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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2011年08月01日
  京楽座公演「しのだづま考」を観る
 信太妻伝説は、歌舞伎など日本の伝統藝能に少しでも触れると大抵出会うことになる有名な話である。陰陽師安倍晴明は昔からスーパースター級で、十年ほど前、大ブームがあって映画も作られたし、近年のパワースポットブームで、晴明神社も大賑わいと聞く。つまり、彼は今の世においても知らぬ人なき霊能者で、その誕生譚として母は信太の森の狐という話も大抵ついてまわって語られていてる。
 ブームになるずっと昔、学生時代、勉強のつもりで時々通った国立劇場で観た『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』が古典藝能で陰陽師を観た最初であった(昭和五十五年十二月公演。玉藻の前ー中村歌衛門、戸部銀作補訂・演出で三段目以降の通し狂言)。そこに出てきた九尾の狐をやっつける格好いいヒーローこそ安倍晴明六代の孫、安倍泰成(松本幸四郎)。出番こそ少なかったが、魑魅魍魎跋扈するお話の世界で霊力を発揮して退治する正義の味方で、印象は強烈であった(あの時、歌舞伎の宙乗りをはじめて観たので尚更興奮)。
 今回、その大本となる晴明誕生の物語を、歌舞伎ではなく「しのだづま考」という新劇の一人舞台で観ることになった。
 この芝居、「考」とタイトルについているように、解説仕立てに上演することで、古典藝能に疎い現代の観客にも判りやすく提示してくれる。いわば、「入門講座」風に語るスタイル。途中、軽口などを入れて観客を沸かせながら、すっと登場人物に早変わりして進行する。説教節や歌舞伎をそのままやられても困る現代人にとってなかなか考えたやり方である。中西和久は二十役以上をこなすが、どれも違和感のない変身ぶりで、名人小沢昭一の一人舞台藝を彷彿とされた。
 もうひとつの特色は、講談、浄瑠璃、瞽女(ごぜ)唄とこの伝説を語る多くの藝能スタイルを、次から次と採用して、その語り口の雰囲気を我々に紹介するバラエティの趣向である。これも、中西はそつなくこなして藝達者ぶりを示した。悪役、悪右衞門は、如何にも歌舞伎の荒事然とした所作、狐の動きも『玉藻の前』で観たのと同じ歌舞伎の所作。肝心の竹田出雲『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』を観ていないので、はっきりしたことは言えないが、研究の上、かなりなぞっているのだろうと思われる。それも、また趣向として楽しい。
(こんなに有名なものも観ていないなんて、まったくもって不勉強で情けないが、地方にほとんど来ないので生の歌舞伎はさっぱりご無沙汰。致し方ないと言い訳くらいはここでしておこう。)
 基になった資料によると、と引用される文章は文語そのままの語り。難しいところだけは、こういう意味だと訳がつく。特に疑問・反語の部分はややこしいのでつけていたようだ。また、晴明の幼少時、「常に似ぬ」みめかたちであるというところでは、普通と違うということは世にまたとない見目麗しい容貌という意味だといった説明がついた。それを聞くと、なるほど、普通と違うということは、現代では悪い場合に使うことも多いから説明が必要だったのだと、逆に古典の時代と言葉のニュアンスが違うことを実感したりした。
 昨秋の「エノケン」に続いての中西の一人舞台、前回はあまり評価が高くなかった模様だが、今回は、彼の多藝のよいところが出て、軽妙な中に落ち着いた芝居になっていたように思う。ためになるという側面も見逃せない。
 今、古典の文法を生徒に教えている真っ最中。「けむ」は「だっただろう。」と訳すといったレベルなら、雰囲気で判るが、ちょっと高度な、今の「は」は係助詞「は」ではなく接続助詞の「ば」。形容詞と形容動詞の未然形についた場合は清音化するので、仮定条件で訳させねばならぬといったあたりになると、ちょっと怪しいのではないかと思った。「〜たべ。」になるとほとんど全滅ではないかしらん。これは補助動詞「給ふ」の已然形。「たまふ」よりくだけた近世あたりの言い方。
 私は、ほら出た、ここにも文法ポイントと楽しく文語を聞いていたが、観客の理解度は人それぞれであろう。今の市民劇場の会員は老齢の方ばかりだから問題はないし、敷居も高くなかったろうが、若者ばかりだと難しい話と思うやもしれない。
 さて、最後に、台本ではなく、おそらく役者の言い間違いをひとつ指摘して終わりにしたい。まったくの揚げ足取り。
 彼は「〜にけり。」が多く出てきていた勢いで、「こそ〜にけり。」といってしまっていた。これは例の「係り結びの法則」。勿論、「けれ」が正解。このくらいはかなりの人が判っただだろうなあ。だって、高校一年四月に習うのだから。というより、私の立場として必ず判ってほしいものです。
                        (2011・7・31)
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