ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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彼には、『今日の芸術』(光文社文庫)という芸術論がある。一九五四年、彼四十四歳の時の作品で、芸術の先進性を判りやすく説明してある。この文章を読んだ時、テレビでの道化的パフォーマンスしか知らなかった私は、ああ、彼は覚悟の人なのだと悟った。 ほんとうの芸術は、内に激しさを秘め、批判的反時代的で だれもがそうしなかった時期に新しいものを創造する故、時代を創造するエネルギーをもっている、それに対して、モダニスト(近代主義者)は、模倣し、型として受け入れ、通俗化してその時代の雰囲気を作るという「安心されるあたらしさ」を演出しているにすぎない。芸術にはこうしたこの二面性があるという論旨。 戦後九年、この本はさぞかし新しい芸術の荒々しい宣言だったのではあるまいかと、当時を想像して感銘を受けた。彼の芸術はその実践。まさに「コップに顔があってもいいじゃないか」である。 会場には岡本かの子の洋服も展示してあった。彼女のファッションは自己顕示的で、良識ある人たちからは決して快く思われていなかったという。古いポートレート写真を見ても、戦前の保守的な風潮の中で、あの「巴里まねび」の洋装では、反感を買うだろうなという恰好である。 ところが、今、一つ一つを観ていくと、展示品解説にもあった通り、ごく趣味のいい、本場物を着ていたにすぎないことがわかる。現地で西洋的美意識を身につけた彼女、ますます保守主義に突っ込んでいった時代の方が、彼女の「普通さ」を許さなかったということなのだろう。 そして、このことと太郎の文章を重ね合わせると、彼の宣言が、そんな母のあり方を学んだ、彼にとってごく当たり前のことを表明していたにすぎないことが判る。つまり、彼の文章はおのずと母の弁護になっているように思われた。 太郎の絵には顔や目があるから子供にも理解しやすいとパンフレットにあった。縄文と同じく、何かプリミティブなわかりやすさ、無邪気さを内包しつつ、前衛手法で鑑賞者にぐいぐい迫ってくる絵。訳のよく判る訳の判らない絵たちである。 芸術家の信念は、恐ろしくシンプルである。ルオーが元ステンドグラス職人だったということで、大きく彼の芸術を規定しているように、岡本は、縄文と自己の芸術との親近性の発見と、古代人の秘儀に原初的な生命観を感じたことで、彼の芸術の正統性の信念を支えた。彼の絵からは、表面上、ほとんど気づかないが、遠くのほうで「日本」がこだましている。 一幅の絵だけを観ている限り判らないことも、こうして作品を通覧すると、その意志の中心がはっきり見えてくる。 現代詩でもそれは同じだ。この詩、判らないと思っても、それにこだわる必要はない。いい詩で判ると思った詩が一つでもあれば、その人のアンソロジーを一冊読めばよい。この詩は判る、この詩は判らないと思いながら全部読んでしまうと、なんだか、その詩人のこだわりが見えてくる、そのどことなく判った目線で、もう一度、判らないと思った詩を読んでみると、判るようになる。それと同じことが、こうした個人展にはあるようだ。
行きは能登海浜有料道路を使い、発症以来はじめて海を見た。これで、この夏、山と海を見たことになる。「七尾フラワーパークのと蘭ノ国」で花見物をしたり、帰りは国道経由で、あちこち道が新しくなっていることに驚いたりと、県内ながら腰に負担のない楽しいプチドライブとなった。
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