ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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五月三日、しみじみと竹の子を味わったのはよかったのだけれど、実は、あれからてんやわんやの日々となった。二人暮らしなので、一本を食べ尽くすのに二日ほどかかる。食べ終わった五日、今度は隣家から頂き、それがなくなった七日、かねて約束の筍賞味会があって産地別所に赴く。その夜、また愚妻の実家から一本あるから取りに来いとの電話が……。 黄金週間終了、明日から仕事で、そろそろ気持ちを切り替えねばという時間帯に、大慌てで下茹でにかかる。 結局、竹の子料理が、間を置かず、二十数食、一週間以上つづいた。飽きるほど食べたとはこのことである。でも、そこはそれ、大好物。全然、飽きない。 とれたては、米のとぎ汁で軽く湯がくだけで充分である。定番の煮物は一番硬いところを使うので、料理としては楽だけれど、美味しさのランキングでは下の方となる。穂先に近い柔らかいところも、刺身以外にどんどん使う。和食だけでは献立に行き詰まって、中華の具にもする。贅沢の極みである。 竹の子の成長は早い。子供の頃、遠足で、ちょっと大きめの竹の子を見つけ、帰りにそこを通ったら、もう若竹になっているのにビックリしたことがある。数時間でみるみる伸びる。愚妻などは、小学校の横が竹藪だったそうで、見ていると伸びるのがわかるという言い方をする。おそらく授業中よそ見をしていたのだろう。 そんなだから、旬の季節が本当に短い。愚妻は「三日見ぬ間の桜かな」だねというので、確かに短いという意味は出ているけど、「見ぬ間」じゃないよ、毎日食べていたんだからと反論した。 もっと旬が長かったら、間隔をあけて、まだまだいただくのだが、本当にせわしい。桜で言うなら、「世の中に絶えて竹の子なかりせば」のほうだよ、と答えた。ただ、これは替え歌、竹の子に換えた途端、風流が吹っ飛んで狂歌となる。 さすがに、食い意地の張った和歌なんてないだろう。この種の話題は俳句の世界かもしれないと、歳時記を取り出して、竹の子知識のおさらいをしたが、やはり、そんな無粋な句は載っていなかった。 そこで、代わりに、目にとまった句をひとつ紹介したい。
筍を煮るつくづくと妻の顔 石川桂郎
作者は、戦前、石田波郷の「鶴」創刊に参加、戦後、俳句誌の編集長などをつとめた人。 また巡って筍の季節(季題は夏)になった。大慌てでアク抜きをして煮物を作っている妻を見ていると、もう何年、この妻とこうして筍の季節を過ごしているのだろうと、若くはない妻の顔をじっと見つめた、と解釈するのが正当だろう。煮込まれている音「ぐつぐつ」も掛けている。 だけど、私は真っ先に、「オレは、一所懸命、竹の子と悪戦苦闘しているのに、お前は食卓の前で、のほほんと出来上がるのを待っているだけではないか。お前なあ。」というイメージを思い浮かべてしまった。もちろん、日頃の恨みが文学の解釈に大きく反映したのである。 石川さんのお宅、どっちが煮ていたのだろう?
(竹の子料理を出している農家にて。GW中の昼時で大人気)
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