ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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我が家のリビングは真西を向いており、午後の日差しは耐え難い。冷房の機械は、以前の狭いアパートの六畳用をそのまま持ってきたので、真夏の日中にフル稼働させても部屋は冷え切らない。そこで、昼間、いかにここから逃げるかを考えねばならない。 今年も、どこに遠出することもなく盆を過ごした。去年と違うところはジムが営業していることで、これ幸いと避暑目的で日参した。 もう一つは美術館。無料券で石川県立歴史博物館夏季特別展「伊勢神宮の神宝展」へ。 先日の「ルオー展」もそのニュアンスがあったが、今回はそれが第一の目的。これが、「立て! 万国の労働者展」でも行ってたはずである。(?) 二十年に一度の遷宮の際、千五百点に及ぶ神宝も作り直されて奉納されるという説明にまず驚かされた。それも、明治までは、民に撒下するのは憚られると、土に埋めたり火に投じて処分していたという。何とも不経済な話だが、技術の伝承には大いに有益とのこと。展示の多くは、だから、明治以降の作物。まったく同じ調度品の新しいのが今の神宮にも納められていることになる。 太刀・装束など儀典用のものは予想されたが、神道の成立に根ざした養蚕機織りの道具が高級伝統工芸の技法でいくつか並んでいたのにはなるほどと思った。 カセ(峠の偏が木偏の字)は、糸を巻き取る工字型の器具、タタリ(喘の偏が木偏の字)は、カセ(糸の束)を掛ける器具。 その中で、御高機(おんたかはた 機織り機)だけは、実機ではなく三十センチほどのミニチュアだった。もう室町時代には小さいものが納められているので実用性は皆無。神道における絹帛の手業の象徴性を垣間見る思いであった。 実は、タタリなど、見学中、簡単な説明プレートだけでは、なんの道具か判らなくて、会場入り口に置いてあった目録の説明でようやく理解出来た。 他に、例えば、太刀には精緻な刺繍の平緒(長い厚みのある布)と紐の付いた鮒形(紐の先に鮒の細工物)がセットになっていたが、それぞれの役目はよく判らなかった。 また、文様の入った親指の股のない足袋が陳列してあって、解題に「襪」とある。後で辞書を調べて、この字が間違いなく足袋のことをいうと知る。各神宝の名称にJIS第二水準以外の漢字や見慣れぬ国字が多く、現代の読解一辺倒非常識国語教師レベルでは歯が立たないものも多い。 今の世の中、私レベルの人は多いのではないか。見学者全員、学のある方ばかりとも限るまい。もう少し、丁寧な解説があったらと思ったことだった。 類なき伝統工芸の伝承を目の当たりにし、漢字の勉強もちょっと出来た。逃暑目的で入場だなんて、神様や職人さんに対して失礼千万な言い草であったとちょっぴり反省しながらの見学巡行となった。 とはいうものの、観終わって外に出たら、まだ、むっとした夏の熱気が……。あ、もう少し涼んでいた方がよかったかなと、厳粛さが吹っ飛んで、すぐ第一目的に立ち返ってしまうのが、何とも我ながら判りやすい。 今日でお盆休みも終了。今年の夏は、体温超えのような猛暑がないので助かっているが、毎年、残暑が終わる頃には夏バテで熱を出していた紅顔の少年の成れの果てには、辛い季節が続く。
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