ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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2011年08月15日 :: 居間で思ったこと |
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西向きに居間のある我がマンションは、日中の暑さ耐え難いまでの温度となるが、平生は職場におり、被害はない。しかし、盆休みは困る。現代の建築はクーラーで部屋を冷やすのが当然の作りとなっているので、どれだけ窓を開けても、風は弱々しく、それも熱風が入ってくるだけ。先の寺院の涼しい道を思い出すにつけ、昔の人は知恵で自然の涼しさを手に入れていたことを痛感する。 案の定、八月の男性雑誌に納涼の知恵の特集をするものがあり、買ってみた(「サライ」八月号)。「通販生活」の男性版といった趣きの物欲雑誌で、籐で編んだ午睡枕など、見るからに涼しそうだが、今や職人技のその種のものは結構な値段である。 日頃、仕事で冷房部屋と暑い部屋を出たり入ったりする身には、先進的な機能性下着は便利で有用だが、今日のようなただただ暑い部屋では、昔ながらのクレープのシャツ、ステテコ姿が一番涼しい。これで毛糸の腹巻きでもすれば、もう本当に波平さんである(加藤茶のぐるぐる眼鏡のオヤジでもいいけど)。 今の大量の熱を発するエネルギー喰いのクーラー依存から脱却するとしたら、昔のやり方に戻るのが賢明ということになる。人は油や電気の力を使って自然を折伏しようとした。そうした西洋自然観に、我々日本人はこのところずっと馴らされてきた。しかし、日本人は、震災以後、それでよかったのか、このまま、この道でいいのかと逡巡している。 かといって、急に「住まいは夏を旨とすべし」(「徒然草」)を実践すべく、緑陰の日本家屋に転居することもできそうにない。節電で少し我慢しながら、日本人の知恵をもう一度取り入れて、いいとこ取りをしようというあたりが関の山。ただ、それで何とかなるとは到底思えない。もし高価な籐枕を買ったとしても、ガラス温室のようなハコではその効果は期待できない。全体がすべて変わらないかぎり……。 ある人は、昔ながらの生活を色濃く残しつつ、冷蔵庫などの最小限の電化が入りつつあった昭和三十年代あたりが、自然に負担をかけず、一番バランスがよかった時代だったのではないかと分析していた。ラジオのその説は説得力があったが、その辺りの時代を「原風景」としている私には客観的な判断ができかねた。 逡巡しているといえば、原発の世論調査でも、可否の態度をはっきり示してしてる人は二〇%に満たず、「わからない」が六〇%を占めている。先日の広島・長崎の平和宣言も、原発問題をどう入れるか、各市で大きな課題になっていたという。今後の行き先を、迷って困って判断停止しているのが今の日本人なのであろう。 今日は敗戦記念日。今年は、戦争犠牲者とともに、大震災の犠牲者への追悼、それに原発の最良の事態収拾を祈って黙祷した。そうした日本人は多かろう。しっかり過去・現在・未来をつなげて見通さなければならないという意識の下での祈りとなった。
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