ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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六日、午前八時十五分、部の合宿で鶴来弓道場の開館を待ちつつ、カーラジオから聞こえる広島からの黙祷の声を聞く。 翌七日、NHKの特集番組「硫黄島玉砕戦」を宿舎のベッドで観る。硫黄島戦の全貌が判る好番組。吸い込まれるように観たので、大浴場の終い湯に入り損ねた。 グアム島・テニアン島が陥落し、本土への飛行航路上にある硫黄島が戦略上重要な意味を占めたこと、壕が全長十八キロに及び島全体が要塞化していたこと、上層部は本土決戦を決めていて援軍がこない捨て石だったこと、司令部が潰滅して以降の敗残兵の壕生活が生き地獄となったこと……。 つい六十数年前のこととは思えぬ凄惨な現実に粛然として見入った。殺してまで投降を阻止するかと思えば、反面、総攻撃という名の愚かしい口減らし。 玉砕の美名が喧伝された戦中から、戦後もかなり長い間、地獄を生き抜いた生還兵は、おそらく卑怯者呼ばわりされたのではないだろうか。
本人たちも、美名に散った多くの同僚たちをおもんばかって、現実はこうだったと声高に語ることを潔しとせず、黙して語らずの後半生を過ごし、齢八十、今語らねばという思いで証言しているのだということがよく判った。確かに今彼らが語らないと、あったことを知るものがいなくなる。 語りつつ慟哭する姿に、その人が一生背負わされたものの重さを感じて、こちらも辛くなった。語るお人柄は真面目そのもので、おそらく、愚直に生きることを自己の後半生に課した生き方をしてきたのではないだろうか。 今、硫黄島は自衛隊の基地になって民間人の立入が禁止されている。一万人の遺骨は放置されたままだという。今日、ニュースなどでも、硫黄島という地名が出てくることは稀である。口に上ることがなくなって久しく、記憶からこぼれつつある。誰も行けないから誰も知らない。上手い風化策である。 硫黄島は戦争の時の島、今ある島ではないかのように感じていた自分に、あっと声を上げて気づいた。 もしかしたら、我々は何者かに飼い慣らされているのかもしれない。
(弓道部夏合宿にて)
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