作文や答案を読んだりしていると、怪しい日本語にどんどん突きあたる。時にそれらを記録しておいた。
1 「相互し合う」。おそらく「お互いに関係しあう」という意味で使っているらしい。同例。「外壁を強力する」。これは「外壁を強化する」の意味と思われる。同じく「間隔する」。これも「間を開ける」という意味らしい。名詞にサ変をつけて動詞化するのは安易な言葉。これ、「勉強する」のように全く普通な言い方になっているものもあれば、「科学する心」のように当時新奇な言い方だったものが、どこどなく耳慣れてきたものもあり、今回のように、流通しておらず違和感がある個人造語レベルのものもある。国語的には、動きの意味が含まれる名詞に付く場合は問題ないということらしい。
2 「相手の言葉は自分の意をつく」。これは「意表を突く」ではなく「我が意を得たり」の意のようだ。この間違いは一人だけではなかったので、どこかに元があり、そこから拾ってきて覚えたのかもしれない。
3 「運慶はひと思いに彫っている」。「ひと思い」という言葉は「きっぱり〜する、思い切って〜する」の意。「ひと思いに殺して」などというのが正しい。おそらく書いた生徒は「一心に」の意味で使っている。字面のフィーリングだけで言葉を使った例。
4 「書きてつく」の「つく」は「言付く」、つまり「ことづける」と訳せばいいと説明したが、教室がざわざわする、あれと思って「ことづける」という言葉を知らない人と挙手させたら半数であった。これでは、現代語訳の現代語訳がいる。同様に「師の説にたがひても、なはばかりそ」とあった。「な〜そ」を聞いている問題で、そっちは知っていても、「たがふ」が判らないし「はばかる」が判らない。「人の目を憚って」とか「はばかりながら」というでしょと助け船を出したが、その言葉も聞いたことがなさそうだった。このレベルのちょっと古めかしい現代語は彼らは苦手である。
5 「人家」が読めず、止まってしまった子に「音読だよ」と言ったら「ひといえ」。「山陰線」は「やまかげせん」。漢文の読み、「生マレテ」は「ショウまれて」、「遠シ」は「エンし」。送り仮名があるのにわざわざ音読するかなあ。これは音訓の区別意識の低下が元である。「万戸(ばんこ)の侯(こう)に封ぜらる」を「マンコのソウロウ」と読んだ子がいた。聞きようによっては下ネタである(勿論、指摘しなかったが……)。
以上、気になった間違いをランダムに並べた。今年の生徒にはこうした間違いがえらく目につく。浮かび上がってくるのは、ちゃんとした文章を読んだり改まって文章を書くことの経験不足である。特に、ネット言葉がどんどん崩した言い方をしているので、その文章がその人の基準となって、言葉自体をいい加減に扱ってしまっている。つまり、「正しく使う意識の低下」である。これが何十年と続くと、日本語は、同じ情報を共有する特定サークル内しか通じ合わない一種の専門言語の集積のごときものになっているかもしれない。 使い方が怪しいなと思った言葉は、辞書をしっかり引いてほしい。 以上、今回はちょっとお説教風。
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