ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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先日、職場に京都大学経済学部教授下谷政弘氏が出張講義にやってきた。演題は「日本経済と経済学」。生徒に混じって聴講する。 戦後日本経済の概略を述べつつ、経済学という学問の間口の広さを紹介するという判りやすい話だった。その間口の広さに耐えられない学生は法学に逃げていく。法学は出口も司法試験合格という一本道だという言い方をしていた。 三年生が興味のある分野の先生の講義を選んで聴く方式。だから、受講者には経済学部進学希望者が多い。メモをとりながら熱心に聞いている者もいるし、全然聞いていない者もいる。紅粉脂黛の婦女になる要素たっぷりのおねーちゃんは、はなから聞く気なしのご様子。 慢性的な不景気で、実社会の知識も興味関心にも欠けている生徒が、つぶしがきくという理由だけで経済学部に行くご時世である。 京大の先生のお話を、出掛けなくても向こうからわざわざやってきてくれて、目の前でお話を聞けること自体、希有な経験のはずだけれど、そんなことをはっきり自覚しているのは、能力の高い生徒たちである。 以前、社会人になった卒業生がやってきて、「大学時代、よく、外部の先生や業界の著名人がやってきて講座をしていたが、全然、聴きに行かなかった。今から考えると、お金出しても聴きに行きたい人ばかりで、もったいないことをした。」と話していたことを思い出した。 最初は、一部の生徒の態度に不快感を持ったが、よく考えてみると、京大教授だと有り難がって聞いているこっちに較べて、全然、「権威主義」に毒されていない。それはそれで青春の特権なのかもしれないと思い直した。 それにしても、新幹線は、最初は、どこからどこまでで開業したのですか、いつ何をきっかけにできたのですかという質問や、バブル期の日本はこうでしたよと説明されているのを聴いて、大人には当たり前のことを、ここまで懇切丁寧に押さえないといけないのかとある種の感慨があった。つまり、自分の歳を感じたのである。 社会科の同僚先生によると、米不足でタイ米食べたのも、そろそろ「教える」世界に入りつつあるという。 こっちが、そんなの常識だと思って説明を省くと、実は全然判っていないということがよくある。 先日、文化とは普段着で付き合おうという文章を読ませて、正しいタイトルはどれかという問題をした。タイトルは主題を表すという授業をした後の確認問題である。「文化にカミシモはいらない」というのが正解なのだが、ほぼ全員、「文化といかに付き合うか」の方を選ぶ。これは単なる問題提起で、間違いではないが弱い。全然、授業が定着していないと嘆いていたのだが、ハタと気がついた。生徒たちはカミシモ(裃)を知らない。当たらないわけである。 でも、カミシモとは武士の礼装のことで、改まった態度の比喩で使うと、この言葉だけとってつけたかのように説明したら、バレバレなので、そのあたりは難しい。 この方、生徒の現状をよく把握しているよい先生である。日本の戦後の発展は、戦前、既に効率的な産官連携の経済システムが出来上がっていたからだといった指摘などに、なるほどと思った部分はあったが、入門向けの話に多くを期待してはいけない。それこそ、卒業生が言うように、ちゃんとお金を払って聴くべきで、こっちが勝手に、現代日本経済の閉塞感をスパッと切ってくれるのではと虫のいいことを考えていたのが間違っていたのである。
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