か                           
                                      青年劇場公演『遺産らぷそでぃ』第185回例会

 日本の農家が抱える問題を、佐賀県唐津の一農家を舞台にアラカルト的に開陳した作品(脚本高橋正圀 演出松波喬介)とでも言えばよいのだろうか。農家の遺産相続問題、米の自由化問題、専業・兼業の問題、嫁不足の問題などがコンパクトに触れられていて、観客にその大変さがよく伝わり、日本の農業に危機感を持つ−そういう意味で、この芝居の所期の目的は充分果たされていた。難しい書類片手に講演会に出席しても、結局、頭が痛くなるだけで帰るのがオチのわれわれにとっては、楽しく実感的に理解でき、勉強になった。
 と、一応、褒めておいて、注文をいくつか。
  まず、観客のほぼ全員が感じたと思うが、余りに啓蒙的態度が全面に出すぎていて、これは登場人物が語っているのではなく、作者が自分の主張を適当に登場人物に振り分けて語らせているだけではないかという部分があった。数字をあげての説明は、いくら手帳を開いてそれを眺めながらという設定があっても違和感が残る。それに、遺産配分でもめている親族会議の最中に、あんな公

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