ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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先日、実家に文化庁の方と市の文化財保護課の方が見えられて、実家の「登録有形文化財」の実地見聞と、祖父が残した県公共施設の設計図などを大学のライブラリーに複写保管できないかというお話があった。 祖父は県の設計技手、戦前、県の建物をほぼ一手に引き受けて、公共の施設の設計にあたった。その図面の一部が実家には残っている。そのすべてが今はもう現存しない。金沢は江戸時代の町家などは保存をしたが、大通りの煉瓦作りの銀行や我が家のような大正・昭和浪漫溢れる建築は保存活動が遅れ、ほとんど取り壊してしまっている。お若い市の職員の方も、今残っていればと、残念がっておられたが、まったく私もそう思う。話によると、金沢が写った古写真に、この設計図通りの建物や門が見られるという。もう一度、整理をして、あるものは全部お貸しすると約束する。夏に探索作業をせねばならない。 家の申請のほうは、建築当初の姿の設計図を添付せねばならないようで、リフォームの設計士さんが工事中にわかった痕跡などを元に引いた図面の確認作業をしなけれなならなくなった。 しかし、私の知っている家は昭和三十年代後半から。昭和二年の家だから既に手が色々と入っている。兄弟の中で一番年下の叔母に長距離長電話をかけ、色々聞いて、それに私の記憶を足してほぼこうだろうと脳裏に描いてから、今度は最年長の伯父にも長距離電話をかけて間違いないか確認したら、そのいくつかは、あとからの改築だという。特に台所など水場近辺は、一番時代の変化が激しいところで、何度もリフォームされ、特定し難く、もう頭の中が混乱して判らなくなってきた。 それでもデザイン的に平凡だと思っていた二階の四角い窓が、実は部屋の中では丸窓になって和風モダンなデザインになっていたと判って感心した。他に何カ所か同様の処理がなされた箇所があるので、それでデザイン上の統一がとれている。そんな新発見がいくつかあった。 国宝級の建物の復元などは、これのもっと厳密版なのであろう。なかなか大変である。 昔話が混じる伯父叔母の話を聴きながら、私が生まれるずっと以前、伯父叔母の家だったころのことが、まったくの想像ながら脳裏に浮かんだ。四十代だった祖父は、自分の家を自分で設計して一家を構えた。子供たちはそこで育った。玄関で当時の家族が集合している写真も残っているが、長女(故人)がお下げ髪。父などまだ本当に小童である。それから一家の期待を一身に集めていた長兄が若死にし、戦争があり、戦後まもなくして祖父が亡くなって収入が途絶え、兄弟たちは苦労した。 今は八十歳を越えた伯父叔母も、私の想像の中では青年や少女で、私はなんだがその子たちが可愛らしくて仕方がない感情に襲われた。 今考えると、建物も我ら一族自体も、人生に喩えるなら「青春時代そのもの」だったのである。
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