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 私の「かあてんこおる」U 2001-補録 
金沢市民劇場

■□ 目      次 □■

一 九 九 四 〜 九 五 年                               
                                                                       『奇妙な果実』                             
『がめつい奴』                           
『荷車の歌』                         
『花石榴−友禅の家』                       
『枯れすすき−野口雨情抄伝』                     
『正しい殺し方教えます』                   
『喜劇 キュリー夫人』                 
『マンザナ、わが町』               
『サンダカン八番娼館−底辺女性史序章』              
「あ と が き」

        

一 九 九 四 〜 九 五 年


モダンジャズのファンとして   
                                             地人会公演『奇妙な果実』第186回例会

 高校の時からジャズを聴き始めて二十年になろうとしている。趣味もこれだけ続けば、履歴書に「趣味−ジャズ鑑賞」と書いても罰はあたらないだろう(もうそんな書類書くことなどないとは思うけれど……。でも、今の世の中どうなるかわからないのが怖い)。しかし、だからといって自他共に認めるジャズ<オタク>でもない。そんなスタンスでつき合ってきた。
 「スイングジャーナル」の定期購読も、一九七五年以来続いていて、案外、それが長続きの秘訣かもしれない。普段は積読(つんどく)でも、興味が湧いた時に、たまったバックナンバーを読破して、そのブランクを埋めるのである。
 ところで、ジャズというと、多くの人にとっては、ベニー・グッドマン、グレン・ミラーなどスイング時代か、ビバップ初期のイメージで固定しているのではないだろうか。黒人の暗い音楽というイメージもある。以前、ある女性に「ジャズが好きだ」と言ったら、「古いのが好きなのね」と言われて面喰らった。まるで滅んだ音楽扱いである。
 そこで、この『奇妙な果実』(脚本演出木村光一)のビリー・ホリディ。
 彼女の暗い人生については、多くの音楽ファンが知っている。しかし、一般的な日本人にとって、それ程、ポピュラリティーがあるとは思えない。決して美声ではないし、技巧で聴かせるタイプでもない。特に晩年のヴァーブ・レーベル時代は、もはや声が前に出ていない。この時期の彼女を、もはやボロボロと否定するか、それでも彼女の真実の表現はそうした肉体的限界を超えていると評価するか、評論家によってさまざまだ。全盛期がモノラル録音時代で、音質面での不利もある。名前は知っているが、実際の歌声ははっきりと思い出せないという人が多いのではないだろうか。
 かくいう私も、決してよい聴き手とは言えない。それは、彼女があたかも全黒人の不幸の象徴のようなイメージで見られていることへの反発が少なからずある。ジャズがいかに黒人の差別との戦いと共にあったかは、充分承知しているつもり(油井正一『ジャズの歴史物語』(スイングジャーナル社)が勉強になった)だが、この点を認めても、やはり、彼女には過剰なイメージがついてまわっている気がして好きになれなかったのだ。
 原作の『奇妙な果実−ビリー・ホリディ自伝』(晶文社)がそんな話なのだから仕方ないのだけれど、ジャズがこの地平で固定しているかのような印象を観客に植えつけてしまうのではないかと危惧の念が湧いた。
 芝居は、人間を描かなければならない。人間(役者)が人間(観客)に直接コミュニケートする。しかし、音楽はその背後に作曲者、演奏家という人間を介しながらも、あくまでわれわれに届くものは、極度に抽象化された<空気の振動>という形でしかない。音楽を聴いて感動するのは、この振動の連なりという物理的なものを、情緒の深層に感応させるという、考えてみれば、かなり高度なことを直観的に行った結果なのである。言い換えると、音楽にビリーの悲しい人生は何の関係もない。参考までに知っていて損はないという程度だ(だからこそ私のビリーへの態度は偏見そのものなのだが……)。
 ところが、芝居は彼女の人生を描かなくてはならない。音楽にとって本質的ではないものを、芝居では本質的なものとして描かねばならない−ここに、この作品を含めて多くの音楽劇の二律背反がある。役者は一面でビリーでなければならないが、ビリーの音楽を表現することは永遠に不可能だ。主役の前田美波里はこの背反をどう乗り越えるのだろうか。この疑問が最大の関心事であった。
  観劇後、私は唸ってしまった。前田はビリーに寄り添うことをさっさと諦め「前田美波里歌謡ワンマンショー」という形で乗り越えたのであった。考えてみれば、役者にとってビリーは<素材>にすぎない。芝居は自己表現の場としてあるわけで、こうしたやり方は、ある意味では芝居の王道である。私はどうやら、余りにも音楽側から考えすぎていたようだ。
 しかし、それでも釈然としないものが残る。ジャズを標傍している割には、前田の歌は余りに日本的であった。せめて何曲かは原詞で歌って欲しかったし、ジャズの命である即興(アドリブ)の要素もなかった。ジャズコンボ(有馬秀備   他のカルテット)をバックにつけたのは大いに評価できるが、この時代背景で、部分的にではあるが、シンセサイザーを使うのはどんなものだろう。第二部冒頭の伴奏も、テープではなく、生のバンドで聴きたかった。など、もう少し配慮があってもよかったのではないだろうか。どうも割り切りすぎている印象がある。
 無論、以上はジャズファンとしての不満である。演技も楽しめ、ミュージカルも楽しめ、歌謡ショーも楽しめる、なかなか盛り沢山の内容で、これだけのものをこなせるのは、やはり前田ならではであろう。ジャズ歌手ならぬ身、前田に責任はない。
 ところで、近ごろシェークスピア研究家の小田島雄志さんの随筆を読んでいたら、この芝居のことが書いてあった。

前田美波里のビリーはどのような面を開いてみせたか。一口に表現すれば、傷ついても、いや傷だらけになればこそ「しなやかに立ち直る精神」とでも呼びたくなるものである。男に去られても、酒に溺れても、麻薬で投獄されても、あるいはかつての自分のように黒人であるがゆえに差別された少女の話を聞いても、美波里・ホリディは傷の痛みを呑み込んで、しなやかに立ち直り、歌うのである。もしかしたら、その精神は美波里自身、共有しているのかもしれない。

『小田島雄志の芝居遊歩』(白水社)にあった文章だが、この本「ほめて書く」のが大原則。うーん、うまい言い方だなあ。つまり、ビリーの暗い物語のわりには美波里は妙に元気いっぱいで、そこがまあ彼女の個性だといっているのだ。
 私も見習わなければ……。ええ、もちろん「暗くても元気で」ではなくって、ものの言い方をです。
                                                                    (1994・2)


われわれがなくしているもの     
                                            蝉の会公演『がめつい奴』第187回例会

 菊田一夫はドラマ『君の名は』(昭二七〜二九)で大成功をおさめ、昭和三十年、東宝の役員に迎えられる。『がめつい奴』は、お鹿ばあさんを三益愛子、テコを中山千夏が演じ大ヒット、この時期の彼の代表作として大衆演劇史に名を残している。<がめつい>という言葉は流行語にもなった。
 「こういう話だったのか、いかにも当時らしいな」というのが第一印象。
 この作品が初演された昭和三十四年は、実は私の生まれた年でもある。この年は、何といっても「皇太子の御成婚」がトップニュースで、そのため、テレビ受像機が売れに売れた。映画の観客動員数も史上最高を記録するのだが、次の年からはそのテレビに喰われ低落していく。いわば、<戦後>としてくくられる文化状況が飽和点を迎えた年なのである。その後、日本は高度成長を唱え、現在に通ずる消費文化に変容していく。この年は新時代に移行する準備期でもあった。
 そうした時期に、あえて二十年代後半を舞台にしたことにまず興味を持った。基本的には、菊田得意の戦後混乱ものの延長なのだが、二十年代の作品とは違った感性も感じられる。あの頃、世間では、ようやく物が出回り、お金さえあれば買うことできる時代となっていた。ところが、作者は場所を大阪西成区の愛隣地区釜が崎に設定することで、この作品が上演された当時とはすでにかなり隔たった終戦直後的な空間を作り出し、観客に提供する。何故だろう。
 作者の意見は、ほどんどの場合、お鹿婆さん(渡辺美佐子)の口から発せられる。すなわち<現実肯定主義><生の謳歌>である。きわめてシンプルなメッセージで分かりやすい。ただ、それは戦後混乱期とは別の形で観客の胸に入ってきたのではないだろうか。
 先が見えない混乱期に比べ、日本社会が半永久的に上昇することが信じられた時代である。自分たちの生活水準が、彼らと相似形の時には、現実を見せつけられるようで嫌悪を催し、笑いにはならなかったろう。しかし、「もはや戦後ではない」といわれる時代となり、観客は彼らのバイタリティに共感するだけの精神的余裕を持ちつつあった。そのちょっとした<距離感>が、逆にお鹿婆さんらのがめつさに対する共感になっていたのだ。菊田はそれを見抜いていたのだろう。
 芝居(演出渡辺浩子)は、大塚弘、三田和代らベテラン、実力俳優陣が脇をかため、ラサール石井ら若手が関西ノリのパワーで押しまくる。例えば、ラサール石井の芝居をはじめて観たが、漫才で鍛えたノリのよさはさすがだ。『ラサール石井の大教育論』(廣済堂文庫)という大真面目な著書もあって、彼の教育論には共感している。クイズ番組では頭のいいところをみせるし、藝能界で生き抜いていける人だと思う。そんななかで、渡辺は悠然とお鹿婆さんを演じているように見えた。
 この手の芝居に理屈は入らない。大いに笑えばいいと思って観ていたのだが、思ったより笑いが少ないのが気になった。私が観た最終日だけのことだったのだろうか。はじめ私は観客の方々がこの猥雑さを下品に感じて、お気に召さないのかと思ったが、そんな単純なことでもなさそうだ。
 思うに、観客の多くがこの芝居の時間を共有できないもどかしさを感じていたからではないだろうか。初演当時は、多くの観客が多かれ少なかれ何年か前までは苦しい生活を強いられた体験を持っていただけに、彼らの悲喜劇を実感することができた。しかし、三十余年。観客の多くはそれを知らない。よしんば記憶にある人も、その後の経済的な繁栄によって、すっかり贅沢人間になっている。つまり、体験の有無はあれど、実感的に感じとれる人は今の日本にはいなくなっているのだ。このため、初演時には有効に作用した<距離感>が、今回は越えがたい溝となって横たわっていたように思える。
 この芝居を観ながら、昔は大いに泣き笑いしたのだろうなとは思うのだが入り込めない。お鹿ばあさんが梅干し壷に隠したお札を乾かす場面など当時大受けだったという。今回、そこでの笑いはなかった。
 「逞しいな、お鹿婆さんは」と思う。「すこしは見習わなくては」とも思う。だが、「あの楽天主義を今に活かすのは困難だろう」とも感じてしまうのだ(無論、そんな諦めは、人間として悲しいことなのだが……)。
  その上、おそらく現代の大衆は、良い悪いは別にして、当時より知的だ。観劇の機会も昔と比べものにならないほど多く、目が肥えてきている。菊田が設定していた観客層とは違っており、この面での古さは如何ともし難い。旧作リメイクの難しいところである。
 アラ捜しをしているようで申し訳ない感想となった。個人的にはバイタリティが感じられ楽しめた芝居だったのだが……。
 お鹿婆さんの逞しさには、『楢山節考』のおりんばあさんと共通するものがあるように感じられた。乞食となって子供と会話するラストシーンも心に残る。                                                                                              (1994・3)


孫娘のことばのなかに       
                                              文化座公演『荷車の歌』第188回例会

 明治から昭和を生きた女性の一代記(原作山代巴 脚本寺島アキ子)とくくって間違いないのだが、演出を担当した鈴木光枝がめざしたように、単なる女の「涙の半生」ではなく、そこに「一途な情熱を秘めて生きた日本の女の歴史」を、主人公のセキ(佐々木愛)に象徴させて描こうとした意図ははっきり感じとれた。「その一途な情熱が、娘、孫と女三代にわたって受け継がれ今日に至っているのだと言える質のもの」をという演出意図は、エピローグの孫娘との会話に端的に表れている。
 老婆となったセキが、考えてみれば人生とははかないものよといった感慨を洩らす。その時、孫娘はきっぱりそれを否定するのである。われわれが人間の生き死にの運命のはかなさに思いを致す心情になっている折だけに、ああ、そうなんだ、この芝居は生死の虚しさを強調したものではない。次の世代、次の世代と引き継がれていく女の歴史のなかに、明るく力強く引き継がれていくものなのだと気づかされる場面だ。
 構成は、じつにオーソドックス。老婆のプロローグからはじまり、最終的にその場面に戻っていく。日本の折々のトピック、時代性を折り込みながら、一家の浮沈を飛び飛びに描いていく(日露戦争の傷痍軍人の登場だけは、どうにもとってつけた感じであったが……)。人生の生死は多く会話やモノローグのなかで語られることで、場面と場面との空白の出来事を埋めていく。このため、本当の死の場面は夫の時だけである。それとて、厳密にいえば死の瞬間は描かれてはいない。作者は無論、故意に描かなかったのだろう。
 それにしても多くの人が死んだ。われわれ日本人はこうした身内の死を淡々と描く作品に弱いようで「ああ、泣かされている」と思いながら、特に夫の茂市(橘高宜)との死別が後半描かれることがわかっていながら、やっぱり悲しくなってしまう。しかし、この涙は正直言ってお涙頂戴ものと同じだ。この芝居の主人公に同化できた人は感動しただろうし、できなかった人はこの湿っぽさを嫌うだろう。評価はそこで決まるように思われる。
 詳細にみると、改善すべき点もある。少々長くて単調であった。娘の夫が労働運動家であることから、新しい世代意識を提示しているのだろうが、あのモチーフはどこにいったのだろう。総じて、時代の封じ込みは表面的であった。前半の照明が暗く、音楽は昭和二十年代の松竹映画風。かなり古くさい音楽だ。
  人生経験の長い人にはしみじみとしたいい芝居に映るだろうし、若い人には間延びした芝居と映る。世代の差がでる芝居のように感じた。                                                                                         (1994・6)


地元の作家だからこそ        
                                    文学座公演『花石榴−友禅の家』第190回例会

 地元の作家、松田章一氏の作品だけに、いい台本に仕上がっているかどうかハラハラしながら観たというのが正直なところだ。
 加賀友禅の職人、向田直平(北村和夫)の妻梅子(平淑恵)は、娘紬子(山崎美貴)を残し家出をする。二十年後、絹子(平淑恵二役)と名乗る女が向田家を訪問する。梅子の娘だという……。
 プロローグの直平と梅子の別れの場面。妙に観念的な(伏線的な、と言い換えた方が正確かもしれないが……)台詞がつづき、こんな調子で最後まで通されたらやりきれないと、チラッと思う。しかし、中盤、四角関係の話となって、これは面白くなるぞ、この調子でかきまわしてくれたらと期待したら、それ以上にはならず、なぜ舞で終わるのかよくわからないまま幕を閉じる。
 友禅の家の新旧の考え方の違い、織りなす人間模様など、その設定自体は、なかなか魅力的で、ふくらまし方次第では佳品となる可能性を秘めた舞台ではなかったかとは思うが、いくらプロ集団の「文学座」が演じ、演出(鵜山仁)をしても、隠しきれないアラも多くあって、そのあたりのこなれが今一歩足りなかったのではないかという気がしてならない。おそらく作者自身、この芝居を観て痛感していることばかりだと思うが、老婆心ながら、いくつが注文をしたい。
 まず、松田氏の脚本は出世作『島清、世に敗れたり』をはじめとして、議論好きで、会話で話をつないでいく傾向が強い。彼の前作『海を歩いて……』(演出荒川哲生)を、第五回「鏡花劇場」公演(於石川県文教会館 平五)で観たが、上手が店舗(喫茶店)、下手が奥の茶の間という設定で、登場人物がそのどちらに居ても、ただただ戦争についてしゃべりまくる。人物の動き、ダイナミクスが感じられず退屈した。今回もしゃべりすぎである。光る台詞はあちこちに散りばめられているのだが、すぐにその台詞を受けて、いらぬ合いの手が入り、無理やり会話が続けられていく。
 しゃべりすぎの結果、底も浅くなった。梅子は家出の常習犯だったなんて後半語られると、職人の家の因習が嫌で家出したという設定が台無しになるではないか。
  台詞の受け渡しも細かい部分で不自然だった。なぜここで相手を急に呼び捨てにするのかという程度のことだが、こうした微妙に違和感を感じる部分があって、そのせいで、人物と人物とのスタンスがぼやけてしまう。例えば、紬子を母親がわりに育てた叔母(八木昌子)と直平とは、後半、妙に他人行儀になったように感じられたのだが……。
 台詞自体、作者の観念操作があらわだったのも残念だ。「花石榴(はなざくろ)」が余りにもモチーフ然として語られ、結局、直平にとって花石榴とは梅子のことだったのだという台詞でネタがばらされてしまう。説明せずともよいことである。「羽衣」も重ねてあるが、うまく機能しているとは言い難い。全体的に作者が観念的にコマを動かしている感じがただよっている。
 人物造型にも分裂がある。絹子は都会育ちで暴走族上がりの現代娘のはずで、前半はそれなりに雰囲気がでていたのに、後半、何だか生まれながらの金沢人、御稽古ごとを身につけた古風な娘のような印象になっている。サバけた所があるかと思うと、しっとりと告白したり、最後まで絹子は一体どんな人間で、なぜ隠されたことを白日のもとに晒すのか理解できなかった。
 姉も然り。絹子に跡を継がせればよいと言いながら、会社設立に何故こだわっているのか、弟子の麻治(石田圭祐)との関係もはっきりしない。
 そう言った意味で、端役の市役所さん、本名後門礼保(清水明彦)が一番単純明快で楽しかった(公務員の保さんというのは、金沢市民ならすぐに市長の名前とピンときて笑いを誘う。ついでにいうと、地名が多く出てきて金沢人としてはうれしかったが、他の土地で演る時には意味がない。作者は最初から全国規模の観客を考えていないのだろうか)。
 他に、こまかいことであれっと思うときがあった。何軒も立ち寄ってきたといいながら、酔って帰宅した時間が午後九時過ぎでは少々早いような気がしたし、舞ができる人が和服の着付けができないと言うのも「?」(はてな)マークがつく。二十年後ということで、最近の話かと思って観ていたら「バタバタ」がでてきてびっくり。確かオート三輪のことではなかったか。
 結局、娘絹子の真意がはっきり理解できぬまま、母梅子という人間の欠点が明らかになっていき、娘が二人共、直平の実子ではないと告白されても、われわれ観客は必然性のない結論にお付き合いするしかなく、意外性をまったく感じられない。最後、和服を着て舞を舞うことで絹子と梅子とを重ねるのだが、観ているものにとっては終わらせるためにとってつけたシーンのようにしか映らない。
  松田章一脚本としては、従来にない商業演劇的なテンポアップした部分があり、そうした新生面は評価したい。ただ、脚色(成井市郎)がいるので、その功がいずれなのかは判然としないが……。
 私見では、おそらく今回の芝居、元の本とだいぶ違っているのではないだろうか。人物造型がはっきりしないのも、その場その場での手直しが、逆に全体をぼやけたものにしてしまった可能性がある。松田の台本を、まわりが一所懸命プロ芝居として通用するものに仕立てたいと努力した結果が現在の姿で、それは、よくも悪くも今回の芝居の出来を決定したのではないのかという勝手な推察をしてみたのだが、どうだろう。
 全国レベルに通用するには再度の時間が必要のようだ。妄言多謝。
                                                                    (1994・9)


常識という価値観          
                  九プロダクション公演『枯れすすき−野口雨情抄伝』第191回例会

 九プロダクション第一回プロデュース公演の再演。篠田三郎(雨情)、林美智子(まち)、日色ともゑ(梅太郎)と魅力的なキャストによる詩人野口雨情の半生記。
 篠田は女性に人気のある二枚目俳優さんで、最初から観客のほとんどを占める女性陣の、暖かく見守る雰囲気が出来上がっていて、それだけでもうこの芝居は半分成功したようなものだ(この再演では当初、大和田伸也主演で話が進んでいたそうで、そうなっていたらどうなっただろう?)。飄々とした役が役者のイメージと合っていて、本人も「役づくりも雨情の場合はすーっと入れました」と語っている。実に自然体の演技だった。本妻のひろ(伊藤留奈)、置屋の女将まち、宿屋の娘つる(水野千夏)と、ふつうなら節操がないといわれそうな女性遍歴も、篠田の清潔なイメージが加わって全然いやらしくない。得だなあ。
 彼は童謡の作詞者として有名ではあるが、漱石や芥川のような小説家と違い、学校の国語の時間に勉強するわけでもないし、その生涯は現代ではあまり知られていない(……ような気がする)。そこに目をつけたのが、制作の平林章三。三十数年前から暖めていた企画だったそうで、作の新藤兼人、演出の神山征二郎を得て、実に魅力的な人間像を描き出すことに成功している。私は堪能した。
 ところが、復習のつもりで開いた「近代文学大事典」(講談社)の記述は、芝居の雨情のイメージと大きくかけ離れていた。参考までに、略歴を手短にまとめて紹介する。

明治二〇年、茨城県多賀郡北中郷村磯原の生まれ。
  三八年、十八歳で『枯草』という日本最初の創作民謡集を出版。
  四〇年、北海道に渡り新聞社に入社、そこで石川啄木を知る。
  四四年、上京するも、同年、帰省。植林業に専念する。
大正 六年、ひろと離婚。七年、水戸にてつると結婚。
   八年、童謡運動を開始する。
   九年、早大の後輩、三木露風、西条八十らの縁で、再上京。
  一〇年、民謡集『別後』、童謡集『十五夜お月さん』を出版。このころ童謡運動も隆      盛しはじめ、一躍、人気童謡作家となる。
  一三年、「船頭小唄」(中山晋平作曲)の大ヒットで、民謡・童謡界の第一人者とし      ての地位を固める。以降、毎年、日本各地を巡歴、講演や地方民謡創出に多      忙をきわめた。
昭和二〇年、死去。この間、数多くの童謡集、民謡集、童謡作法の著作を残した。

 経歴をみる限り、雨情の生涯は、中学時代から民謡調の詩を作ったり、若くして創作民謡集を出版するなど、当初から純粋な詩からは少しはずれた、民謡・童謡分野への興味関心があったことは明らかで、大正八年、長久保紅堂と「茨城少年」を創刊、童謡運動を興すのも、芝居での孤高のイメージとは違っている。北海道流浪以来離れていた中央詩壇への復帰を願い、中央誌に作品を発表、認められて上京するなど、地方の文学者としては当然の<中央志向>もうかがわれる。作品がヒットしてからは、当時知らぬ人なき有名人として講演などをこなし、今でいう文化人として活躍している。初期にくらべ、作風にきめの細かさや独特の哀感が減少し、明るい歌謡調のものが多くなったという指摘もあった。
 これらの記述からは、この芝居のような孤高の人間像は表れてこない。事典の書きぶりが、出版の記録中心で、限られたスペースでの説明ということもあるかもしれないが、実生活者としては、おそらく事典のほうが正しいにちがいない。見方をかえれば、この芝居がいかに情緒的に生涯を作品化しているかということになる。雨情の生み出した作品世界のイメージとシンクロさせて雨情像を作り上げたのだろうが、芝居としては、もちろん、このほうが正しい。
 ある台詞で、私の思考は芝居とは関係ない方向に進んでいった。置屋の女将まちが、身を持ち崩し死の床にふせっている時、雨情に迷惑をかけまいと連絡を拒む心ばえを、梅太郎が「女の鏡のような人でした」と評した。彼女のひたむきな愛が感じられる場面で、多く観客の涙を誘う。かくいう私もじんときたひとりだが、今では流行らない古風な価値観の愛情表現かもしれない。
  最近、価値観の違いを考えさせられることがあった。
 ひとつは、夜のテレビ番組。オカマが大挙して出演したバラエティー番組で、彼女(?)らの印象を長寿のお年寄りにインタビューしていた。
 「昔は、男が生まれると赤飯を炊いてお祝いしたもんじゃが、なに好きこのんで女の恰好しとるんじゃか……」
 なるほど。これはお仕着せではない彼女に身についた価値観なのだ。彼女の筋の通った意見を、封建的な性差別を受け入れた固定観念だなどとしたり顔で評しても何の意味もあるまい。私はその凛とした態度に感銘を受けた。これは配偶者も同様だったとみえて、おそらく現代女性として承認しかねる意見だとは思うが、あまりのキッパリさに、やはり感心していた。
 もうひとつは身近なこと。
 先日、青空リサイクルマーケットに出店した。押入れの不用品が減ればいいという気軽な気持ちで参加することにしたのだが、少し品物が足りないようなので、配偶者の実家にも電話した。
 ところが、義母曰く、
 「あんたら、貧乏しているわけでもないのに、そんなみっともないことしなくても……」
 彼女にとって、自分の持ち物を売って換金するのは、賎しき業なのだ。「リサイクル」というコンセプトが定着しているものと思いこんでいた私は、不意打ちを喰らい、即答できなかった。
  結局、雨情の生き方が魅力的なのは<常識という価値観>にとらわれていないからだ。管理社会に生きているわれわれ現代人は、とても彼のように生きられないし、生かせてもくれない(もちろん、あんなにもてるわけもない……)。『日本の面影』の主人公、小泉八雲も同じだ。幽霊の存在を信じ愛した、常識とは無縁な人だからこそ魅力的なのだ。
 私は男だから、妙に女性にもてる、どこか底が抜けたような雨情が、それを全うできたことに羨ましさを感じるのは当然(?)だけれど、おそらく女性も同じだろう。
  篠田以外では林美智子が力演。日色ともゑの梅太郎は彼女らしくないおきゃんな役で芝居を和ませてくれていた。
 この芝居を観て思ったこと。どうやら私は一代記のお芝居が大好きなのだ。                                                                         (1994・11)


正調探偵小説礼讃          
                        テアトル・エコー公演『正しい殺し方教えます』第192回例会

 テアトルエコーの公演を観るのは久しぶりだ。最初の方は観客のノリも今一歩で、このままでは、喜劇なのに少々辛いのではないかといらぬ心配をしてしまった。役柄のせいもあったのか、テンポが遅く感じられて、熊倉一雄、納谷悟朗、ともに歳をとられたか、とこれまたいらぬ心配であった。なんのなんの、ペースがあがってくるとさっと観客を芝居の世界に引き込んでくれた。大変失礼な心配をしました。申し訳ない(と、心のなかで思ったことまで謝ってもしょうがないけど……)。
  殺人倶楽部に集まる探偵小説家トレバー(納谷)、バーディ(熊倉)、ドラ(牧野和子)。彼らの小説は、よく言えば正統、悪く言えば時代遅れ。彼らはロンドンの街を騒がせている連続殺人犯に対して、自分たちの小説のような格調ある完全密室殺人を計画する。ところが、歳で思うように動かない体、それに、もともと善人で、いざとなると殺人を尻込みしてしまう。そんなドタバタが楽しい。殺人劇とはいえ、根底にヒューマニズムが流れていて、どういう結論になろうが、安心して観ていられた。
 結局、一番、憎々しげな人物が殺人犯という、実にめでたしめでたしの結末で、そこもまた、そうでなくっちゃと思わせるものであった。推理劇としての意外性を充分満足させつつ、人間のぬくもりを表現することは、なかなか難しいことで、この台本(作マイケル・サットン、アンソニー・フィングルトン 演出キノトール)が、いかに上質のものであったかわかろうというものだ。
 しかし、裏を預かるスタッフにとっては、毎回、仕掛けがうまくいくかハラハラし通しの芝居だったと思う。慣れてきたら毎回うまくいくというわけにもいくまい。偶然をいかにも偶然らしく見せなくてはならないからだ。特に一幕目の最後<風による殺人>の場面は、観客全員、あっと驚いた。ゴリラの人形がうまく倒れるように戸棚にのっているか、ロープの長さは適当か。全てがうまくいかないと首つりにならない。私が観た日は、ぶら下がった人形の足がステージにつきそうで、ぎりぎりセーフだった。あの仕掛け、失敗したことはないのだろうか(と、またいらぬ心配)。
 だいたい、ゴリラの着ぐるみが途中で人形に替わっていたなんて、戸棚に持ち上げるまで気がつかなかった。そういえば、その前のシーンで、勢い余って舞台上手にはけるギャグがあったっけ。あそこで入れ替わったんだと後で気づいた鈍感者であった(見終わっても、どこで替わったかわらないという人がいて、私のほうがまだましと一安心)。
 翻訳ものの喜劇というのは、笑いイコールその国の文化の質という側面があって、そのまま直訳しても異国の人間にはさっぱり面白くない場合が多い。芝居は日本向けの潤色でなんとかなるが、映画はそういうわけにもいかず、向こうで大評判という触れ込みで観に行ったが、最後まで誰も笑わなかったというハリウッド映画を私は何本か知っている。この芝居でさえ、おそらくかの地では大受けだったろうと思われるいくつかのギャグでハズしていた。無理に日本語の駄洒落を入れていたけれど、勢いで笑わしていた感じで、正直、ちょっと危なかった。
 小学校の図書室で「シャーロック・ホームズ全集」を全巻読んだ(もちろん、子供用の翻案ものです)私としては、推理小説の新旧対立で、旧が勝利するこの構図に、大いに満足した次第。    
                                                                    (1995・2)


彼女はポロニウムも発見したんです     
                                  青年劇場公演『喜劇 キュリー夫人』第193回例会

 見識という言葉を使うとすれば、この芝居には二つの見識があったと思う。
  ひとつは、ピエール・キュリー(千賀拓夫)とマリー(黒柳徹子)の結婚までのいきさつをあっさりと扱い、思い入れ過多になっていないこと。真理を求める者同志の<連帯の愛>であるということを示したのみで、次の幕からは夫婦として話が進んでいく。
 もうひとつは、キュリー夫人の伝記のなかで誰でも知っている後半生をばっさりカットしていること。「夫の交通事故死の悲しみ」「遺志を引き継いで研究を続ける決意」「二度目のノーベル賞」「長年の研究による被爆と死」へとつながる、当然、描かれるものと思いこんでいた部分がなかったので、ちょっと肩すかしを喰った。
 しかし、よく考えてみると、なにも全生涯を描かねばならない義理はない。ふたりがラジウムの螢光を見つめつつ終わる切り方は、芝居のまとまりとして充分納得できるものだ。私が台本(作ジャン=ノエル・ファンウィック 演出飯沢匡)に関して感心したのは、こうしたあっさり感である。
 芝居のなかで一般の人には難しい放射能についても、わかりやすく説明されていたし、いろいろ工夫もされていた。しかし、文系の私は基礎知識にさえ欠けており、観劇中も「家に帰ったら、ちょっと勉強しておかねば」と思うことしきりであった。
 自宅にあった参考書は二冊。一冊は、専門外の知識を調べる時、いつもお世話になっている『ブリタニカ国際大百科事典』(全二十九巻)。狭い我が家のかなりの部分を陣取っており、こういう時に使わなければ邪魔っけなだけと、意外にせっせと引いている。<キュリー家>の項に約一頁。
 もう一冊は配偶者の所有する『核化学と放射化学』(J・W・ケネディ、G・フリードランダー共著 丸善)。大学理学部のテキストだったそうで、古典的名著らしい。昭和三十年に原著がでている。ただ、私が理解できたのは最初の「放射能の発見」という歴史的記述の部分のみ。これは約二頁。
 以下は、この少ない情報からの類推で、間違

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